作家読みと時間読み(2018文学フリマ告知)

 11月25日の文学フリマ「キ-8」で、清水博子という2013年に45歳で早逝した作家を主題にした本と、2018年の文学賞レビューを同人誌で出します。
 前者は著作六作の感想、清水博子小論、清水博子を読んだあとに書いた小説です。
 後者は熱海凌さんとの共著で、著作八作の感想と、それらを読んだあとに書いた小説が収録してあります。
 
清水博子を読む』76頁(頒布価格:300円)
デザイン:泉尾春(文芸同人『みのまわり』主宰)

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清水博子を読む〕

1.『街の座標』書くことの不潔
2.『ドゥードゥル』少女小説の敵意
3.『処方箋』時間への治癒
4.『ぐずべり』白黒結晶
5.『カギ』検索としての風景
6.『vanity』書くことの清廉

清水博子を書く〕
7.ブック・ガールの臨界点(清水博子小論)

清水博子から書く〕
8.バースデイの転居(小説)

 

『私的文藝年鑑』121頁(頒布価格:500円) 

※URL先はbooth, 電子版/書籍版購入出来ます
デザイン:コンドウフミヒロ

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〔書評〕
1.石井遊佳百年泥』(芥川龍之介賞
記憶への躊躇/小説書きの下には〇〇が埋まっている
2.若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(芥川龍之介賞
八年の一日/おらおらで、さ。
3.保坂和志『こことよそ』(川端康成文学賞
喜ばしい唐突/私的な論理を積み立てる愉しみの小説というサブタイプ
4.古谷田奈月『無限の玄』(三島由紀夫賞
難しい父の処分/魂の引き継ぎ:コペンハーゲン紀行

5.松家仁之『光の犬』( 河合隼雄物語賞 

光の追跡/遡行ーー関係がうまれる瞬間の手ざわりを拾いあつめること 

6.高橋弘希送り火』(芥川龍之介賞
辞書の焼き方/言語世界のクィアな支配者
7.星野智幸『焔』(谷崎潤一郎賞
焔としての描写/メタ論理の追跡者
8.山尾悠子『飛ぶ孔雀』(泉鏡花文学賞
燃焼としての時間/消退・ノスタルジア相転移

〔実作〕
8.その夏の炎症(小説。私が書いています)
9.言語の自律性を利用した余白についての考察(批評。熱海さんが書いています)

 
 引越しの多い仕事なので、部屋に本を溜め込めない。集中的に本を読む時期はあるが、そこを過ぎてしまえば間が空いてしまうことも少なくない。未読の本が溜まると憂鬱になってくるし、部屋の足の踏み場がなくなって困るので、意識してそうしているのもある。人はどうやって次の本を選ぶのか。これは本好きには失笑されて当然の問いで、本屋を歩いて興味を惹いたものは売り場から消える前に早々に確保する、そうすれば自然と溜まって選べるようになる、と答えられるかもしれない。
 ランダムに本との巡り合わせを楽しむ無順序の読書があれば、順番を決めた読み方もある。それで、作家読みと時間読みの話である。

 作家読みは読んで字の如しで、ひとりの作家をデビュー作から順番に読んでいくやり方だ。余程マイナーな作家でなければ(今回取り上げる清水博子ぐらいまでなら)県内取り寄せサービスも含めて市内の図書館で著作は揃うだろうし、古い作家なら古本がインターネットで叩き売られていることも多い。あまりに入手難易度が高い作家ならそもそも名を知る可能性が低い。どんな作家も三冊か四冊読んでいるうちに作者の像や物語のようなものが固まってくる。本と人を同列に語るのは安易な擬人法だろうけど、作者の姿や性格が見えてくる気がする。そして小説は意外と(本人の意識無意識にかかわらず)論理的に書かれているので、ああこの人のこの小説がこうなっているのは、前の小説のこんなところを受けてだな、と流れが読めてくるし、じゃあその次はこんな風に書かれるんじゃないか、と勝手な予想も出来る。
 これが非常に楽しくて、私は読むなら基本的に作家読みである。
 とはいえどのレベルまで読むか、という問題がある。どの程度まで文献を集めるか、とも言える。当然文芸誌に掲載されただけで単行本化されない作品は少なからずあって、しかもそこに作者について考えるうえで大事なものが紛れ込んでいたりする。では全集を読むべきか。インタビューやエッセイはどうするのか。私は、まずは単行本を読んでいくだけでいいかな、と思っている(今後全集が作られる作家も少なくなる気はするし)。全集は分厚すぎて読み切る以前に持ち運ぶのに苦労するし、一冊一冊の達成感がない(私は軟弱な読み手なので、その達成感は非常に大事だと思っている)。まず単行本を読んだあとで、隙間の未単行本化作品や、インタビュー、エッセイに目を通していく、という流れになる。この読み方は、今回の清水博子についての本を作ろうとした過程そのままである。
 作家読みの面白いところは、最初はなんで読んでいるのかわからなくても、次第にその作家を読んだのが必然であったように思えてくるところだ。作家の問題と、自分の問題に共有可能な部分が見つけられる、とも言える。今回読んだ清水博子も、最初はなんでこんな人を読み始めたのかと困ったが、あとから自分の問題に引き付けて、なるほどなあ、という気がしてしまった。
 
