小説の雰囲気

 こんな雰囲気の小説を書きたい、というイメージはある。
 それを実際の小説に仕立てるには、どうすればよいのか。

 

 穏やかな小説を読んで感動する。

 こんな風に穏やかな小説を、自分も書いてみたいと思う。

 しかしその穏やかな小説とは、どうすれば書けるのだろう、と立ち止まる。小説では、言葉が大きい。切り分けて、場面としよう。穏やかな場面を積み重ねてみる。さらにその穏やかさを際立たせるような激しい場面をぽつりと一滴だけ入れてもいい。そうすれば、穏やかな小説ができるだろう。

 

 雰囲気とは抽象であって、具体ではない。抽象とは、具体的なものをいくつも並べ、それからの共通項として得られたもの、とは辞書の説明であるが、十分な定義である。たとえばある小説の穏やかな「雰囲気」とは、穏やかさを連想させる具体的なもの、最終的に穏やかだったなあと感じられる場面がが何度も立ち現れてくるから、読み終えたあとに、ああ穏やかな小説だった、と結論出来る。
 となると、これも物語と同じく、説得のプロセスである。

 

 横光利一の『春は馬車に乗って』という、有名な短編がある。悲しい小説なので、読んでいない人は今ここで読んで悲しくなってほしい。

日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (岩波文庫 緑75-1)

日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (岩波文庫 緑75-1)

 

 

 悲しくなってから、ちょっと冷たく考えてみる。『春は馬車に乗って』は、どうして悲しいのか。

 奥さんが死ぬ。それはもちろん、悲しい。しかし、所詮は他人の奥さんである。それも、まったく無関係な人の。そんなご近所の奥さんが死んだとして、ああ可哀想だなあと一瞬は思いつつも、しかしその後は他人の事件として済ますのが、普通だろう。
 でも、たとえば私は『春は馬車に乗って』という小説を読んで、とてつもなく悲しく、さみしい。横光利一がそう、仕向けている。同じように悲しくなってくれ、この悲しさを体験してくれと、説得している。その説得のプロセスは、どこでどう、行われているのか。
 どこでというと、いきなり冒頭である。

 

 海浜の松が凩に鳴り始めた。庭の片隅で一叢の小さなダリヤが縮んでいった。
 彼は妻の寝ている寝台の傍から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺めていた。

 

 たった三文だが、これが説得である。
 木枯らしが吹いて、松が鳴る。庭の片隅で、それまで咲いていた小さいダリヤが、なんだか縮んだようにみえる。ダリアは晩秋に咲くらしいが、それもいよいよ過ぎて、冬が近い。亀が鈍いということは、早く動いていた記憶がある、ともいえる。もう少し早く泳いでいたはずの亀が、だんだん鈍くなってきたな、と思う。
 もうすぐうちの奥さんが、死ぬ、と男が予感するには、充分な光景だろう。
 その先の話を知らなくたって、冬を予告する風にしろ、縮みゆくダリアにしろ、亀の動きが鈍いことにしろ、なんとなくさみしく、物悲しい。

 

 庭を見終えた男は、ついで妻と会話を交わすけれど、かみ合わない。「ええ、だって、あたし、もう何も考えないことにしているの」といわれたとき、男は大変いやな気持がしただろう。間髪入れずに、その言葉を否定しただろう。間の描写がない。身体が眉間にしわをよせたり、唇を密かに噛んだりするより早く、言葉が先走った。
 会話もいい。すごくいいが、途中で止まる。妻が、黙ってしまう。
 それで男は、話題をなんとか病から遠ざけようと、風景に目を転じる。

 

 海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。一艘の舟が傾きながら鋭い岬の尖端を廻っていった。渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた。

 

 子供が呑気に、芋を手に座っている。午後の波は、いつも通りの波だ。船が岬の尖端を回るのも、自分たちとはまったく無関係である。男は、この海の、悲しさとは絶対無縁なあり様に、とてつもない距離感を覚えたんじゃないか。隣で、うちの奥さんが死のうとしているというのに、波はいつも通りで、しかも別の誰かが、平然と生きている。無関係の人間がぜんぜん悲しく生きていないということ自体に、自分たちの今現在の悲しさが、余計に際立つ、と男は思う。波が散る、船が廻る、子供が渚に坐っている。たった三つで、夫婦の居場所とは違いすぎる光景を、利一は見せつけてきたわけだ。

 

 そうか、三つか、と思う。
 物語の作り方を考えるとき、三、という数字は便利だ。三という数字に特別な根拠はないが、主人公がある状態Aから別の状態Bへ変化するにも、三つの段階を踏めば納得してもらいやすい。利一も、最初の描写で読み手を悲しくさせるのに三つの足場(木枯らし→ダリア→亀)を、それから最後の描写で悲しみを際立たせるのにも、やっぱり三つの足場(波→舟→芋を手に座る子)を使っている。
 場面の雰囲気作りの一手法として、その雰囲気を連想させるものを、三つ用意してみる。あるいは、なにか描写しなくてはいけない、という必要性に駆られたとき、どれだけ書けばいいのか。
 三つ書けば、とりあえず物足りない、という感じは与えずに済みそうだ。

 

 人物描写は、作者の主観であることはもちろん、何より雰囲気や存在感が必要だ。消したり、ぼかしたりしながら、際立たせるところだけを書く。それはあるときは顔の中の目であったり、耳であったり、手であったりする。
村田喜代子『名文を書かない文章講座』)

名文を書かない文章講座

名文を書かない文章講座

 

 

 村田喜代子の名著である。「描写は選択」と題したくだりだが、風景描写についてもあとで「人物描写と同じ心がけで対象に向かえばいい」と書いてあった。利一の最初の描写でも、庭の芝がどうとか、たんぽぽの根が鮮やかな緑色だとか、それでは悲しい雰囲気はなかなか出てこない。とにかく悲しそうなものを、目の前の庭からかき集めたのである。後ろの描写は、それとはまったく反対に、とにかく悲しさとは無縁のものをかき集めて、主人公に疎外感を味わわせた。読み手のぼくにも。他の人々はなにも悲しくないんだと、たしかに勝手な話ではあるけれども、悲しみが深まって、当然である。
 実際に奥さんを亡くした利一には失礼だが、なかなか、仕組みとしてよくできている。そんな仕組みを作り上げてしまえるぐらいには、自分の悲しみを解って欲しかったのかもしれない。
 
 描写というと身構えてしまうが、抽象的な「雰囲気」から逆算して、それを連想させるような具体的な「もの」を用意する行為だ、ともいえるだろう。読み手をその場面でどんな気持ちにさせたいか、を考えると、描写の対象というのは自然に決まってくるのではないか。描写が好きならともかく、(私みたいに)描写に難儀する人は、まずは雰囲気のための小道具ぐらいに考えてしまうのも手なのだろう。

 

 思想という抽象は、どうか。

 いや、思想とは、なんだ。あることについてこう考える、とまずはその程度でいいだろう。AはBである(べきだ)というそのAは、たとえば人間とか人生とか愛とか死とか、なかなか大きい題材だろう。そんな巨大な題材をどう書けばいいのかについては、今回は無視する。

 

 簡単な例をあげるなら、人間の善性を信じるべきだ、と最終的に読む側に思わせるような小説を、あなたがこれから書こうとする。人間っていうのは案外善人なんだなあ、と読み手に自然と思わせるような、具体的なエピソードを恣意的に選ぶ。となると、これは利一の描写と同じである。
 三回、そういう話を繰り出してみる。
 しかしそれだけでは、お前の都合のいい話ばかり選んでいるじゃないか、と読み手はいう。もともと、人間なんて、そう簡単に信じちゃあいけないよ、と考えている人が、読みながらきっと眉間に皺を寄せる。いや、それ以前に、聡明なあなたなら、これは、なんだかおかしいぞ、と立ち止まるはずである。世の中、必ずしもこんな風にはできていないな、と。書いている途中で、これじゃあまずいよ、とストップをかけた自分をどう納得させるか。正しく批判してきた相手に、どう言い返すか。
 ひとつの選択肢は、正反対の思想を先取りすることである。
 人はそう簡単に信じちゃあいけないよ、という話を、一つだけいれてみる。そういう現実もあるということは、わかっていますよ、という言い訳ともいえるし、いや、それはそうですよね、と説得のための、一歩だけの後退、ともいえる。正反対の思想の人を、小説のなかに登場させてみる。性悪説の人は、きっと性善説の主人公と衝突する。その衝突の過程で、人間はみんな善人だ、という説は、作者の予想しなかった別の思想、別の命題へと、変成していくかもしれない。たぶん、けっこう楽しい。
 異なる考えの登場人物が衝突し、対話していく中で、作者自身も意識していなかったひとつの「思想」が浮き上がっていく。単一の思想や世界観を、同じく単一の(とっても力強い)エピソードで表現する方法もあるが、これには相当な力量がいるし、だいいち長くは書けない。

 

 ちなみにこんな対話の過程を、「思想というある時間」とかっこよく表現した人がいる。時間とは、過程である。異なる考えが衝突する、その過程でこそ生まれた考えをこそ、思想と呼んだ人である。

 それこそが、横光利一であったりするわけだ(ただし、怪文書)。

愛の挨拶・馬車・純粋小説論 (講談社文芸文庫)

愛の挨拶・馬車・純粋小説論 (講談社文芸文庫)

 

 

書く人の精神衛生

 書かないのが普通だ。
 完成には時間が要る。書くために我慢せねばならない楽しみもあれば、この時間で出来たこと、という妄念もちらつく。ありふれた苦労でも、苦労は苦労だ。それでどこかに応募したり投稿した結果が芳しくなければ、多少はがっかりして当然である。
 ただ読んで欲しくて書いたのなら、読まれない時点でその小説は失敗である。失敗になってしまう。何が悪かったのか、納得いく答えが見つからない。読み手を責めてもつまらないし、だいたい読み手とは具体的に誰なのか。自責はつらい。失敗の気分だけがずるずる残る。 
 小説に限らず、創作全般でよくある話だろう。
 読まれることに主眼を置くと、他人本位になる。他人を動かすのは、自分を動かすよりはるかに難しい。読まれるか否かが、一か八かの賭け事にしか見えてこなくなる。努めてそう見ようとしている、節もあるかもしれない。外れを繰り返すと、所詮は賭け事だと言い聞かせたはずが、無力感が湧いてくる。小説は時間を食うので、既に費やした時間や努力が無駄になるじゃないかと、なおさら引き返せなくなる。泥沼である。気分が腐る。腐って余計にろくなものを書かなくなる。筆は遅い。努力しているのに、という恨みばかり強くなる。
 自分は何のために書いているのか、と自問する。
 何故普通じゃない、誰もする必要のないことに悩まされるのか。今までの賭け金を無駄にしたくないだけ、要は単なる惰性じゃないかと情けなくなる。何故こんなになってまで書いているのかという問いは、地獄だ。賢いということは、考える必要のあることを考えられて、なおかつ考える必要のないことを考えずに済む、という重ね合わせの能力だろう。何故書くのか、という問いに上手く答えられたところで、肝心の創作が進むわけではない。
 「なぜ勉強しなきゃいけないのか」と生徒が教師に問うのは、「私は勉強したくない」という意思表明に近いだろう。近いけれども、反面、意志を高める答えを期待しているのも確かだろう。それだけ意志が挫けている。最初から意志がないなら、問い訊ねる必要もなく、単に放棄すればいいだけである。何故という問いは、本当のところ、あがきでもある。
 この問いにわずらわされた小説家に、たとえば辻邦生がいる。

 

 私がそのときフランスにきたのは、もちろんフランス語の勉強、フランス文学の勉強のためですが、それ以上の理由もありました。それは次のようななことです。私が小説を書きたいと思いながら、どうしても小説を書くことができなかったので、何とか小説の根拠、レゾン・デートルを見きわめて、身も心も打ちこんで小説を書くようになりたい。そのためには、バルザックスタンダール以来、近代小説を育ててきたパリの生活の中に入ることが、もっとも私の小説探究にふさわしいと思われたからです。
辻邦生「小説家への道」――『詩と永遠』)

詩と永遠

詩と永遠

 

 

 辻がはじめて小説を書いたのは十九歳。処女作の『遠い園生』から、次作の『見知らぬ町にて』に辿り着くまで、約十三年もの絶筆に陥る。その期間を、辻はこう振り返る。「日本ではめずらしく反戦的な学生」であった自分は、「戦時中、日本人とくに日本の軍人が、日本精神のすぐれた点を強調し、現実を見もせず、ただ精神主義であれば何でもできると考えていることに強く反発し」「現実を処理し、思ったことを実現してゆくためには、現実の本質を見きわめる理性的態度が必要だ」と信じていたところへ、「戦争に敗れ」いよいよ「非合理的なものへの信仰が破れ」た今こそ、「何もかも理性的に、合理的に行わなればならない」と考えた。「現実の問題に直面したとき、その知識を用いて問題を解いてゆける」「真の知識」が必要だと、信じた。しかしその信念が、書くことの障壁となった。

 

 実は、その頃から私は、小説を書こうとして机に向かっても、どうしても小説を書くことができないのを発見したのです。小説とはもちろんフィクションの世界です。そのフィクションの世界を書いていると、どうしても本当のことを書いているように思えない。現実の困難な問題があって、それに向っている時、私たちは、意志の力もいるし、今申した真の知識もいるし、人間の能力のすべてをそこにかけなければならない。たとえば医者が患者の手術をする場合、すこしでも油断したり、または知識や技術が不足したりすれば、その患者は死んでしまう。
(……)こうした現実のきびしさに較べると、フィクションの世界の中には、恣意的な判断が入りこんできます。(……)フィクションの世界は客観的に描かれているように見えながら、あくまで作者が思ったようにでき上がってゆくのです。もちろん文章を書いたり、小説という具体的な作品を作ることは、現実のきびしい仕事にはちがいありませんが、その内容であるフィクションの世界はあくまで作者の気ままな判断によって作れるのです。現実のきびしさの前で、自分の全能力を使って生きることが、真の生きることであると考えていた私には、こういう気ままな判断を許す仕事は、一人前の人間が、生きる対象として真剣にとり組むべき仕事と思えなかったのです。
(……)文学修行を途中で打ち切り、現実の中に身を投じ、現実の世界を知りつくして、ふたたび精神の世界に戻ってきたというスタンダールの生き方が、当時の私に、自分の行き方の模範のように見えたのです。私は小説などを書くより、現実の世界の中に身を投げ、そこで必要な知識を身につけることが第一だと思い、小説を書くことを断念しました。
 ちょうどその頃、有名なサルトルの言葉、「二十億の人間が飢えているとき、文学に何ができるのか」という言葉が、私たちの心を動かしました。病人がいれば病気をなおすこと、飢えた人がいればその飢えをいやしてやること――それが文学より、もっと大事な仕事ではないか。そういうもっと大事な仕事へ向かうべきではないか、という気持ちも、小説を書くのを放棄させる動機だったように思います。
(同上)

 

 辻が行き着いたレゾン・デートルとは、パルテノン神殿の「美」だった。美とは、「私たちの生、私たちの世界、私たちの存在自体を包み、それを意味づけるもの」であり、そうした意味秩序の直観、世界に「一つの意味を見出したとき」の「解脱感、自由感」といった喜ばしい感触を定着再現するためにこそ、フィクションの意義がある。「たとえばドストエフスキーの世界、プルーストの世界を通ってゆくと、そのあとでは、私たちの人生は前とは同じではありません。その意味では、ある別の世界が私たちに与えられたといえる。世界はより豊穣となり、より深みを増したと言えるのではないかと思います」。
 むずかしい。
 「美と幸福について」と題された別の講演では、パルテノン神殿での審美体験とは、「自分のこととか自分の煩いとかいったものが全く消えてしまった」「嬉しいとか喜ばしい」感情に満ちたものだった、という。

 

 「美と幸福」という考えはヨーロッパ文化の根底を形づくっている古代ギリシャでは一つの観念として考えられていたことは大変興味のある事実です。すなわちギリシャ語で美しいという意味のカロスという言葉と、「善」という意味のアガトスとが一つになった、カロスカガトスという言葉があります。これは「美」と「善」がギリシャでは一つに考えられていたことを示す言葉です。美しいものはいいことである、逆にいいこと――「善」は「美しい」という観念と一つになっていたのです。
 (……)幸福というのは、与えられるものではなくて、作るもの、与え続けるものなのです。自分がどんなに不幸な状態にあって耐えられないほどでも、そばに居る人たちをもっと幸せにしたいと思った瞬間からその人の幸福が始まる。これは本当に不思議なことです。美は人間の中に、人間を幸福にしたいという、ある力、ある光の充実感みたいなものがあるときに生まれてくるのではないかと思えます。美は幸福があって生れるという意味は、このように他者の幸福を願うことで、自分の小さなエゴを越えたとき、そしてそれがあたかも絶対者の前での約束のようなものとして自分の支えになったとき、確実に私たちを包んでくれているように思います。
辻邦生「美と幸福について」――『詩と永遠』)

 

 辻のいう美とは「人間を支える秩序」であり、「自然からの声に耳を澄ませて本来の状態に戻る」「機能的な物、計量的なものへ縮小された世界を、もう一度生命の全体像に戻す」ための手がかりなのであり、さらに「幸福」とは「心身を自分という自然理法と合わせ自然の叡智に耳を傾けうるまで、素直になること」であり、それを阻害するのは「現在の社会」の「金銭からの声」「技術からの声」であり、正直ちょっと、ついていけない。
 しかも辻の美は、ぶれる。『言葉が輝くとき』に収録された「パリ時代の私」では、パルテノン神殿の「美」は、「ただたんに美しいだけではない。みじめに生きている人間が、そのみじめさにもかかわらず、良きものを意志することができる。人間には、ああいう高みにまで昇ってゆく意志力と、目標とすべき一段と高い秩序が与えられているのだ」という、啓示として読まれる。「私たちの世界を包み、意志づける」秩序と、「目標とすべき一段と高い」秩序は、同じではない気がするのだけれども。
 なぜ書くのか、という答もまた、この「パリ時代の私」ではずれている。

 

 いまここに、文学を、詩を書きたいと思っていろいろ努力しているのに、書いたものがちっとも世の中に出ないとか、賞に出してもボツばかりだという人がおられるかもしれない。そういう人は、一人前の作家が世に出て、原稿を書けば金がはいるのがうらやましいと、思うかもしれない。しかし文学の本質から見るとそんなことはほんとうに枝葉のことにすぎません。もし金がとれなくて、発表するところがなかったとしても、本当に書きたい人は、ただ書くことで喜びを感じると思います。
 (……)だから文学のほんとうのありようといいますと、文学が好きでたまらなくて、自分のため、あるいは自分と心を同じくする人のために書き、残しておくものであり、そうしたメッセージ以外のものであってはいけないと思います。とにかくほんとうに好きで、たとえのたれ死にしたって、文学と遭えたのだから、私の生涯は意味があった――誰でもそう思えるように生きなければならない。これをとりあえず今日の結論にさせていただきたいと思います。
(辻邦夫「パリ時代の私」――『言葉が輝くとき』)

言葉が輝くとき

言葉が輝くとき

 

 

 

 あるときは「世界に一つの意味を見出したとき」の喜ばしい感触の定着であり、あるときは「世界をより豊穣と」し、「より深みを増」すためであり、更にあるときは、単に書く「喜び」のためになされるものであり、「自分と心を同じくする人のために書き、残しておくもの」であるという。なぜこれだけの数の答えが、必要なのか。
 田辺聖子に、「小説はなんで書くか」という名随筆がある。

 

 「小説はなんで書きはりますか?」
 という質問もある。
 サー、こまった。
 人生の意義の探究、人間存在の手ごたえ、宇宙感覚の獲得といったものだろうか、それとも手に職もなし、書くことがお金になりそうなので、と卑近に答えたものだろうか、とつおいつ私は苦悩し、やおら咳払いし、
「つまり私にあっては小説宇宙の構築は私の存在感確認の必然的作業であって……」
 と自分でもワケの分らぬことをいい出すとその人は、ニベもなくさえぎり、
「いや、万年筆で書かはるのか、ボールペンかというてますのや」
 といった。
田辺聖子「小説はなんで書くか」――『猫なで日記』)

猫なで日記―私の創作ノート (集英社文庫)

猫なで日記―私の創作ノート (集英社文庫)

 

  

 話題はここから道具に移るわけだが、最後に「私は紙が大好きなのだ。物を書くのは、毎日、紙にさわることができるからだ」と答えてくれているのは、田辺のサービス精神だろう。書く人の態度は、本当はこれが理想かもしれなない。文学者は知らない。
 「何で書くか」とか、あるいは「小説とは何ぞや?」なんて問いには、そもそも遭遇しないほうがいい。「あることないこと」という同じ本に収められたエッセイで、田辺は後者の質問を、「むつかしい問」「聞かれてこまるような問」と片付けてしまって、「わかりません、というのがよい」という。「イロイロ、むつかしく答えて自分をかしこそうにみせるというのも若いうちだけのこと、そういう問題は専門の人がいられるであろうから、そちらへ任せておけばよい」。
 
 何故書くか、という無用の問いを、何故よりによって自分に問わねばならないのか。
 端的にしんどいのだ。疲れている。しんどいことには、理由があって欲しい。しんどいにもかかわらず続ける、それだけ強靭な理由が欲しくなる。更にそのしんどさは、自分だけが特別にしんどい、という妄念で、加重される。「なぜか小説家は、ホカの作家は楽々と書き、自分だけ苦しんでいると思ってしまう」と、田辺は「小説の誕生」で続けている。「それをいうのは恥ずかしい、という気が、私なんかにはある。私は楽々と書ける人をうらやましく思っている。(ほんとは誰もそんな人はいないのに)」。
 自分だけ苦しいのは不条理であって、そこに理由づけを望むのは、自然である。勉強や仕事はみんなが苦しい。けれど小説は、創作は、どこかで趣味の感じは避けられない。勉強仕事に比べれば、やっている人間は遥かに少ない。書く作業自体が孤独で、実際に作業している人が周囲に見当たらなくて、そうなると、自分だけが苦しい、と勝手に思い込んでしまっても、これは仕方ない気がする。
 神経症の治療に注力した精神科医の高良武久は、この孤独感を「差別観」と呼ぶ。

 