 時間読みは、作家読みと対置するから面倒な言い方になっているのだが、要は「その年の文学賞」とか「ある文学賞の作品全部」とか、あるカテゴリーの時系列に沿って作品を読んでいくやり方だ。文芸なら野間新人文芸賞受賞作を第一回から全部読んでいくとか(私は伊藤整文学賞が好きなので是非最初から読んでみたい)2018年の文学賞受賞作を全部読んでいくとか、そういう読みである。これは、ひとりの作家を底まで読んでいく、垂直の読書とは反対に、広く浅く読んでいくやり方だろう。本当は小説家の作品は作家読みでなければ理解出来ない場合が少なくなくて、どう考えても読みは浅くなるしかない。
 とはいえ、たとえば2018年の文学賞受賞作Aで登場してきたモチーフが、たまたま別の受賞作Bで登場してきたりすれば、単なる偶然の一致でしかなくても、何か意味があるような気がしてくる。2018年の受賞作で例示するなら、高橋弘希送り火』(芥川賞)と、星野智幸『焔』(谷崎潤一郎賞)と、山尾悠子『飛ぶ孔雀』(泉鏡花文学賞)に収録された『不燃性について』という三作は、いずれも「火」をモチーフにしている。高橋-星野-山尾の火の取り扱いはもちろん三者三様で、この違いを読むのが楽しい。私は政治的状況と小説の関連を読むのは不得意だが、「火」と2018年の状況を結び付けて読むことも可能なのだろう。

 作家読みは深くとも狭い。合う合わないはあるが、やはり広く浅く読む流れがもう片側になければ、新しい作家に出会うこともない。なかなか手を出し辛い大作であっても、文学賞というくくりで読んでいるのだから仕方ないか、と渋々読み始めることも出来る(でも大作は取り掛かりさえしてしまえば面白く読めてしまう場合が多い)。たとえば私は保坂和志の良い読者ではないけれど、2018年川端康成文学賞を受賞した『こことよそ』は素晴らしい短編だったし、河合速雄物語賞を受賞した松家仁之『光の犬』は、手を出すには勇気が要る長編だが、傑作だ。それから2018年上半期芥川賞を受賞した石井遊佳百年泥』も間違いなく佳品(文学賞読みをしなければまず手に取らなかったと思う)なので、この三作は出来れば他の人にも読んでほしい。
 あとは、本を読む人との話題が増える。「最近読んでる清水博子という作家が良いんですよ」「磯田光一って批評家を読んでいるんですが」で話を始めるのは絶望的に難しいが(私ならこれを振られた瞬間に硬直する)「この前泉鏡花文学賞を獲った山尾悠子の飛ぶ孔雀が良かったんですよ」ならマシである(ベストではないが)。
 単なる箔付けに過ぎないといえばそうかもしれないが、文学賞は要はその年の文芸のベストアルバムである。
 1996年に発売されたシングルのB面の曲の話よりは、2018年のベストアルバムの一曲のほうが遥かに話は弾みやすいだろう。
 
 前置きが長くなったが、今週末の文学フリマで、作家読みと時間読みを本にしたものを同人誌で1冊ずつ出す。

 前者は『清水博子を読む』という72頁の本で、清水博子という早逝した女性作家を題材に選んだ。
 1997年『街の座標』ですばる文学賞を受賞してデビュー、『処方箋』で野間文芸新人賞を受賞、芥川賞の候補になるが二度落選、著作を6冊出すも2013年に45歳の若さで逝去した。野間文芸新人賞というと文学賞では若手の有望作家に与えられる賞(芥川賞の前段階のような言い方をされることもあって、確かに今年芥川賞を受賞した高橋弘希は2017年に野間文芸新人賞を受賞している)で、それなりの評価は間違いなくあった作家だろうが、その死後は急速に存在が忘れられている。近年の作家だから仕方ないが、作家論も文芸誌に掲載された一作のみで(陣野俊史『「書くこと」を書く、その先のこと』すばる2014年2月号)はっきり言ってマイナーである。

 小説が書けない自分、を小説にしようと苦心する作家だった。書けない小説を、面白く書くのは難しい。小説は書くうえでも意外と没入感が大事で、小説を書けずにいる自分を意識してしまうと、なかなか熱のこもった書き方は出来ない。そこで清水は、本当の題材は小説が書けないという事態なのだが、『街の座標』では卒論、『空言』ではメールをうまく書けない、という問題にずらして書いた。そうした転位の描法が結実したのが、清水の最高傑作『亜寒帯』である(『ぐずべり』所収)。
 このあと清水は、自分は小説を書けずにいるが、そもそもそこまで自分が執心する書くこととは何なのかという問に、『ドゥードゥル』で至った。自分は何のために書いているのか。それは端的に鬱病の問であって、『ドゥードゥル』の「わたし」もまた、鬱病に罹患し、書くことについての問を中断する。その「わたし」の辿った過程さながらに、清水はこのあと書くことについて作中で問うことを封印し、鬱病からの治療過程を『処方箋』で描き、『vanity』というウェルメイドな、素朴に面白い小説を描くに至る。もっとも清水はこのあと「デプレッション」(『台所組』)=鬱病に陥る。晩年の作品はもはや小説としての体を成していない。
 芥川賞落選の怨念や同業者への悪口を小説内に書き始めた清水は、2008年の『台所組』を最後に文学の表舞台から姿を消す。
 大学を卒業して九年就職せず、「デプレッション」に罹患し、『街の座標』で受賞しなければ「ひっそりと死」ぬつもりだった清水は、1997年のすばる文学賞受賞で此岸に立ち返ることが出来た。だがそこから九年経った2006年『vanity』以降の清水は、二度目の「デプレッション」からひっそり彼岸へ消えていった。

 本の内容はブログに書いた六冊の著作の感想と、清水博子の未単行本化のインタビュー、エッセイ、小説まで対象に含めた小論『ブック・ガールの臨界点』そして小説の実作である。ブック・ガールは文学少女の意だ。清水は「ながいこと世間を<虚の栄>としか受け止められ」(『カリマツの家』)ず、他人の通俗ぶりを嫌厭しながら、おそらくは他ならぬ自分の俗っぽさをもっとも強く嫌悪していた。たとえば自己愛や虚の栄=vanityに基づくような、いい加減な読み書きを、自他ともに許せなかった。では、そうしたいい加減でない読み書きとは何なのかを、「デプレッション」になる水準まで徹底的に問い詰めたのが、清水博子の「ブック・ガール」の精神だ、という筋である。ともすれば悪口三昧としか読めないのが清水の小説だが(しかも清水の悪口は面白くない)少しでもその潔癖に近い、清廉で在りたいと願った姿が伝わる小論を目指した。
 たぶん2018年現在、他に読んで書く人が誰もいないからだが、清水博子という作家についてもっとも網羅的に書いた文章となっている。おそらくインタビューやエッセイ、未単行本化作品への言及は既存のテキストにはないのではないか。
 表紙や本文中の写真は、文芸同人『みのまわり』主宰の泉尾春さんに、『街の座標』の舞台である下北沢で撮影してもらった。デザインの美しい本に仕上がったので、ぜひまずは表紙で手に取ってもらえたらと思う。そしてもちろんいちばん嬉しいのは、清水博子を実際に読んでもらうことだ。その機縁となれば幸いである。

 後者は『私的文藝年鑑』という121頁の本である。2018年1月から10月まで、計八作の文学賞受賞作のレビューと、著者二人による実作(批評/小説)を収めた。内容の要約は難しいが、2018年の文学という外部に触れ、またそれに触発されて私的な読み書き=作品論/作品が立ち上がる瞬間を記録したい、というコンセプトで書いた(もともとの発想は日本文藝家協会が毎年出版している文藝年鑑だが)。順番としては『私的文藝年鑑』が先行している。本を読み、結果としてそれが本を書くことになる、という素朴なプロセスを意識して実践した、小さな本である。共著を依頼したのは文芸批評に集中的に取り組んできた熱海凌さんである(単独ではまず完成出来る本ではなかった)。これは『みのまわり』という文芸同人の冊子に参加したときに批評を読ませてもらった縁で、結果としてそれぞれの「みのまわり」の時間についての書物が出来上がった。
 二十代は「文藝」を語るには早過ぎる。一方で、「文藝」という仰々しい字面が許されるのも、この年代に限られる気はする。
 デザインを依頼したコンドウフミヒロ氏は、私的なものを題材のひとつとしている以上、ともすれば小さくまとまりかねない装丁に、ソリッドな力強さを与えてくれた。このデザインと拮抗するだけの言葉を書き綴らなくてはならない、そんな緊張感を密かにもたらしてくれた人物でもある。
 『私的文藝年鑑』についてはPDF/epubでの販売も検討している。文学フリマ以降も、是非広く読んでいただければと思う。*1

*1:※2018/12/25追記 上記にある通り、現在は電子版をboothで公開しています

君がいない地上 磯田光一『殉教の美学』について

 

殉教の美学―磯田光一評論集 (1971年)

殉教の美学―磯田光一評論集 (1971年)

 

 

 磯田光一を読むのは単に秋山駿がその死を惜しんでいたのと、『鹿鳴館の系譜』という題名が何年もずっと気になっていたのと、名前の通りが良いなあ、顏が格好いいな、というぐらいである(馬鹿である)。私が本というか、人を読み始めるきっかけはいつもその程度で、読む必然性は(清水博子でそうだったように)後からついてくるのだが、読み始めにはもちろん全然立ち上がってこない。だから読むのに苦労するわけだが、三島由紀夫論である『殉教の美学』は、私が三島由紀夫のまともな読者でないことを差し引いても、九割五分は面白くない。私が読んだのは、結果的には三島の死のあとに刊行された1971年の再増補版であるが(小沢書店から出た作品集で読んだ)たぶん旧版であれば投げ出していたと思う。新版に収録された、三島の死を受けて書かれた「『豊穣の海』論」と「太陽神と鉄の悪意」という二編は、たぶん磯田がまったく意図しない、どころかおそらくは磯田自身が嫌悪した私小説的なプロセスを以て、異様な輝きを放っている。というか、ここにしか本書の価値はない、とすら思う。
 後述するが、磯田は1970年の三島の死を以て、突如として三島と同じ「戦後」の立場を生きることになった。しかも、三島のようなヒロイックな殉教的行為なくして、突然に「荒野」へと置かれた。死のうとして死に損なった三島のようなものだ。しかも、その三島の死は、人に馬鹿げている、とあらかじめ謗られるのを前提したような、複数の先読みを包含した行為であり、批判にしろ擁護にしろ、その批評を嘲笑するに等しい行為だった。少なくとも磯田にはそう聞こえた。