 「人は平気でやっている、自分だけがつらい」とこう思う。それが差別観のとらわれというんだよ。そういうふうになると余計につらくなるんだよね。自分がつらいことは人もつらいというふうに思うことができる、それが平等感というんだなあ。
 平等感がでればね、だいぶ慰めになりますよ。だから、対人恐怖でもね、自分一人いるときは、「自分のような人間は他にいない」とこう思うわけだな。非常につらいんだよ。しかし、ここに入院するとね、対人恐怖の人はざらにいるからね、もう一番ありふれたものだからね、「なるほど、世の中にはずいぶんいるものだなあ」ということがわかるわけだな。そこである程度平等観がわきますよ。差別観のとらわれといって、自分だけがこうだと思う、これは余計つらくなるわけだな。
(……)「自分だけが特別だ」とこう思うと、なおさら劣等感がおこるんだなあ。自分でつらいと思うようなことは人もたいていつらいものなんだよ。
 よくね、ここに入院している人が、「自分の友達なんか平気で楽に勉強している」とこう思うんだねえ。「自分は勉強するのに非常につらい、非常に骨を折る、人は平気でやっている」とこういうふうに思うんだね。
 それは間違いだね、勉強なんてのは「勉め強いる」と書いてあるようにおもしろくてしょうがないというようなものではないんだよ。遊びごとではないんだから、遊びごとならば、「おもしろくてやる、おもしろくないからやらない」ですむけれども、仕事や勉強なんてものは、いやでも必要上やるものだからね。
 そして、おもしろい小説なんか読むのと違って、そうおもしろいものではないんだから、我慢してやるものなんです。初めからつらいものだと思った方がいいんだな。そのうちおもしろいこともでてくるけれどね。
 それを、「人は平気でやっている、自分だけがつらい」とこう思うんだなあ。「あの人は人の前で平気で話をしている、自分は対人恐怖でつらい」と思うのだけれども、やっぱり人も大勢の前で話をするときは我慢してやっているんだね。
(高良武久『木曜講話』)

 

 なぜ書くのか?
 その問いにうまく答えたところで、書くことにそう直接的に役立つとは思えない。だいたいが、弱気に端を発した、躊躇いの問に近い。にもかかわらず、辻がこの問いを自分に何度も投げかけなければならなかったのは、書くことがうまくいかないという経験を繰り返した人には、納得いってしまうのではないか。

 

 辻邦生の答えがぶれているのは、答えること自体、問いに対するその場しのぎでしかないからかもしれない。ひとつの正答で収束、終了する問ではない。自問のたびに誠実に答えても、それでも繰り返さねばならない問だった。どうして自分だけがこんなにしんどい思いをしなくてはいけないのか、しんどいと思っているのにどうして書かなくてはいけないのか。書く気がしないにもかかわらず、書かねばならないと感じるのは、本当はおかしいのである。けれども、他ならぬ私がそうだし、私の周囲もそんな人ばかりだ。

 おかしいけれど、その原因をひとつに絞り込むことは、おそらく難しい。

 惰性であり、習慣であり、今まで書き続けてきたからであり、書きたいものに出会ってしまったからでもでもあり、そのどれもがしかし、しっくりとは来ない。「小説とは何ぞや?」という問に、田辺は「あることないこと書く」と一応は答えてみる。けれども、「それはちがうともいえぬが、そうだともいえぬ、おちつき悪さ」を感じた、という。

 

 なぜ書くのか、という問いの答えを、あらかじめ複数用意しておくのはどうか。ひとつの理由が成立しなければ、別の理由が通るように、複数の道筋・回路を用意すると安全だ。
 「書くのが好きだから、楽しいから」だけなら、所詮は作業なのだから、書き疲れたら嫌になる。それしか持ち合わせていなかったら、そこで止まってしまう。「自分のため」だけも弱い。しんどい作業は所詮しんどいのであって、それがなんで自分のためなのか。「読まれて欲しいから」だけでは、読まれなかったときの失敗感が大きい。田辺の「紙が大好き」にかえて、「キーボードを打つのが好きだから」というのもいい。けれど打ち疲れたら、それも嫌になってくるだろう。ひとつひとつが駄目なのではなくて、そんな弱い答えでも、複数同時に取り揃えておけば、案外強い答えになるだろう。「美」でもいいのかも。
 私が好きなのは「作品数が増えるから」で、こればかりは書き終えてからのことなので、文句なしに嬉しい。毎年の作品数と書いた枚数を記録するのは、貯金の残高を確かめるように楽しい。たくさん書いている自分って、それだけでなんだか立派な気がしてしまう。えらい。えらいと自分を肯定出来るのだから、やっぱり書くことはいいことである。ついでに結果が当たればもっといいし、あるいは、ひとつ小説を書けば、それが次の小説の動力になる。
 宇野千代がいいことを書いている。

 

 どんな仕事でも、仕事というものは、一生懸命にしておりますと、必ず面白くなるものです。どうやればうまく行くか、どうすればもっとよくなるか、と考えます。そこに工夫が生まれ、仕事を通して、いろいろな知恵が生まれるのですね。すると、ますます面白くなる。
 一生懸命に打ち込む、この仕事をなんとかしたい、という気持ちがあれば、飽きるということはないのです。やりたいという気持ちがあれば、仕事の方から、逃げて行くということはないのです。仕事はいつだって、あなたの気持ち次第なのですね。ですから、仕事はあなたに応えてくれるのです。
 仕事は、裏切りません。心を打ち込んだだけの成果が戻ってきます。一つの仕事は次の仕事を生みます。次つぎと新しい道をひらいてくれるのです。それが仕事を積み重ねるということなのですね。
(……)仕事には、終わりというものはありません。これでよい、もうおしまいということがありません。先にも言いましたが、仕事というものは、一つのことをすると、そのあとに次つぎと新しい仕事が生まれるものです。精魂を込めれば込めるほど、仕事の仕上がったあとには、必ず、新しい工夫が生まれます。新しい意欲が盛り上がります。その意欲が、また新たな創作につながっていくのです。
宇野千代『私の幸福論』)

私の幸福論―宇野千代人生座談 (集英社文庫)

私の幸福論―宇野千代人生座談 (集英社文庫)

  

 締切さえ与えられれば小説が書けるのになあ、自分の設定した締切なんてつまらないな、という人がいるはずだ。その気持ちはすごくわかる。わかるけれど、宇野千代のこの文章に倣うなら、小説を書かせる原動力は、既に書いたものであって、他人ありきの締切なんかではない。もちろん締切も立派な原動力だが、それは他人に求められるような書き手にしか与えられないものであって、普通はそうでない(他人から設定された締切に苦しめるというのは、それだけで相当すごい書き手だろう)。既に書いた以上は当然次も書けるはずだし、前作の問題点を振り返れば、書くものがないなんてことは、絶対にありえないはずである。

 

 小説で苦しむというのは、それだけで本当はおかしい。
 多くの人は趣味を越えないだろうし、たとえデビューしたとして、文筆一本で食える人間はほんの一握りだ。趣味で苦しむとは、変な話だ。にもかかわらず、小説がうまくいかないから、現実の何もかもがうまくいかない、と嘘のようなことを考える人がいる。高良武久は、現実の様々な問題を、たとえば「頭痛があるから何もできない」「自分の顔が醜いからこんな目にばかり遭う」と単一の原因へ帰着整理することが、かえってその原因への関心と不安を強めてしまう、そうして神経質が生ずるのだ、と簡潔に説明している。

 小説だけ一本に絞るという生き方は、それでうまくいけば格好いいけれども、私は薦めない。うまくいかなかったときに、大変つらい目に遭う。小説に失敗したとき、疲弊してしまったときに逃げられる回路を、どこかに用意しておいたほうがいい。それは趣味以外の本業かもしれないし、別の趣味かもしれないし、書き物でも別の分野かもしれない。勉強好きの友人は、医学を勉強するにも国試対策だとか、海外の試験問題集であるとか、医療英語とか、手技の習得だとか、同じ医学の勉強でも色々に変化を利かせていた。

 高良武久の次の言葉は、精神衛生のためにこそ、心に留めておきたい。

 

 あることに重点をおいた場合、それがうまくゆかない時は、絶望状態になりやすいわけだね。これ以外に人生はないという重大なものがあったら、それができなければ非常に絶望状態になるんだけれど、普通の人間は価値の芳香をたくさん持っているから、これが駄目でもこれがあるというようにいろいろなことがあるから、一つのことが駄目になってもそう絶望状態にはならないね。これがなければ自分の人生は成り立たないというようなことがもしあるとすれば、それがうまくゆかない時に絶望状態になりうる。だから人間は、これがなければ自分は駄目だというようなものを作ることはちょっと良くないということだね。価値の方向はたくさんあるんだから。
 われわれはあるときには絶望の境地に陥るということは有り得るのだけれども、その他にやるべきこと、われわれを魅することはたくさんあるんだから、あんまり一つのひとに人生を賭けるということは良くないね。
(高良武久『木曜講話』)

高良武久著作集 (7)

高良武久著作集 (7)

 

 

 いずれにせよ、書く人の務めはただ小説を書くだけだし、どれだけ真摯な懐疑、どれだけ真摯な絶望であろうと、目前の小説を進めてくれないのなら、絶対的に無意味である。なぜ書くのかではなく、なぜ書くのかと問わねばならないのか、という地点に立ち戻れば、案外答えは単純な疲れか、体調不良か、睡眠不足あたりに絞られてくるんじゃなかろうか。

 

物語の基礎

 続きを思いつかない、と聞く。こういうシーン、こういう結論を書きたい、そんな最初の計画はあるけれど、肝心のそこ以外は何をどう書けばいいかわからない、という。

 小説の初手については既に書いたが、それ以降をどう展開するか、という話ではない。小説を長く書く技術については、これはコンディションの変動を前提に、いろんな気分に応じて書き継げるようなフックを小説の中に用意しておくと便利だ、と書いた。やっぱりこれも、続きをどう考えればいいのか、という話ではない。

離婚しました (角川文庫)

離婚しました (角川文庫)

 

 

 先週片岡義男という小説家を紹介した。自作に小説論を差し挟むことがよくあって、たまたま『離婚しました』という短編集の、「愛の基礎としての会話」がそれだった。小説家の主人公が、海岸沿いの高台で、こんな話をヒロインから持ちかけられる。

 

「短編を書く予定がある、とあなたは言っていなかったかしら」

「書くよ」

「どんなストーリーなの」

「まだなにもきめていない」

「材料はすべて、虚空に漂っているのね」

 笑いながら彼女は空を指さした。柔らかい金髪が風にあおられ、陽ざしをからめ取って金色に輝いた。

「材料はどこにでもある」

 話を連続させるために、ひとまず僕はそう言った。

「さきほどの土産物売り場の女性を主人公にして、あなたはストーリーを作ることが出来ますか」

片岡義男「愛の基礎としての会話」)

 

 二人はついさっき食事を取ったホテルで、「目もとおよび口もとを無防備に虚ろにさせて、ひとりつくねんと椅子にすわって」いる、売店の若い女性を見たのだった。確信はないが、この女性を登場させたときは、特に伏線を貼る意図もなかったのではないか。「まだなにもきめていない」うちから、書き始めたのではないか。とりあえずで書き始めたところでちょっと詰まり、顎を指でつまんでいるうちに、そうだ、「話を連続させるために、ひとまず」前文のこの女性を話題にすればいいじゃないかと、ひらめいたのではないか。

 

「出来る」

「どんなふうに?」

「彼女はこの土地の人なんだよ。そしてこの土地には、ずっと以前から続いているさまざまな人間関係があって、彼女もその人間関係の網の目のなかに捕獲されている。ホテルの売店へ仕事に来ている時間は、人間関係の網の目からしばし脱出する時間なのだ。だから、はた目には虚ろで退屈そうに見えても、本当は充実している。現実を離れ、ひとりで夢想することの出来る時間なのだから」

「人間関係とは、恋人や友人たち、両親、仕事の同僚、親類縁者、その他いろいろね」

「そしてそのような人たちとの関係が、彼女をこの場所に引き止める役を果たしている」

ストーリーが始まったときと終わったときでは、主人公の身の上に、なにかひとつでいいから、決定的な変化が起きていなくてはいけないわ

「それはストーリーというものすべてにあてはまる大原則だね。彼女に変化をもたらすきっかけを、どこかに見つけなくてはいけない」

(同上)

 