 三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格そのものである。
 三島氏の文学と思想とを貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。
(「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死」『磯田光一作品集1』p.134)

 三島が不可能な理想を、不可能と理解しながらそれに殉じて死ぬ「殉教の美学」を小説の中で繰り返し実践し、最後には殆ど「すさまじい悪意」に似た嘲弄を以て、現実において実践する姿を目の当たりにさせられたとき、さあ、お前はどう読む、と突き付けられたような気がしたに違いない。
 おそらく、磯田の生きた批評はこの地点から始まった。再出発を強いられた、というのが正確だろう。『殉教の美学』の増補部分、すなわち「『豊穣の海』論」と「太陽神と鉄の悪意」にあるのは、三島を批評することの困難だ。1970年以前の磯田は、三島への敬意はあっただろうが、基本的にその論は明快で、容易く批評している、と言っていい。どの作品の評も、最後に行き着くのは「日本人のこころ」か「思想の相対性」か「殉教の美学」である。たぶんこれは私が経時的に作家を読んで順々に感想を書いていくのが好きだから猶更そう思うのだろうが、磯田の三島批評は硬直している。三島の著作を時間をかけて読んだのであれば、当然三島のほうにも作家的な変質があるだろうし、いくら著作としてまとめるにしても、磯田のほうにも何がしかの飛躍があるのが普通だろう。
 ところが磯田はそうは書かなかった。むしろ、単一の「美学」のみを書くに留まった。三島がどれだけ新しい作品を書こうが、あくまで静的なモデルに沿って読んでいた。一つのパターンに落とし込んで、その正しさを繰り返し自分で証明しているだけのようなものだ。職業的批評家だから、あるいは三島由紀夫をジャーナリスティックに論評している以上、そのモデルに固執することは仕方がない、という言い方は可能である。しかしこれは、(あくまで磯田から読んだ三島、の範囲に限って判断するならば)三島自身の「白」に代表される「理想」のディティールが、単一の光であって、その具体的な細部を検討されないのとおそらく並列の事態であると思う。
 遠過ぎる理想は細部が見えない。裏返せば、細部から理想とするその対象が別の方法で読み直される、ということは、遠い理想においてはあり得ないのである。

 1970年以降の磯田は、(もちろん労作であったには違いないから達成感はあっただろうが)そうして理解したつもりになっていた三島からの手痛い、それも実人生を賭けてまでの反撃に遭った。お前は『殉教の美学』を容易に語ることは出来ただろうが、ではそれを実人生でぶつけられたときに、果たして同じ言葉で語れるか。不可能なるものを遠点に置き、不可能だと理解しながらそのために死して喜ぶのが「殉教」であるとすれば、磯田は、突然に、それも「死」のような劇的な結末なくして、突如として三島の死という不可能なものを突き付けられたのである。「殉教の美学」については、たとえば『盗賊』の評が典型的である。

 彼らは「愛」の幻影に殉じることのむなしさを知らないではない。しかし「生」を意味づける原理を欠いたことの索漠たる人生が、幻影に比べてどれだけの価値を誇り得るというのか。無意味な混沌の中にたたずむよりは、自ら築いた生活原理のために殉じ、「死」を通じて「生」の意味を確認した方が、まだしも意味があると言えるのではないか。しかも『盗賊』の幻影が、外からの所与の「幻影」でなく、現実の対極に自ら築いた「幻影」であるという点に注目する必要がある。……『林房雄論』の言葉をかりて言えば「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、青空と雲とによる地上の否定」にほかならぬ。
(「殉教の美学」同p.25)

 絶対的な理想を遠点に置きながら、その理想がもはや虚しいことは理解している。しかし、理想なき現実が、果たして幻影としての理想より生きる価値のある場なのか。第一には空しさのために、第二には「地上」を否定する抗議のために、第三にはおそらく現実からそれ以上理想が穢されぬように、三島の登場人物たちは「殉死」へ向かう。その死は「自己破壊的な否定」だが、『憂国』の麗子のように「狂ほしい幸福」が潜んでいる。それを「強靭な知性によって対象化するところ」が「三島の本質的な独創」であると、磯田は読んだ。つまり磯田からすれば、三島は殉死の「狂ほしい幸福」を理解しながら、それを否定し得る足腰の人物であった。

 安田與重郎を評して、「自分の人生と思想をドラマにしてしまうことが、いかに恐しく、また戦慄的で、また魅惑的であるか」と語る三島は、一方、生活の芸術化の旋律的な甘美さ(彼はそれを戦時下に味わったはずである)に心をひかれつつも、それを否定すること(太宰治への嫌悪はここに通じる)に、自己の文学の基礎を置いたのである。
(「殉教の美学」同p.53)

 これは、結果的には誤読だった。磯田の読みが甘かったのだと批判をしたいのではない。文学者の予言が当たった外れたと、あれこれ言うのは私は好かない。ただ、実際には「人生と思想」を「殉死」のドラマに変換させてしまった三島に、なぜ磯田が「知性によって対象化する」ベクトルを読んだのかは想像したくなる。たぶん、磯田にとっては、三島由紀夫こそが「現実の対極に自ら築いた」「幻影」すなわち理想の存在に等しかった。戦後ヒューマニズムを嫌悪した(「人間の解放をめざす近代リアリズム」に三島の言葉を借りて「社長になりたいといふ欲求」を読む磯田の嫌悪は、今日にもよくある事態だろう。私には、なんとなく気にくわない、との差異が掴めない嫌い方である)磯田にとって、それを「退屈」とし否定出来た三島は、理想の「太陽神」に近い存在だった。殉死者はいつかは「愛」の幻影によって破滅するかもしれないが、しかし、その「愛」の故に生き延びる時間があるだろう。磯田は、三島という「太陽」の言葉から現実を読み返すことで、耐え難い現実を幾分か明るいものに変えられたのではないか。
 その読みが、いかに真摯であろうが本質的には愚かしい「殉死」を「対象化」し、遠い距離で描いていたはずの三島自身によって、完全に破壊された。
 私は三島の『喜びの琴』を読んでいない。だから、磯田が『喜びの琴』の片桐を評して、「既成の反共知識のりこになっている片桐にとって現実の動向は、すべて彼の信じる図式によって意味づけられたものでしかない。(……)しかし、ここで注意すべきは、片桐が軽薄であるにもかかわらず、外から歌えられた思想を信じ、そしてそれを生き、彼なりの生の充足を味わっている」といって、その「思想」を教えた松村について触れていないのが、どこまで正しいのかはわからない。しかし一般に、思想への信仰と、それを教える師への敬意は、分かち難いのではないか。でなければ、松村に裏切られた片桐が、どうしてその「思想」まで「打ち砕かれる」のか説明がつかない。

 

 三島にとって、「美しい夭折」の可能性を与えてくれた戦争は、加害者というよりはやはり「恩寵」と呼ぶにふさわしいものであった。
 (……)自分の世界が閉ざされた特殊世界ということさえ感じられない悲劇的な状況の中においては、必然に貫かれた「美しい夭折」こそ、「自由」のための必須の前提条件でさえあった。戦時下の三島由紀夫は、ちょうど「神」と「来世」によって生死を意味づけることのできた中世人が、その奴隷的境遇にもかかわらず幸福だったのと同じような意味で、ひとつの緊張した充足感の中にいた、と言うことができる。
 (……)三島の不幸は、そして彼の本質的な悲劇は、「生」と「死」とを意味づける原理の崩壊によって、つまり、彼から「美しい夭折」の可能性をうばった「敗戦」によってもたらされたものである。そして、彼を作家たらしたものも、この「不幸」以外の何ものでもなかった。それは「絶対に自殺できない不幸」であり、また世界そのものが意味を喪失して、のっぺらぼうな均質な存在に化してしまった状況の中で、ともかくも「現実の相対性」に耐えてゆかなければならない不幸でもあった。
 (……)三島由紀夫吉本隆明の世代にあっては、「中世」こそが「青春」を意味したのであり、「中世」の崩壊は、そのまま彼らの生と死を意味づける原理の崩壊、言いかえれば「青春」の挫折と喪失とを意味するものであった。
(「殉教の美学」同p.19-21)

 もちろん磯田にとって三島が生死を「意味づける原理」とするのは言い過ぎである。しかし、三島のような作家がいるならまだまだ捨てたもんじゃない、と思っていたのは間違いない。磯田もまた「絶対に自殺できない不幸」を体験した。三島の死に殉死するのは絶対的に馬鹿馬鹿しい。だが、磯田のヒューマニズムへの嫌悪、という土台を支えたのは三島という存在だったのではないか。磯田が三島の死をもって直面したのは「思想の相対性」に再び耐えなければならない事態、「思想」を委ねていたに等しい三島という師の決定的な「自己否定」であった。それは、「恩寵」を失った戦後と、よく似た時間だったのではないか。

 「太陽神と鉄の悪意」にあるのは、1970年以前の明快さの喪失と、困惑と、それでも三島の死を批評しようとする意地である。
 末尾を結ぶ装飾的な弔辞は読むに堪えないが、それも磯田なりの最後の意地である、と言っていい。
 死んでしまえば終わりだ、という極々日常的な発想を、1970年以前の磯田は批判出来ただろう。たぶん1970年以降の磯田には出来ない。それが人間が死ぬということで、私も知っている人間に死なれてから自殺を書くことが出来なくなり、他人の小説に書かれた自殺をよく読めなくなった。そのとき磯田は殉教のない「戦後」へ突然突入させられた。磯田は三島の『林房雄論』を「三島由紀夫の随一」の「私評論」であるという。「半ば他人事のように描かれた思想劇が、自らの内面の課題と密接につながり」「はじめて歴史を生きる自己の個体の問題として問われる」とき、それは評論ではなく私評論となる。
 人は書きたくて私小説を書くのではなく、それを拒否していてもついに書かずには居られない地点へ追い込まれるのが私小説作家ではないか、と私は勝手に考えているが(清水博子がそうであるように)たぶん磯田光一においても、同じような現象があったと思う。優れた私小説を書く条件のひとつは、たぶん告白を嫌うことだ。