 物語とは「変化」である。文学であろうがエンタメであろうが、物語はまず変化である。変化に対置するなら「描写」で、たとえば「人間関係」や「この場所」のディティールを、あるいは彼女の内面や思想を延々と書き続けるだけでは、それは変化にならない。ならないし、おそらく途中で詰まる。このまえ人と話していて、そういう描写が可能なのは、せいぜい十五枚から二十枚が限界なんじゃないか、という結論に落ち着いた。たしかに、二人の関係描写に徹する二次創作なんかは、書き手が特定の描写によっぽどこだわる場合を除いては、このあたりの枚数に落ち着きがちな気がする。

 

 物語は描写より面倒で、変化を描くには「変化前」と「変化後」の両方が必要だからだ。ひとつの状態だけでは、描写にしかならない。そのような小説もあるが、長く書くには相当な描写の技術を要する。物語という便利な装置を使わないという意味では、けっこうなパワープレイとすらいえるかもしれない。

 すくなくとも長く書きたいなら、面倒くさくても「描写」よりは「物語」のほうが便利だ。続きを思いつかないというのは、そもそも書き切ってしまっている場合、今現在の手持ちの材料ではこれ以上書けない場合、というのも含まれる。物語ではなくて描写を書いているだけなら、たぶんそういうことだろう。

 こういうシーンを書きたい、という場合は、そこを「変化」の瞬間にするといい。最初に持ってくると後は興味の持てない続きを嫌々書くしかないし、最後であれば終わってしまう。途中の、それも物語としてはいちばん大事な変化の瞬間に持ってこれたら、前後両方書けてお得だ。その展開へ持ち込めるよう道筋を立てればいいわけだから、何の目印もないよりは遥かに歩きやすいはずだ。前半部の道のりをしっかり歩いてしまえば、後半はそこで積み重ねた要素を再利用して、終わりまでさらりと歩き切れるはずだ。

 変化は一点だけでなく、複数の証拠で説明したほうがいい。誰かひとりが「きみ変わったね」というだけでは説得力も弱いけれども、複数人から同じことを告げられたら、誰しもそんな気になってしまうだろう。直接言葉で説明されなくとも、たとえば主人公から複数の他人に対する態度や行動に、それぞれ目につく変化があったりすれば、「この人は変わったんだなあ」と、自然と読み手に納得してもらえそうだ。

 

「そのようなきっかけもまた、人間関係のなかにあるのかしら」

「そうだね」

「あそこで波乗りをしている女性たちは?」

「使えるよ。十分に使える」

(……)

「土産物売り場の彼女と、いま波乗りをしている女性たちは、友人どうしなのさ。暇なときには集まり、親しくいろんな話をしている。売場の彼女が固定された存在なら、波乗りの女性たちはもっと自由な存在なのだね。そして彼女たちの自由さに触発されて、あるとき突然、彼女は行動を起こす」

「どんなふうに?」

「ホテルのすぐ外には海がある。その海は世界じゅうでひとつにつながっている。海が持っているそのような力に引っぱりだされるようにして、たとえば彼女は、日本列島のいちばん南西の端にある島へいってしまう

(同上)

 

 「海が持っているそのような力」とは、ちょっとなんのことかわからない。しかしとにかく「島へいってしまう」らしい。「賛成よ」と、彼女がいう。私も、賛成する。

 場所の移動は、お手軽で、しかも変化を招きやすい。すくなくとも書き手の気分はちょっとすっきりする。殺風景な自室とか、見慣れた教室とかで無理やり描写する要素を探し出さなくてもすむ。公園とか、電車に乗って花見にいくとか、その程度の移動でもかまわないだろう。読み手だって気分も変わるわけで、続きに困ったら、ちょっと散歩してみるのもいい。できれば、変化の起こりやすそうな場所がいい。誰か今日の気分に変化を与えてくれる人が来るんじゃないかと、勝手に期待出来る場所なんか、よりいいだろう。 

 実際、この「愛の基礎としての会話」という短編小説でも、主人公たちは「海沿いの国道」から「ホテル」へタクシーで移動し、その「人の気配のない正面玄関」から「中庭の通路をへてカフェ・テラス」で食事を取り、さらに「売店」と「土産物屋」の前を通りがかり、「中庭」に出て、「プールのまわりを一周」し、また「国道」へ出て、「海岸から砂の斜面をあがった」「スロープの頂上」に立って、ようやくこの会話なのである。よく歩く。

 そういえば、散歩が趣味の小説家は、わりに多い気がする。永井荷風は有名だけれど、つい今しがた知ったばかりなのだと国木田独歩島崎藤村徳富蘆花もそうらしい。

 

 物語を展開させる手段として、正反対の人物同士を対置させるのは定番のやり口である。そこの駆け引きに、ドラマが生まれる。たとえば、「こんな風に物事を見ている」という自分の感性を書きたい。であれば、その感性の正しさ――とまではいわずとも、存在感を際立たせるには、それとまったく逆の物の見方をしている登場人物を出してみるのがいい。

 小説家は、「固定された存在」と「自由な存在」を対置している。彼女が場所を移動する前には、最初に「引き止める役」が必要だ。それがないなら、どうして最初から動かないのか、という話になる。気分として面倒くさい。それも正しい答えなのは間違いないけれど、それだけでは読み手を納得させづらいのだろう。「そんなに今の状況が気に食わないなら、どうして今すぐ行動しないの」と、思わず愚痴ってしまった相手にそんな面倒な質問をぶつけられて、「めんどうくさいから」だけで済ませる勇気は、なかなか持ちにくい。「そうしたいのはやまやまなんだけれど、そうさせてくれない他人の事情があってね」が、無難だ。

 

 小説の登場人物は、自分からはなかなか動きにくい。この登場人物がどう動くのか、と予測するには、「こういう状況下で、どんな風に反応したのか」という事実の蓄積なしには、とても難しい。そして、なにか特別な反応を要する状況は、人に持ち込んできてもらったほうが早い。状況を動かしてくれる「自由な存在」は、いてもらえると便利だ。

 「自由な存在」を巧みに利用してきた作家といえば、田辺聖子が思い浮かぶ。たとえば傑作『言い寄る』の冒頭は「友人の美々が「あいての男」から金を巻き上げる交渉に、私もついていってくれ、というから、ついていくことにした」。「美々はちょっとぽってりした肉づきの、色の白い女で、でも脚はすらりといい格好をしている。すこしお人好しの気があるので、私はほっとけな」く、そして「いつも結婚にあこがれてるから二十一、二の娘とちっともかわら」ず、「子供っぽさ」の塊で、「顔を泣き腫らして「あいての男」をとっちめるというと、これはついていかなくてはしようがない」と、私を簡単に自分の事情へ巻き込んでしまう女性だ。あるいは芥川賞受賞作『感傷旅行』のヒロイン「有依子」は、「ずいぶん、数々の恋愛(もしくは男)を経てきており、ぼくらのなかまではマトモに扱うものもないくらい」自由奔放で、しかも冒頭、「八月のおわりのある真夜中」にいきなり電話をかけてくる。「ぼくはろくすっぽ聞いてもいず、就寝中であると哀願」するけれど、「いいから、いいから……」とこちらの意向を完全に無視して自分の事情に巻き込んでくる。「ぼく」にはいい迷惑でも、書く側にとっては、とってもありがたい存在だろう。

 

言い寄る (講談社文庫)

言い寄る (講談社文庫)

 

 

 

 片岡義男に戻ろう。

 

「そしてその島で自由な日々を送るのだけれど、やがてすこしずつ人との関係が生まれていく。島に出来たばかりのリゾート・ホテルの土産物売り場で、パート・タイムの仕事をしはじめる。男性の恋人が出来る。女性の友人を何人か作る。人間関係の網の目が広がっていく。ここにいるときと、基本的な構図はまったくおなじ生活をするようになるのだけれど、彼女の目は虚ろではなく、なぜだか生き生きとしている。彼女はひとつの変化をくぐり抜けた。そのことを象徴するような出来事や場面をひとつ描いて、そのストーリーは終わる」

「面白そう。読んでみたいわ」

(同上)

 

 わたしは複数で変化を描くほうが長く書けるので好きだけれども、禁欲的にひとつに振り絞って書くのも確かにいい。ただ、これは片岡義男という短編作家が直面した枚数制限の問題だ、という気もする。以前の生活と構図はまったく同じなのに、けれど「目は虚ろではなく、なぜだか生き生きとしている」という。構図が同じなら、余計にその変化は際立つだろう(手元にないので省略するが、大塚英志『ストーリーメーカー』もこの変化の強調法を紹介している。物語を作り考えるうえでは、非常に有用な一冊だ)。とどめを刺すように、「象徴するような出来事や場面をひとつ描」いてしまえば、小説はさっぱりと終わるだろう。

 

「彼女にとって、なにが決定的な変化になるのか、それを考えなくてはいけない」

「もっとも大事な部分ね」

「きみの直観では、それはなにだと思うかい」

「恋人でしょう」

 と彼女が言った。

 彼女の直観は、おそろしいほどの高率で的中する。

(同上)

 

 決定的な変化をもたらすのは、べつに恋人でなくてもいいのだが、物よりは人のほうがいい。物は喋ってくれないが、人は違う。会話が出来て、たとえば「あなたは変わった」と愚直に説明してくれるかもしれないし、すくなくともひとりで黙って物を凝視して、内面の描写をたらたらと続けるよりは、誰かと何かをしたほうが、よっぽど書き手の気分も良いだろう。困ったときに偶然会ったりして、何か変化を引き起こしてくれるかもしれない、と期待してもいいだろう。少なくとも、同じものが何度も事件を起こすよりかは、ずっと自然だ。

 それから、物の描写よりは、会話のほうが続けるにはまだ楽だ。会話を続ける技術については、既に書いた。同じ『離婚しました』に収録された短編「膝までブルースにつかって」は実質会話だけの小説だが、そのロケーションは「イタリー料理の店」。会話が詰まり気味になったら、「七番目の前菜がふたりのテーブルに届いた。前菜が一種類ずつ、小さな皿でテンポ良く出て来るのが、この店の特長だった」なんて描写を差し挟めばいいわけで、会話はとにかく場所取りが肝心なのだと、個人的には思っている。

 

「恋人だろうね。とすると、彼女が持っている潜在的な能力とともに、恋人のほうも相当に問題だ。物語がはじまったときの彼女が持っている恋人とは、基本的にまったく異なった恋人でないことには、物語を成立させるほどの変化をもたらし得ない」(同上)

 変化を強調するには、変化の前後が出来る限り正反対のほうがいいのだろう。だから、

「はじめの恋人は、男なんだ。男性であるが故に、世界はいつまでたっても開けず、閉鎖系なのだ。ところが、列島の南西の端にある島で彼女が手に入れるのは、女性の恋人だとしよう。女性であるが故に、どちらの女性にとっても、開放系の世界がそこに生まれる」(同上)

 

 開放系とか閉鎖系とかはちょっとなにを言っているのかわからないけれど、恋人の性別が男女別々なら、たしかに変化は際立ちそうだ。

 片岡義男はその続きに、「なんらかの根源的な変化が、直撃すればいい。そうすれば」「たちまち面白い物語の主人公になることが出来る」と、ごく簡潔に物語の作り方を説明している。物語が書きたいなら、今現在描写している状況から、別の状況へ移動出来るような「直撃」が必要になる。手持ちの材料で書き切れることは既に書いた、という可能性もある。むろんその風景や関係で発掘しきれていないものもたくさんあるのだろうど、それを再発見するには時間が必要になる。物語とは基本的に変化であって、その変化は自発的にではなく、しばしば他人が運んできてくれる、受身や偶然の形をとるものが多い。少なくとも、最初の一歩はそういう場合が多いじゃなかろうか。

 それぐらいの怠惰な幸運は、そこまで書くのに苦労しているんだから、ちょっとぐらいは許されてかまわないと思う。実際、片岡義男の小説なんか、昔の知り合いによく逢うのだ。