 たとえばここに、Aという男がいるとしよう。Aが心のなかに苦しみをもっているとき、B、C、D、Eという他人は、Aの苦しみを他人に聞いてもらう権利があるであろうか。少くとも個人が等しい価値をもつ存在であるかぎり、作家が自分の苦悩の告白をそのまま芸術上の真実の根拠にすることは、所詮は彼のうぬぼれにすぎぬのではないか。
(「戦後的反逆の文学」同p.87)

 私には「太陽神と鉄の悪意」に書かれた内容はほとんど理解出来ない。いや、表面的には多少わかるが、そんなことで人間が死んでたまるか、という気持ちになる。『殉教の美学』の静的な三島像となんとか接続しようとして、失敗してしまっているようにも思う。ただ、「私にとって三島由紀夫氏の存在は、まぎれもなく戦後精神の象徴だったのである」(p.141)といい、「生き残った私は、ある"渇き"をいだきつつ、現世の汚濁のなかで、私自身の道を行くであろう」と書きながら、三島の自死に「幻想から遮断されているがゆえに、何ものかへの渇きを秘め、しかも中途半端な幻想にひたっている人々にたいする、すさまじい呪詛」を読むとき、「恩寵」を失い、「青春」に挫折し、その喪失に「自殺はできない」磯田の、ほかならぬ「私評論」の息吹を感じはする。

書くことの清廉 ――清水博子『vanity』について

 

vanity

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  これまでの清水の小説の総決算である。総決算とは一個の終焉であり、本来であれば、そこからまた歩き始める出発点である。したがって、清水は、この『vanity』から別の小説へ歩き始めるはずだった、と書くべきである。しかし、清水博子が自殺者らしいということを差し引いても、そうとはとても思えない。
 『街の座標』と『ぐずべり』の下北沢・北海道の風土描写、『ドゥードゥル』の戯画性、『処方箋』の時間感覚と恋愛小説の筆致、『カギ』の風俗小説(自分がいま生きている風俗の記録、という意味で)の手法と、これまでの小説の技法が『vanity』には集積されている。実際には清水はこの小説のあとも、中短編を何本か文芸誌に掲載している。したがって『vanity』を遺作と呼ぶべきかは厳密には難しい。
 それでもこれは、清水博子の遺作である、と言い切りたい。

 清水博子の最高傑作は『亜寒帯』である。これは揺るぎない。技法的には『vanity』が優れていても、清水博子にとってもっとも重要な問は、小説を書くことに難儀する自分はどのようにして小説になるのか、というその一点だったのではないか、とあらためて思う。
 それは私小説の問題だ。ここまで長々書いていてあまりに今更だが、清水博子の本質は私小説作家だった。
 たとえば『街の座標』で自分を語るその自意識の俗悪さに舌打ちするのも、たとえば『カギ』が、「よく考えるのを躊躇してきた日々のつまらない出来事が、文字にする過程でなにかべつのものに変化してくれればとあわく期待」する妹の俗悪さを描き出すのも、根を同じくする私小説作家の自嘲だ。自分はどうすれば小説になるのか、の自分を、小説を書く自分、にそのまま置き換えただけである。
 自分は面白い、と少しでも自分を許せるのであれば、人はフィクションを書き続けられる。
 『vanity』の関西弁に倣えば、そこは「おもろい」人間の領域である。
 清水に限らず、私小説作家の風景描写は輝く。むかし南木佳士という私小説作家(と厳密に呼べるかは、これまた『vanity』を遺作と呼んでいいのかどうかと同じぐらい判断に悩むが)を集中的に読んでいたことがあったが、私小説作家は内面や日常の出来事や自分の俗悪さ(道徳的な、あるいはみみっちさに対する自己反省と同義だろう)ではなくて、風景描写で輝く。これは論理ではなく、単に観察だ。しかし、自分というのは本質的に面白みのない人間であり、自分の時間とは「日々のつまらない出来事」だというのが、私小説作家の自己認識なのではないか。そのとき、自分や自分の属する時間や出来事と離れた風景が、瞳の中で輝くのは、ごく自然な生理だろう。自分について書くほどに、風景は自分から遠ざかる。故に眩しい。
 私小説の欲望のひとつは、自分を書くことで、自分より遠い光を視ることではないか。

 物語としての小説は「空き巣」と「火事」から始まる。後者は『処方箋』の終盤を飾る挿話である。この冒頭の、「百七十箇月」という精密な時間のカウントも、『処方箋』からの流れを受けたものだ。

 画子は鶴巻町の自室で空き巣に遭った。その後、隣室がペットの小鳥を燻製にする小火をだし、窓際で寝ていた画子も燻製になりかけた。身をよせる場所がない、と米国に留学中の恋人に相談すると、かっこちゃんほんならうちつこたらええやん、とすすめられた。いきがかりじょう百七十箇月間つづけた独居を離れ、恋人の生まれ育った家で婚約者候補として遇されることになった。(p.1)

 画子は、かくこ、と読む。書く子、ではない。たぶん清水自身、書くべきは風景の描写である、という認識が、描写を排した『カギ』からあったのではないか。書く題材が神戸の山の手のマダムの『vanity』なのだから、ここで風景描写を捨ててしまえば、行き着くのは『カギ』の世界だ。清水がvanityを批判し続けるのは、世俗への嫌悪というよりは、実際には自分のなかに根付く、書くことに伴うvanityへの攻撃意識だったのではないか。世俗を批判することほど世俗的でくだらないものはないし、実際清水の世俗批判は、大して面白くないのである。誰にでも攻撃できるものを攻撃しているだけ、という気がする。私にはここまで清水がvanityへの敵意を燃やし続ける理由がわからなかった。根拠はなにもなく、妄想に等しいが、仮に清水がただ自分のvanityを憎んでいたのであれば、頭の中の説明に、筋が通りはする。

 おたくを使わせてもらってなにをすればいいの、と問うと、行儀みならいでもしといたら、と恋人はのんびり云う。(p.4)

 「六甲の山ン中」の「恋人の母親であるマダム」に「行儀」を習う、それが小説の物語だ。もちろんその「行儀」とはvanityそのものなのだから、実際に清水博子=画子は耐えられるわけもないし、そこに『カギ』より洗練された精神的嫌がらせの描写が滑り込んでくる。
 行儀を習うとは、異文化との衝突であるし、小説の王道だろう。
 『vanity』とは、清水博子がそのまま小説の「行儀」を勉強する小説でもある。かなり失礼な物言いなのは承知なうえで、『vanity』以前の清水は、たとえ描写が得意でも、描写と物語の混合物としての「小説」はやはり苦手だったのではないか、と結論するしかない。印象的なエピソードの羅列があろうが、たとえば『カギ』の日記の日付のように、定まった時間形式にはめ込まれていようが、物語を内に孕む小説は、それだけではうまくいきにくい。『vanity』は違う。これは、ごく率直に、ウェルメイドな小説である。私には確信は持てないが、谷崎潤一郎に「行儀」を教わった結果かもしれない。

 うちに帰ってきて部屋の温度がちょうどいいっていいわね、とマダムが云えば、タイマーですから、と画子は応じ、夕食のあとゆっくりお茶を飲むなんてなかなかないの、と云われれば、給湯器ですから、と応じる。マダムは笑わない。あたぁしが雨戸を開けなくても朝日が入るっていいわね、とマダムがつぶやけば、雨戸の開け閉てのうるさい娘として否認されたことになる。(p.11)

 「あたぁしが雨戸を開けなくても朝日が入るっていいわね」が「否認」になるのは単に嫌味なのだが、清水博子のヒロインたちがしばしば躓くのは、これに代表されるような意味の多義性である。『ドゥードゥル』や『処方箋』の主人公たちが妄想に苛まれるのは、ひとつの言葉や出来事から際限なく意味が拡張するからである。このマダムの「否認」は、清水博子のヒロインにとっては、もっとも相性の悪い物言いだろう(もっとも清水には限らないだろうが)。
 だから小説は、最初から清水博子=画子が、「マダム」の曖昧な物言いに挫折することを運命付けている。
 『vanity』は清水が歩いてきた小説の回想であり、総決算である。したがって、『vanity』に登場する歯科治療の場面も、『街の座標』のそれに重ね合わせて読まずにはいられない。後者の歯科治療は、「白い紙に鉛筆の芯を押し当て文字のかたちに黒い微粒子を残していくことと、黒く蝕まれた部分を金属の尖端で削り取って白い歯を掘りあてていくことは、本質的におなじ」とされた。清水が歩いてきたのは、変則的ではあるが、私小説の道程だ。「蝕まれた」不浄な部分が削り取られ、「白い歯」に変じていくとは、「日々のつまらない出来事が、文字にする過程でなにかべつのものに変化」していく過程と同一だろう。

 疼痛は虫歯のせいではなかった。すでに神経を抜きかぶせものをしてある奥歯の根が膿んでいたため、かぶせものをはずし根の治療をし、最終的には型をとりあらたにかぶせものをする、と慎一郎の親友の義弟である院長が、画子の歯茎のレントゲン撮影写真をかかげながら説明した。(……)いったんかぶせものをはずし根に薬を注入しないかぎり痛みはおさまらないと宣告された。
 (……)いやおうなく金属のドリルが入ってきて回転をはじめた。画子は自身の口腔が粘膜の天幕がはられた空洞であることを感知した。するどい痛みはないが、熱い圧覚があった。自覚しえない箇所にあたえられる刺激に画子は朦朧とした。(p.92-93)