 

書きたいものがないとき

 書きたいものがなければどうするか。

 まず厄介なことに、小説を書きたいという漠然とした気持ちと、この題材を書きたい、という具体的な感情は、かみ合わないことが多い。書いてみたい題材があっても実際に言葉にする気力は湧かなかったり、何かしら書きたくとも肝心の題材が無かったりする。しかし、後者はおかしい話で、「書きたい題材などないのに、にもかかわらず何となく書かなくてはいけないという気持ちにせっつかれる」という事態は、小説を書く人特有の、変てこな悩みである。

 

 たまたま、ちくま文庫の井野朋也『新宿駅最後の小さなお店ベルグ』を読んでいた。

 

新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには? (ちくま文庫)

新宿駅最後の小さなお店ベルク: 個人店が生き残るには? (ちくま文庫)

 

 

 著者は「新宿駅ビル地下のビア&カフェ『ベルグ(BERG)』の経営者・店長」で、競争の激しいそんな場所で長年個人店として生き延び続けられた秘訣はどういうものか、という本。秘訣については読んでもらいたいけれども(面白い本で、なぜか解説は柄谷行人。あと、ここの店のモーニングはたしかに美味しい)、たとえばベルクのメニューは、「自分たちが食べたい」を基準に開発されたのだという。

 

伊丹十三監督の『スーパーの女』という映画のなかで、「従業員が買い物をしないスーパーはダメだ」というセリフが確かありましたが、私たち自身がしょっちゅうベルクを利用します。やはり自分たちの職場ですし、気軽に利用できるのが大きい。何より決定的なのは、出されたものを口にする安心感です。慌ただしいなかでも充実した時間が過ごせ、お腹にももたれないですしね。お客様にも、私たちスタッフのように毎日当たり前のように店にきていただけたら、それこそ願ったりかなったりじゃないですか」

(井野朋也『新宿駅最後の小さなお店ベルク』)

 

 自分が好きなものを作る。自分には快いと、自分の感覚で確かにそう言い切れる品であるなら、それだけ他人にも自信をもって薦められるだろう。それが品物を受け取る人間の安心感にも繋がる。私は壁井ユカコの小説が大好きだけれど、彼女もたしか自作を自分で読み返すのが楽しいと、たしか語っていたのは『キーリ』の後書きだっけ。

 「自分たちが食べたい」を小説に置き換えると、「自分が読みたい」小説だろう。当然、これまでに面白く読めた小説が、そのひとつの基準になるだろう。たとえば作家の加賀乙彦は、「書けなくなったときのオマジナイとして、私にはドストエフスキイトルストイの小説を読みかえす習慣がある」という(『犯罪ノート』)。「『罪と罰』や『悪霊』や『アンナ・カレーニナ』を注意深く読み、作品の構成と主題との関係を学んだ。そのうちある日、何か書けそうな予感をおぼえた」。

 たとえば懐かしい料理を思いだして、自分も似たような味を作ってみようというのは、すごく自然な感情だ。小説を書く人は、少なくとも一作か二作は必ず面白かった小説の経験があるはずで、そこに立ち返れば書きたい意欲というのも自然と湧いてくるのかもしれない。

 ただ、たとえば個人的な経験を描いた小説を、そっくりそのまま真似するわけにはいかない。その人自身の畑で収穫した野菜と、まったく同じものを自分の台所に持ち込むことは出来ない。食材=題材が同じ通りに揃わないなら、せめて同じような味付けや調理法を再現してみよう、となるか。たとえば技法であり、文体であり、描写や会話の具体的な作り方や、エピソードの配置であり、「作品の構成と主題との関係」だろう。

 加賀乙彦によれば、ドストエフキイやトルストイ、それから同様に愛するプルーストも「自伝的な人たち」だという。「彼らの作品においてはいかに広い社会的視野で書かれている作品であろうとも作品の核には牢固とした個人的体験がある。『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』や『失われし時をもとめて』は本当の意味の"私小説"なのであり、そこにはある時代に生きた一人の人間のしたたかな証言がある。私も及ばずながら彼らの真似をしたいと念じている」。ドストエフスキイトルストイを「真似る」とは、それは模倣可能な「技法」を真似る以外には有り得ないだろう。あるいは思想を真似るとは、その思想に至るまでの問いの過程を自分で辿ってみせる、ということか。その筋道で別の結論に到達したとしても、むしろ真似るべきは具体的な「過程」だろう――批評家であり、かつ優れた小説家だった中村光夫は、『小説とは何か』で、作家の「思想」を実践なしに真似るよりも、描写や会話といった具体的な部分から模倣を始めた人間のほうが、はるかにその作家から良く学ぶ、と断言している(中村光夫の優れた小説を読む限り、これは信頼に値する教えだ)。

 『ベルク』に立ち戻って、もう一つ好きなところを弾いておく。

 

 「店が売りにするもの、自慢できるものが増えれば増えるほど、他店に「真似できない」度合いが倍々にふくらみます。

 というのも、実際、どれもこれも手を抜かずに維持するには、相当の覚悟と熟練を要するのです。つまり、時間をかけて熟成される。それが「どこにも真似できない」本当の個性になっていく。私はそれをひそかに「店に魔法」をかけるといっています。

 最初から個性的であろうとすると、ほかと違えばいいと安易に考えそうじゃないですか。何から何まで赤ずくめの店にするとか。天井から壁から食器まですべて赤で統一してしまう。そういう店は確かになかなかありません。一目で個性的です。わかりやすい個性ではありますが、飲食の素人が陥りやすい罠ですね。内装ばかりやたら凝っても飽きのこない個性にはなりづらい。

 (……)内装などは真似しようと思えば真似のできる個性です。別にそれでもいいのですが、それだけではすぐに飽きられてしまいます。

 やはり確かな技術に裏づけられた「売り」や「自慢」を掛け合わせた個性でないと、本物の個性とはいません」(同上)

 

 多作の作家で思い浮かぶのは、片岡義男だ。それも粗製乱造からはまったく程遠い短編作家で、まずタイトルがいい。文章は清潔で、展開はスピーディーで、読み終わった後に気持ちの良い満足感があって、しかも立派な文学だ。とはいえ紹介より読んでもらうほうが遥かに早いので、まずは何故か青空文庫に収録されている短編集を是非読んで欲しい。

 片岡義男のインタビューを読んでみる。

片岡義男さんインタビュー | BOOK SHORTS

 

 ─―片岡先生の作品のタイトルは、例えば、音楽の曲名や誰かの会話の中での一言、レストランのメニューにある品書きなど、様々なところからつけられています。先生の琴線に触れる言葉に基準はあるのでしょうか。

 それはわからない。傾向は無いです。見たり聞いたりした瞬間に「あ、使えるな。」と思います。要するに、言葉そのものは全部自分の外にあって、僕の中にあるのはそれを受け止めるアンテナのような能力なんです。

─―自分の中からひねり出すのではなく、外から飛び込んでくるのですね。他の人なら見逃してしまいそうな言葉を片岡先生はキャッチされています。

 僕は、短編をたくさん書きたいといつも思っているから。タイトルは書くための材料で、材料は自分の外にある。だから掴まなければいけない。掴むためには、いつも書きたいなと思っていることが必要です。常にそう思っていれば引っかかってくる。いつ飛び込んでくるのかはわからないです。

 

 別のインタビューでは「複数の人がいて、その関係が変わっていく。その変わり方こそが小説。そして人と人の間には「もの」がある。「もの」は必ず他者との関係の触媒になるんですよ」と語っていて、たしかに小説、というよりは物語とは単純に「移動」であり、「変化」だろう。最初から最後まで何も変わらない、どこにも動かない小説があるとすれば、それは小説よりは描写に近い。描写が好きな人はそれで勿論構わないだろうけれど、物語を読みたい人には首を傾げられることだろう。何より、読んだ前後で何かが変わるような小説のほうが、読んでいて私はお得な気分がしてしまう。「タイトルを考えるときは同時に物語も作っているから、タイトルが決まったらもう小説はほとんどできているといっていい」と、片岡はいう。

 「こんな小道具を登場させてみたい」という地点から出発するなら、その「もの」を人間同士の関係が変化する、閾の地点に置くのが小説としては効果的なのかもしれない。印象づけようとして最初か最後に置いてしまいがちではあるが、せっかく「書きたい」と欲望させてくれる力があるのだから、途中に置いて、その前後を考えるほうがお得だ(どうやっても短くしか書き終えられない小説よりは、少しでも自然に長く書ける小説を書くほうが、これも経験という意味では得だろう)。人と人との関係が変化する、小説としていちばん極点の位置さえ書き終えてしまえば後は助走ですんなり終えられてしまえるだろうし、その小道具を小説のなかに登場させる手続きは、論理的に考えられる。すくなくとも、内面にこもって、延々と思い悩む必要はない。あとは淡々と言葉を積み重ねていくだけで、この手作業は、もちろん楽しいはずだ。

 

犯罪ノート (潮文庫)

犯罪ノート (潮文庫)

 

 

小説とはなにか

小説とはなにか

 

 

小説の初手

 最初が難しい。

 最初さえ乗り切ってしまえば、そこまで書いたものを踏み台に出来る。途中からは楽なのになあ、と首を傾げた経験は多くの人にあるはずだ。その途中に達するまでが大変で、だから小説を新しく書くのは気が進まない。

 より多く、より楽に書こうとするために、序盤の攻略法を考えてみるのはどうだろう。

 最初の最初は、書き出しである。現代日本文學体系の『現代名作集(二)』が手近なところにあったので、戯曲を除いた短編全二十五作の書き出しを比べ分けてみる。

現代日本文学大系〈92〉現代名作集 (1973年)

現代日本文学大系〈92〉現代名作集 (1973年)

 

 

 第一は、「移動」の書き出しだ。

 

 私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。

原民喜『夏の花』)

 

 ミケネの遺跡はアテネへ行く街道から少し入ったところにあった。

(小川国夫『アポロンの島』)

 

 杉が深いので、昇りつめたこの石段の上から街は見渡せない。

竹西寛子『ありてなければ』) 

 

 横浜の港には、雨雲が低く垂れこめていた。

 風はなく、目に捕えがたいほどの七月の霖雨が、海にも街にも煙っていた。風景はやわらかく滲み、スーラ―の絵であった。

 ソ連航路のモジャイスキー号は、白い巨きな船腹に朝の雨をしめらせて、ゆったりと南桟橋に入っていく。

瀬戸内晴美『夏の終り』)

 

 原民起は街に出て、小川国夫はアネネへ行く街道から少し入り、竹西寛子は石段を昇る。今月の文學界で巻頭を飾っている熊谷達也『オーバーホール』は、最初に「ようやくボディが戻って来た」。先月の同誌に掲載されていた山崎ナオコーラ『美しい距離』も、まずは「星が動いている」。このあともひたすら「移動」の文章が連なる。瀬戸内晴美のは三文目で船が「入っていく」けれど、まず一文目で「垂れ」ている。小説を読む側も、書き出しの動きに合わせて、一緒に小説の内部へ入っていく。書き手もまた、今から書くぞ、と無意識に自分をそこへ後押ししているのかも。

 

 中学生のとき、僕は何人かの外人教師に英会話を習った。その一人は女性で、ミス・ダニエルズと云った。彼女が初めて教場に姿を見せたとき、僕ら新入学の一年坊主共はたいへんな婆さんが現れたと思った。

小沼丹『汽船――ミス・ダニエルズの追想』)

 

 回想は、意識の移動である。意識が現在から過去へ遡るその動きが、読み手が小説に入り込む動きと重なり合う。たとえば伊藤整火の鳥』の書き出しは「子供の泣き声が耳に入って目が覚めた」だが、目覚めも眠りから覚醒へ、意識が移動するわけだ。小沼丹の第一文は回想=意識の移動であり、第三文はミス・ダニエルズが教場へ「現れた」ことで、これも移動である。

 

 小説の書き出しは、小説の続きを自然と書きたくなるようなものが便利だろう。どうせ動くなら、続きを書きたくなるような行先を考えてみるのも手だ。

 伊藤整の『青春』は、まず「その日の夜、信彦は、細谷教授の宅での会合に久しぶりに出ていた」。出ていった先には、「中央の机で細谷教授は額に落ちかかる長髪に煩わされながら、イギリスの寺院建築の大きな写真帳をめくっていた。藤山と武光がそのまわりに肘をついてのぞき込んでいた」。三人の人物がいれば、自然と会話が始まる。平田オリザの「セミパブリックな場所」も参考になるかも。

 

 「なぜお前ごときが語るのか」という問は、小説を書く気を挫かせる。「なぜ私はこんなものを書いているのだろう」と自問してしまうと、まず失敗である。その問いを回避するには、語るに値する人物だ、といちばん最初に紹介してしまうのがいい。

 

 ひとのいう(たいへんな女)と同棲して、一年あまり、その間に、何度逃げようと思ったか知れない。

田中英光『野狐』)

 

 ――もうずっと以前から、わたしは左右のからだの不均衡感に悩まされていました。

(大原富枝『ストマイつんぼ』)

 

 ひどく疲れていた。

辻邦生『見知らぬ町にて』)

 

 第二は、「紹介」の書き出しである。

 ふつうの女ではない、「たいへんな」話なら、してもいいだろう。大原富枝は「不均衡感に悩まされ」、辻邦生は「ひどく疲れて」いる。どちらもしんどいのだから、その理由を気休めに語ることは、許されるだろう。

 知らないことは、必然的に好奇心を呼び起こす。自分と遠く離れた状況・場所・人物にこそ、より強い興味を抱ける読み手のほうが、普通だろう。その舞台、その主役が、読んでいる当人から出来る限り離れていることを、まず最初に主張する。

 

 文明元年の二月半ばである。

神西清『雪の宿り』)

 

 成田弥門は東北某藩の昔家老だった家から成田家へ養子に行ったので、養父の成田信哉は白髪の老人であるが、流石に武士の育ち、腰こそ少し曲ったように思われても胸をぐっと張り、茶の間の欄間に乃木希典の手紙を表装してかけてあるのを見ても、いかにも乃木大将と親交があったらしい謹厳な風貌の持主だった。

今日出海天皇の帽子』)

 

 とうとう千秋楽の日が来てしまった。

(北原武夫『魔に憑かれて』)

 

 中京といっても、姉小路から御池にかけて、それも堀川の東一帯の地域は、京都市内でも、一般の旅行者からは「閉ざされた一郭」である。

(澤野久雄『夜の河』)

 

 澤野久雄の「堀川の東一帯の地域」は「閉ざされた」特別な「一郭」で、観光地じゃない京都の話を今からします、という。北原武夫のは、千秋楽という状況の紹介であるばかりでなく、「来て」もいる。移動の書き出しだ。

 仕事を紹介するのもいい。最初に紹介するなら、変わった仕事のほうが興味を引くだろう。

 

 ロベール・カン氏は著名な音楽批評家である。

(なだいなだ『帽子を……』)

 

 三造さんと半三さんの二人は村ではちょっと外に類例のないほど好い仲間だ。年は二人とも五十過ぎ、半さんの方が三つか四つ年弱だ。名前は半三に三造で、耳に好く似て響くが、顔形はまるで違う。半さんは痩形で、顔は三角に近い。見る人に依っては秋の野原で頻繁に出くわすかまきりの面を思い起す。唇はうすく、眼は神経質で油断はない。前身はこの辺の草競馬の騎手だったが、今では舌三寸を元手に犬や鉄砲或はその他のブローカーをやったり、金や女出入に口を聞いて話を纏め、その礼で暮しを建てている。だから他人の感情の動きも機敏に掴み、それに釣り合ったそつのない行動も出来、必要なら本人の前で世辞追従を云うことも辞しはしない。

きだみのる『猟師と兎と賭と』)

 

 主役の性格から語る手もある。「私/この人はこういう変わった人間だから、今から話をさせてもらってもいいだろう」という、紹介の書き出しである。ただ、これはきっと過去に何かあったに違いない、あるいは現在に何かとんでもないことを引き起こしてくれるに違いない、と他ならぬ書き手自身に期待させる自己紹介でなくてはならない。冒頭から特別な感性を語るということは、けっこう難しい。状況や職業のほうが、まだ手軽ではある。

 

 林晶子は、老若男女の中で、女の子――三歳から十歳くらいまでの女の子ほどきらいなものはなかった。晶子が普通に結婚し、子供を産んでいれば、ちょうどその時期の子供がいることになる。それがもし女の子であったとしたら、自分はどうしていただろう、と彼女はよく考えることがあった。

河野多恵子『幼児狩り』)

 

 私は、かつて肉親の死に会うたびに、ぬきがたいひとつの感情に悩まされてきた。羞恥である。私には、死は一種の恥だとしか、思われなかった。私はこれまでに、二人の姉を死によって、二人の兄を生きながらにしてうしなったが、彼等の死、および不幸は、ことごとく羞恥の種であった。

三浦哲郎『恥の譜』)

 

 マリアが父親の遺伝をうけたとしても、又母親の遺伝をうけたにしても、どこかに気違い的なところを持っていていい訳なのである。つまりふた親の悪い、変なところが遺伝したのである。

森茉莉『気違ひマリア』)

 

 河野多恵子三浦哲郎も、どうしてそんな感性を獲得するに至ったのか、と問いたくなる。二人とも、きっかけとなったその過去のエピソードを、その先でちゃんと回想してある。回想に相応しい、それだけ特別な感性だと作者が信じられたのだ。森茉莉の「気違い」も、それを遺伝させた両親の「気違い」ぶりへと、話は自然に進んでいる。

 

 凡庸な私が、出しゃばって話したいのではない。そうではなくて、私以外の他人が話しかけてきたから、仕方なく対応したのである、という体もある。

 

 ある日あなたは、もう決心はついたかとたずねた。

倉橋由美子パルタイ』)

 

「のう、泰彦はんや、ええが、犬死はするでねえぞ。侍は犬死するものでねえすけの。チョウスウのため死んだどで、どもならねすけの」

 八十三歳になる祖母の於雪はこう言った。祖母はきちんと坐っている。仕方がないから、孫の網代泰彦もきちんと坐っている。

丸谷才一『秘密』) 

 

 仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。

小山清『落穂拾い』)

 

 姉がまったく危篤に陥ってから七日ほど経ったとき、彼女は仰臥している胸のあたりに半紙を私に支えさせ、力無い手で毛筆を持ってそれに、

「枕もとの白い箱におかあさんのユビワがはいっている」

 と大儀そうに書いた。 

(由起しげ子『指環の話』)

 

 房州に那古船形という土地があるそうだが、私はまだ地図をだしてみたことがないので解らない。そこに「崖の観音」とよばれる場所があって、海に面して展けた崖のきわにちいさな観音堂があり、その近くのささやかな墓地に正藤そめの墓があった、と祖母は私に語った。

(芝木好子『湯葉』)

 

 受身の書き出しである。いずれも、言葉を押し付けられている。

 主役の性格が練り固まっていない序盤から、登場人物を自発的に動かすことは難しい。だから、まず他人に動いてもらい、その反応から性格を計算することで、(性格とは、具体的には「こういった事態にどう反応したか」という事実の積み重ねと、そこから推測出来る反応、ぐらいの意味だろう)ようやっと自分で動けるようになる。たとえばノートに登場人物の性格を書き記していく作業が、どこまで小説の役に立つのか私には想像しづらい。実際の対応を見せてもらわなければ、本当の性格は把握しづらいのではないか。小説の後書きで、「最初はこういう性格のつもりだったけれど、書き進めるうちにどんどん変わっていった」なんてちょっぴり嬉しそうに語っているのを、多くの人は聞いたことがあるはずだ。 

 もうひとつ、そもそも小説は、能動的に読めるのだろうか。たとえば携帯電話の充電が切れてしまって、仕方なく鞄の小説で時間を潰す。眠れないけれど、画面の光は余計に眠りから遠ざけてしまうから、仕方なく小説を読む。読んでしまえば勿論面白くて、最初から面白さ目当てに進んで読み始めたかのような気になるけれども、本当のところ、読書の大半は受動的なのかもしれない。携帯電話だって、「さあ今からいじろう」というのでなく、習慣として自動化された場合がそれなりにあるんじゃないか。受身の書き出しは、これからいよいよ読まされるぞ、という読み手の体感にこそ沿うているかもしれない。

 

 「移動」「受身」「紹介」を組み合わせると、こうなる。

 

 ツチモ草木モ 火トモエル

 ハテナキ曠野 フミワケテ

 ススム日ノ丸 鉄カブト

 ……………………

 

 その歌をいつもうたい馴れているので、女たちの合唱の歌声にあわせて口ずさみながら、原田軍曹は歌の文句を思い浮かべていたが、ほんとうをいえば、女たちの歌声は列車の走る轟音とまじり、ただの喚声でしかなかった。

(田村泰司郎『蝗』)

 

 移動する「列車」に乗っている原田「軍曹」は、「女たちの合唱の歌声」を受けて、自然に口ずさんでしまう。憲兵隊の列車だから、もちろん同僚が同乗している。彼らだけで話が進まないなら、「女たち」から物語に絡む者を拾い上げればいい。

 

 残ったのは二つ。単に時間稼ぎ、レトリックの書き出しである。省いても全く問題ないが、読み手と、そして書き手自身が小説に慣れるまでの待ち時間、ともいえる。

 

 それは山鳥の声のせいであったろうか。それとも五月という時節のためであっただろうか――。いやいや、もとをただせばやはり生来の幻想癖の嵩じたものであろうが、この丘の上の家へ住んでから摩耶子は屡々奇妙な失神状態に誘われることがあった。

小山いと子『壁の中の風景』)

 

 物語がはじまる前に、大急ぎで樗牛の「わがそでの記」について触れておこう。「わがそでの記」はソプラノだ。しらべ高い女のこえだ。そして先ず楽器でいえばヴァイオリンだ。

 むかし、僕は改造社の日本文学全集という恐ろしく廉い本で、樗牛の「わがそでの記」を一読している筈であった。――筈であった、とは、読後直ちにその文章には一片の記憶さえ残されなかったことをいうに過ぎぬが、所蔵の本の目次をみると、ちゃんと読み通した証拠として、その題名のうえに赤鉛筆で赤マルが施してある。で、つまり、そのことは、僕という一介の文学青年のあたまのなかをただ素通りして、遂にそれが無縁の文章に終ったということを意味している。が、図らずも十数年を隔てたことしに至り、改めてその一文を読み返さずには居られぬような因縁を僕は持った。

 読者は、ここで、木目田徳子と呼ばれる聊か風変りな女の名を御記憶ありたい。徳子は、女子大の英文科を中途で止めて、或る青年と恋に陥り、しかしそれが終局には望み通りに運ばぬまま自棄半分にシナの上海とかで数年暮らしてきた人間だが、この冬、所謂リバテイ型の復員船におしこめられて、よくまアこれほど赤ん坊のいるものだと感心した程、前後左右、おしめの裂れのぶらさがりが飜える、小便臭い船室での数日間を送ったうえ、やっとの思いで日本へ帰った。

井上友一郎『ハイネの月』)

 

 小山いと子のは、結局は「丘の上の家へ住んでから」が本当の書き出しのようなもので、移動である。あとは、「幻想癖」で「摩耶子」だから、そうか、まやかしか、なんてつまらないことを思うけれど、こういう名前の付け方だって、小説の推進力としては馬鹿にならない。井上友一郎のは、これは手近な本をとりあえず「大急ぎで」小説の材料にしようとしたんじゃないか、なんて邪推もしたくなるが、最終的には木目田徳子が日本に「帰る」わけだから、移動、と一応は分類出来るだろう。

 

 ということで、この二十五作の分類としては、ひとまず「移動」「紹介」「受身」に行き着いた。特別な紹介に値する設定があるのなら、出し惜しみせずそこから書き始めるのがいい。事前準備なしにとりあえず書き始めるなら、移動と受身、を意識してみるといいかも。

書く人と読む人

 小説を書く人は、たしかに小説を読む人である。ところがこの二重性が、小説を読むときにまずく作用することがある。

 書く人間にとって、小説を読むことは勿論楽しみであっていいけれど、それが書く助けになればもっと得だ。その小説が面白く読めれば、あとは、どうして面白いかを丹念に追跡すればいい。問題はつまらない小説で、それを「面白くない小説だ」と切り捨てるのは、私はあまり得でない、と思う。たとえばそのつまらない小説が活字になって、あなたの小説が活字にならないのは何故なのか。書く人にのみ可能な、辛い問である。

 

 たとえば、かつて面白く読めた作品や、誰もが価値を保証する古典を持ち出してきて、いかにその小説がつまらないかを指摘し続けるのは、私は避けたい。もちろん小説の書き方は「こう書けばいい」と「こう書いてはいけない」の挟み打ちであって、ある程度は後者の勉強にもなるのだろうが、だとしても小説を書く上で本当に強いのは前者だろう。「こう書いてはいけない」という勉強ばかり積み重ねると、「面白くないわけではないのだけど……」と言葉を濁される小説を量産することになる。言われた側は混乱する。活字になった小説を読み、この部分のこの書き方はまずい、こんな有様でどうして自分より面白く読まれるのかと、嫌な嫉妬に苦しむことになる。何のことはない。「こう書いてはいけない」よりも、「こう書けばいい」という知識=技術のほうが、小説にはよりプラスに作用する。減点も加点もない小説よりは、減点はあるけれども、それを覆い拭うだけの加点がある小説のほうが、もちろん印象としては残りやすいだろう。粗探しは、加点の技法から意識を反らしてしまう。

 

 小説を他作から勉強するならば、まず自分より面白い小説だと念じて読んではどうだろうと、前に書いた。「何故自分よりこの小説のほうが面白いのか」と問いかけてみる。そこでの発見は、必ず自作に役立つはずだ。文章が自分より巧みなら、何故巧みなのかを一語一語に着目しながらゆっくり読んでみる。速度を変えて、繰り返し読むのも面白い。会話や回想をどう処理するのかなど、目下の疑問点のみに絞って、飛び飛びに読んでいくのも楽しい。「自分より面白い、かないっこない」で思考を止めるのではなく(「自分には適わないから別のやり方を見つけよう」というのも、立派であるけれども、所詮は諦念だ)「何故自分より面白いのか」へ持ち込んでみる。自分が苦手な要素を思い起し、その角度から読み直してみれば、どんな小説にも新たな発見があるものだ(たとえば、三人以上の会話が苦手な人は、それなりにいるはずである)。新たな技術の発見は、新たな小説を書く意欲に必ずなる。「自分がやってみたらどうなるだろうか」という気になる。実際に自分で試してみて、それで相手の作品がいかに適切に技術を使っているか、痛感させられることもある。初めて理解出来る面白さもある。

 

 読む人に留まるなら、作品をどれだけ批判しようが本人の自由だ。とりわけ、評価されるなり、売れるなりした小説を大上段に切り捨てるのは、はっきりと快楽が伴う。だいたい、毒舌はカッコいい。書く人のような泥臭さは、そこにはない。

 しかし、他作への酷評は、何より自分の意識に跳ね返る。自分の塩辛い言葉は、他人より自分のほうが覚えていたりする。小説を書くハードルを上げてしまうと、完成に難渋する。無論毒舌をかましながら、優れた小説を何作も書き続けた作家はいくらでもいるから、勿論これは私自身の感想に過ぎない。

 そして、「この小説は私の小説より面白い」と認めることは難しい。そう自分に言い聞かせようとして、なぜか「自分の小説はつまらない」と勝手に書き換えてしまう人がいておかしくない。「自分の小説は面白い。しかしこの小説は、そんな自分の小説より更に面白いらしい」と、ドンと構えていればそれで済む話なのではないかと、正論を吐く気には、ちょっとなれない。ただし、嫉妬が創作の原動力になるという説は、私には信じづらい。生産的に働くようにと、そう容易く制御出来るのだろうか。嫉妬は疲れる。無駄に疲れると、小説の邪魔になる。

 

 現代小説を批判するのに、古典を持ち出す人がいる。古典を読んでいない書き手が多過ぎるから、現代小説はだめなんだと、平気で言う人がいる。それしきの基礎教養もなしに、文学史の知識ひとつなしに、何が小説なのかと。

 現代小説をけなすのに、古典ほど都合の良いものはない。古典は、時間を隔ててなお読まれているというだけで、既に高い価値が保証されている。実際、文章も巧みだろう。けれども、古典は現代小説ではない。古典には現代を書けない。その弱点を覆い隠すために、哲学でも思想でも、とにかく時代に左右されそうにないものを持ち込む必要が生じる。最近読んだ、とにかく古典を盾に現代小説をやっつけ続けていた、或る女流作家の本は、現代小説の書き手は幼稚だ、人間として成熟出来ていない、と書いていた。三十年前の、故人の文章だ。

 そういう古典の使い方は、私は好かない。むろん事実として、古典がその現代小説より優れている点は幾らもあるだろう。しかし、だからといって現代小説から得られる技法が、古典から得られるとは限らない。前者の技法の源が後者にあるのだから、後者だけ読めばいいという主張も、ちょっとよく解らない。後生の人間が別の小説を書き継いできた以上、何らかの変質が生じているほうが自然である。前者の技法が、後者に比べて「間違っている」と、誰が断言出来るのか。小説を現在に書く以上、すべての小説は現代小説だし、読み手が生きているのは現在だ。「現代の読み手があまりに無学無知だから、こんな小説を有難がるんだ」なんて考えは、少なくとも現在の読者に読んでもらいたいなら、ちょっとお勧め出来ない。そういう蔑みは、必ずばれる。だいたい、蔑む相手に読んでくれとは、流石に虫が良すぎる。

 

 残忍な事実がある。古典を読まなかった人間が、古典を読み通した人間より遥かに面白い小説を書くことはあり得るのだ。後者の勉学が、小説を書く上では無意味だった、とは、一概には言い切れない。役立つ場合も勿論ある。ただ、面白い小説を書く人間は、相応に面白い小説を書く努力をしてきたはずだ。そういう人に対して、「あなたは古典を読んでいない、だからだめだ」というのは、私にはピンと来ない。 

 

 耐え難いほど「下手」な文章に出会ったら?

 

 「grazie」女の声は実に感じのいいしゃがれた声だった。そんな声があろうとは思いも及ばないような声だった。私も思わず自分で「グラーチェ」と声にだして言いそうになるような感じのいいしゃがれた声だった。私は女の煙草に火をつけようとした。しかし私の肩ごしに老人が炎のたっぷりしたライターを差しだしていた。私は首をかしげて煙草に火をつける女の顔をまじまじと眺めた。その顔は実に感じのいい顔だった。いくらか長すぎる鼻と灰緑色の静かな眼が、実に感じのいい表情をつくっていた。火をつけてから、女が伏せていた眼を私の方にあげたとき、その眼が重い疲労を浮かべていたことに私はすぐ気がついたけれども、それでもその灰緑色の眼は静かで、疲労の重さはかえって女をいっそう静かな安らかさのなかに沈ませるためにあるようだった。女はコーヒーを静かに口に近づけていた。私は女がコーヒーを飲むのを見ていたわけではなかったのに、女の眼の色が少しずつ生きいきとしはじめ、その生きいきした眼の輝きは、実に感じのいいやさしさを持っているのに気づかずにはいられなかった。私は女の方を 見ていった。

「あなたはこの町の方ですか」

 女は私に答えた。「私はこの町にいたことはあるの。でもずっと前のことよ。今ちょうど、この町に帰ってきたところってわけなのよ」

 女にこんな風の答え方をさせたのは、私のきき方があまりにぶしつけである証拠だった。

辻邦生『見知らぬ町にて』)

 

 辻邦生という作家は好きだけれど、最初期のこの文章は、何度読んでも素敵には思えない。他人の文章を下手と断じれる資格など微塵もないが、苦手な文章だ。自分ならこう書き換えるのになあ、と不遜なことを考えてしまう部分は、たくさんある。

 しかし、ではいざ自分が小説を書くときに、この文章に使われている語彙を自然と使えるかどうかは、話が別である。解らない言葉は一語もない。「肩ごし」とか、「伏せていた眼」とか、「ぶしつけ」とか、極々見慣れた、ありふれた表現だろう。けれど、自分がいざ書いたとき、こんな単語を自在に使いこなせるかどうかは、正直自信がない。

 どんなに「下手」としか思えない文章にも、必ず自分が無意識には使えない、しかもありふれて使い古された、それだけ便利な語彙があるはずだ。英語でもパッシブな語彙とアクティブな語彙があって、意味はわかって「知っている」言葉と、「知っていて使える」言葉は別なのだ。注意すべきは「灰緑色」なんて物珍しい言葉ではなく、実際に自分が書くのに使えそうな「肩ごし」とか「伏せていた眼」とか「ぶしつけ」なのである。こういう基本的な語彙表現に意識を払うと、「ああ、あそこの部分はこの表現を使えばよかったのか」なんて思い出されてくる。目線を落としたり俯いたりせずに、目を伏せればよかったのか、とか。「こうすればよかった!」という感情は、けっこう楽しい。あとは、こっそり書き直すだけだ。それが記憶にも繋がる。

なんでもない会話

 今回は会話についてだけれども、まずは先週紹介した平田オリザを再び参照してみる。

 

 引っ越しでも、法事でも、とにかく人の出入りが比較的自由な時間を見つければいい。パブリックな空間についても、たとえば火事の見物という状況設定なら、見知らぬ他人同士でも会話が始まるかもしれない。会話の必然性が保たれる。

 登場人物を決めるうえで重要なのは、その人物構成がいかにバラエティに富んでいるかだ。これは、各登場人物が持っている情報量の差にかかっている。情報量の差を、さまざまな人間関係の網の目のなかに仕込んでおくことが、あとで戯曲を書く際に力となる。人は、お互いがすでに知っている事柄については話さない。話をするのは、お互いがお互いの情報を交換するためであり、そこから観客にとっても物語を理解するための有効な情報が生まれてくる。情報量に差がなければ、情報の交換は行われない。いま舞台に立っている登場人物が誰も情報を持っていなければ、誰もその事柄について語ることはできない。逆に全員が情報を共有していれば、その情報はいつまでたっても舞台上では語られない。外部の登場人物を決定する場合には、内部の人々との関わりと情報量の差異を念頭に置かなければならない。(平田オリザ『演劇入門』)

 

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)

 

 

 平田オリザの全会話がそうやって作られているわけではないだろうけど、情報量に差がある人間同士の会話は、たしかに書きやすい。「書く際に力となる」というこの力は、「必然性」によって与えられた推進力ということだろう。小説においても、論理的な必然性というのか、「これがこうなるから、ここはこうすべきだ」という筋道を頭のなかで立てられると途端に書き易くなる。書いたことがない以上は単なる想像だけれど、会話がかなりの割合を占める以上、戯曲の書き易さとはそのまま台詞の書き易さであり、したがって台詞の必然性がそのまま戯曲の書き易さ、作り易さに結び付くのだろう。

 小説においては、この必然性、「この小説はこういう小説だから、したがってこんな風に書くのが適切である」という(意識下・無意識下の)論理は、たとえば文体≒雰囲気、上記にあるような人物構成=人間関係、キャラクターの設定≒性格等々で、決定されていく。ある程度書いてみなければ、その小説がどういう小説なのかは決めづらい。前もって決め過ぎると、これはこれで退屈だ。小説は、やはり最初がいちばん大変だと思う。

 

 会話はどう書けばいいのだろう、という話である。

 「情報交換」は書き易い。相互の立場が決まっていれば、交わす言葉も自然と決まる。あるいは、「君はもう覚えていないかもしれないけれど、こんなことがあったね」というように、回想を自然に導き入れるための前口上も、目的がはっきりしている以上は書き易い。

 困るのは、なんでもない会話だ。

 二人の登場人物を同じ空間に配置した以上は、黙らせ続けるわけにはいかない。沈黙の描写は、難しいし。とにかく話を始めようとするけれど、何を書くべきか思い悩む。

 なんでもない会話は、必然性に乏しいからなんでもない会話である。

 それでなぜ書きたくなるのか、と自分に問い返してみたとき、ある程度ぴったり来るのは「間が持たない」という事態だ。偶然居合わせてしまった二人の、その片側が自分として、なにか話さないと空気が持たない。「あんなきれいなものがある」と指差して描写出来るものがあればいいが、そんな風に息の詰まりかねない空間は、大体は双方にとって見慣れた、今更新しい発見のないような場所である。なんでもない会話の作り方は、その人の普段の生活を反映しているようで、書きながらちょっと気が重い。

 

 書いている途中は、なんでもない会話としか思えないやり取りがある。けれど、最後まで書き終えてから読み返すと、何気ない会話に鮮烈な意味がこもっていたりもする。あるいは、なんでもない会話こそが、二人の距離感の指標となることがある。その距離感こそが主題として、小説の動力として設定されることもある。たとえば、恋愛や友愛をめぐる小説がそうだろう。「なんでもない会話」に書き慣れるということは、したがって恋愛とか、友愛についての小説の書き方にも繋がるかもしれない。

 そのための話題を見つけるのも大変だが、文章の間も持たせなくてはいけない。田辺聖子のように、よっぽど会話の巧みな書き手なら別だろうけれど、会話の合間合間になんらかの描写を差し挟みたくなる。ここで、「語彙力」とか「観察力」につまずく。相手のちょっとした動作を差し挟むには観察力が(何度も何度も微笑ませるわけにはいかないから)、「言った」という語を連発しないためには(私はなんとなく躊躇われる)語彙力が要求される。類語辞典で「言う」を引かねばならなかった経験のある人は、私以外にもいるはずである。

 しかし、「語彙を身につける」とか、「普段から周囲を観察する」では、当座の解決策にならない。他に文章の間を持たせるやり方がないものか。

 

 それでたまたま中沢けいの『海を感じる時』を読んでいたけれど、これはまさしく「なんでもない会話」を見事に処理した小説である。恋愛小説でもある。

 たとえばこんなところ。

 

「俺たち、二年になるんだよなあ」

 海辺はゴミの山になっている。捨てられたもの、打ち上げられたもの、かろうじて砂が美しさを保っている場所に腰をおろし、洋は目を細めて、セブンスターをふかす。

「俺ね、なんだかんだ言っても、女とつき合ったっていえるのあんたしかいないよ」

 さっきから、波が、空になったシャンプーのビンをころがしている。ビンは波に引かれたと思うと、すぐにまた打ち上げられる。

「東京には、きれいな人がいるでしょう」

「いても、相手にならない」

「してくれないんじゃないの」

「その通り」

 どこから来たのか、二、三人とつれだった子供たちが、足もとをぬらしながら、歩いていく私たちの姿を見つけて、なにかひそひそとしゃべっていたかと思うと、よくわからない言葉で、大きな声ではやしてた。

「いいねえ、あんな頃さ。俺なんかも浜で東京からきたアベックを、やいやい、からかったよ」

 こんな時は、やさしい目をきまってする。だから、私は洋を信じてしまう。いたずら坊主の中には、水を含み砂まみれの運動グツを竹ざおにひっかけて、肩にかついでいるのもいた。帽子を横にかぶっているのもいる。丸い頭の向こうで海が、きらきら光る。

「子供、好きね」

「ああ、ちっちゃいのがね。俺、あんな連中ならすぐ友だちになれるよ」

 洋はあおむけになって、目を閉じた。額で短い前髪がゆれている。それをホッとした気持ちでながめた。もう少年とはいえない。二年の時間は洋を青年と呼ぶに、十分ふさわしいものにしていた。

中沢けい『海を感じる時』)

 

 二人の会話だけでは聞いている側も煮詰まるが、そこに「二、三人とつれだった子供たち」が、あるいは「波」が動きを与えてくれる。動いているものには、自然と目がいくだろうから、自然な描写である。こんな風に動きのある空間で話させれば、なんでもない会話でも、ぱっと目を風景に転じることが出来る。それが、会話を持たせる話題にもなる。

 実際に自分が誰かと話すときを思い返して、自分たち以外にまったく動きのない空間で話し合うことを想像すると、それだけで気持ちが重くなる。できれば、近くに誰かが歩いているとか、風なり波なり、何らかの自然の動きがあって、風景に時々刻々と変化のある場のほうが、私は話しやすい。室内で向かい合うより、散歩で隣り合うほうが会話は楽だ。途中で見つけたものを指差しながら、互いに感想を言い合うような会話だと、さらに気楽だ。

 もう一例引いてみる。

 

「待った」

「ううん、ちょっとね」

 ひょろ長くのびた手足を、器用に動かして、少し狭いテーブルとイスの間に入ってくる。近づいてきたウェイトレスに「ブルーマウンテン」と注文してから、カバンを自分のわきに置いた。気づかずにいたが、顔にたくさんのにきびの跡がある。私は、にきび面は好きではなかったが、好きになれそうだ。あらためて高野さんを、細かくながめてみる。不思議な翳りを映す目、少しひくく大きめの鼻、しわのないぴっとはった唇。

 ウェイトレスが、ブルーマウンテンを運んできたのをきっかけに、

「話って何」と高野さんがきりだす。

「………………」

 思ったより切口上なのに、とまどってしまった。

「今日のことなんだけれど」

「ああ」

「私ね」

 うつむきかげんになり、声が自然に小さくなってしまう。勇気をつけるために目の前にあったコーヒーをひと口飲む。

「俺、初めてだったんだ」

 高野さんの声もボソボソしたものだった。FM放送が六時を告げる。リクエストアワーがはじまった。「横浜市の○○子さんから××さんへ」アナウンサーがカードを読みあげ、軽快なリズムといっしょに、岩崎宏美が、

「あなた お願いよ

席を立たないで

息がかかるほど そばにいてほしい

あなたが好きなんです

………………」

 澄んだ高い声で、歌いだす。なじみのあるメロディーの底に心が沈んでいく。歌謡曲と同じような恋人たちが、学校の中で量産されては消えていく。だれもいない女の子は、うらやましそうに、並んで歩く二人をながめていた。私は、そんな連中を軽蔑していた。「安易な恋愛なんて無意味よ」そうクラスメートの前で宣言した自分が、いったい高野さんに何を言えばいいのかわからなかった。

「高野さん、私ね、前から……」

 さめたコーヒーの水面に丸い輪の波ができてる。額のあたりに視線を感じている。何かを言わなければならない。大きく息を飲みこんで一気に、声をだしてしまった。

 しかし、それはかすれた小さな声であった。

「前から好きだったんです」

 口の中で苦味を感じた。

中沢けい『海を感じる時』)

 

 人が喫茶店で話すのは、間が持たないときにコーヒーを飲む便利な動作を差し挟めるからかもしれない。ラジオが聞こえたら、そちらに意識を飛ばすことも出来る。一歩間違えれば煮詰まりかねない会話をこなすには、うってつけの場所だろう。告白にも、適した場所らしい。煮詰まった場所では、たしかに「前から好きだったんです」なんて切り出しようがなさそうだし。

 セブンスターである必要はないけれど、煙草も間を持たせやすい。たばこを取り出し、ライターをつけ、煙を吐き、最後には足ですり潰せる。これだけ動作を秘めた道具だからついつい頼ってしまうと、そう語っていたのはたしか桐野夏生である。

 

 最初この文章は、「言う」という動詞はどうすれば避けられるのか、という方法を列挙してみるつもりだった。たとえば上の引用文なら、「言った」ではなく、「声が自然に小さくなってしまう」とか「大きく息を飲みこんで一気に、声をだしてしまった」とか「かすれた小さな声であった」と書けばいい。それはそうだけれど、こういう描写はどう思い付けばいいのかというと、語彙力とか、観察力に帰着してしまいそうだ。

 ひとつ気付いたのは、「言った」ではなくて「いった」と平仮名表記にすると、途端につるりと読めてしまう。「いった」は平仮名、「言った」は漢字とそれだけの違いだけれど、平仮名の重複は気にならない。同じ平仮名を短い間隔で繰り返すことは別に不自然でもなんでもないわけで、それでさらりと読み流せてしまうのだろう。田辺聖子は「いった」の連発を好むが、「言った」ではなく「いった」なのが案外大事なのかもしれない。意外だったのは夏目漱石『門』で、同じ連発でも「云った」は予想外にぎこちなくなってしまう。「言った」は更に字面が複雑だから、繰り返すには余計向かない。

 

 けれども、『海を感じる時』を読んでいるうちに、そもそも「誰某が言った」とか、相手や自分のささやかな動作の描写をいちいち繰り返さなければならないような、そういう「間の持たない空間」に会話を持ち込んでくること自体が不自然なのだろう、と思い始めた。

 もちろん、冒頭に引いたような情報交換の会話では話が変わる。たとえばこの会話には、間を持たせる必要がそもそもない。それだけ、互いが互いに意識注意を払っている。

 

 足もとから、すでに初冬の空気が冷々と登ってくる。

「あんた、いつだった」

 意外な問いかけに、少し意味がわからず、きょとんとした。

「あれだよ」

「十月の十五日」

「ふうん、あぶないのかなあ」

「あぶなくないわ」

「どうして」

「あたし、少し周期が長いから、もう二、三日したら、今月のになるわ」

「あの前はあぶないんじゃないの」

「次の予定の十九日前から十二日前がいけないのよ」

「俺、かんけいないなんて思ってたから、保健の授業なんて忘れちゃってたよ」

「確かだと思うわ、昨日、教科書を見直しておいたから」

中沢けい『海を感じる時』)

 

 会話の舞台は二人が所属する新聞部の部室で、二人以外の描写となると「体育館でバレーボールを練習するかけ声が「ファイトオー」と尾をひき、どこか哀調をおびていた」のと、「葉の散ったイチョウの梢」ぐらいである。でも、この会話はそういう静かな場所のほうがいいのだろう。互いにとって重大な会話だから、間を持たせる必要などないし、意識を散らせる描写などかえって邪魔だ。相手の知りたいことを手早く察し、手短に説明せねばならない。間を持たせなくてはならない、なんでもない会話は動きのある場所で、間を持たせる必要などなく、自然と意識を集中させられる会話なら静かな場所で――とまとめてはみたけれど、日常生活に照らし返せば、ごくごく当たり前という気もする。