 同じ歯でも病変部位が違う。『街の座標』は「虫歯」だが、『vanity』の歯はすでに「神経」を抜いてあって、それでもなお溜まる「奥歯の根」の膿瘍である。歯科治療が探索的に書くことであり、清水において書くことが私小説を書くことならば、本来「神経」が感じる「痛み」とは、端的に書き難い自分、目を覆いたくなるようなvanityに直面させられる苦痛だろう。しかし、画子には最早「するどい痛み」を感じる神経が無い。自分をあたかも他人のように語る詐術を、たとえば麻酔と喩えていい。物語の麻酔のなかで、他人について記しているつもりになって、思いがけない自分の「自覚しえない箇所」を研削するのも、小説の日常風景だろう。最初は痛む。しかし、麻酔に慣れればそれは「熱い圧覚」へと成り下がる。
 清水は常に鋭さを求めていた。
 清水が厭うのは鈍麻した神経であり、鈍麻した自意識であり、鈍麻した物語なのだ。だから清水の小説はいつも知覚過敏であり、自己反省に苛まれ、物語とは別の現実を選ぶ。
 どんなに愚鈍な現実であろうが、そこには小説にはない「するどい痛み」があるからだ。
 
 それは、あまりにも清廉過ぎやしないか。
 自殺者に対して、清廉、という形容をするのは生きている人間の傲慢だ。こんな才能があったはずだとか、こんな作品が書けたはずだという夢想も、私は同様に好かない。単なる後出しである。だがそれでも、物語を拒み、優れた私小説作家に発展できたはずの清水が、途中でその生を断念しなければならなかったのは、この「するどい痛み」と「熱い圧覚」を敏感に区別出来てしまう才覚の故ではなかったか、とつい思ってしまう。「かぶせものをはずし根の治療をし、最終的には型をとりあらたにかぶせものをする」とは、ある人には治癒として聞こえ、ある人には膿瘍と「熱い圧覚」の反復するという、不治の事態に聞こえる。
 『街の座標』を読み終えた時点で、私は清水博子がどうやら自殺者らしいと知っていた。清水が『ドゥードゥル』で世俗としての物語を批判し続ける態度を見て、だから彼女は書けなくなったのだ、と安易に考えた。しかし『処方箋』以降の清水は、むしろその物語に順応していった。「行儀」を見習った、と言ってもいい。その清水が『vanity』を実質的な遺作として命を絶たねばならなかったのは、作品が文芸誌の誌面に掲載されなかったのも間違いなくあっただろうが、それ以上に、鋭さへの欲望が作用したのではないか。
 自殺は、見ている側が嫌になるぐらい、鋭い変化だろう。
 自殺は単に病気だ、と結論するのが良識だが、その思い切りの良さには、一種の清廉さがある。あってしまう(あってほしくない)。人は、自分で馬鹿馬鹿しいと思っていてもなお、自殺者へ自然に清さを見出してしまう。あるいは、こんな描写である。

 画子の生まれた白いコンクリートの街に陰翳はない。不潔にまみれたくてもまみれようがない。ことに夏は団地に陽が反射し、どこもかしこも眼が痛くなるほどまばゆい。光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面では、痴漢がときどきあらわれ、交通事故が多発し、屋上から飛び降りた人間が屍となる。有機物と化した自殺者は腐敗するまえにほうむられ、人格のありようは保留される。ひととしてどう生きるかなどという大事は問われぬまま、白い壁にへだてられた時たちが刻まれていく。(p.75)

 「光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面」は、絶対的に鋭い陽で「眼」を突き刺す。死の側に属するその眩い地点は、しかし「人格」に代表される生の不潔にまみれることもなく、「ひととしてどう生きるか」と立派な「大事」を押し付けてくることもなく、ただ静かな「時」を与えてくれる。
 清水はこのときおそらく、鈍重な「不潔」と鋭い「陽」の境界地点に立っていた。微細な因子の積み重ねが、清水を平等に、どちらの位置にも運ばせたと思うのは、終わりからの後読みに過ぎない。

 画子にはなにもない。かっこちゃんは虚無だ、と元恋人が云ったとおり、三十二歳になってもなにもないのがいまや取り柄なのだ。もし虚無などと断定されれば眉間に皺をよせ唇をとがらせ反論した二十代が終わってほんとうによかった。(p.97)

 人は、口では自分は「虚無」のように言っていても、内実ではさしてそうは思わないはずだ。虚無だと思える自分は、少なくともその瀬戸際で何がしか中身のある人物のように感じるはずだし、私はそれをつまらない意地っ張りとは考えない。しかし、清水はたぶん、本当に「なにもない」と、ただ清廉に考えていた。
 「虚無などと断定されれば眉間に皺をよせ唇をとがらせ反論」するのは、正直にそう考えられてしまう人にだけ許される特権だ。「なにもない」と他人に突き付けられて、そうかもしれない、と弱気な笑いを装い、本当になにもないな、と自分で思いながら、しかし相手に合わせてやるつもりで、どこかにそうではない自分の余裕を見出すのが、卑怯であろうが、自然な心の動作だろう。間違いなく、それでいいはずなのだ。
 書くことの不潔から出発した清水は、たぶん書くことの清廉を夢見ていた。そんなものはあり得ない。だから清水の夢は、どこか少女小説じみている。だから清く、だから「光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面」のように、底知れない。清水博子に今もってその小説を読む価値があるとすれば、不潔な言葉の世界に広がる、夢の清さ、そして底を覗くことが躊躇われるような、その眩い鋭さなのだろう。【了】

紙に沈む字 清水博子『カギ』について

 

カギ

カギ

 

  傑作のあとの、模索のための一作、と位置付けられる。
 谷崎潤一郎の『鍵』に題材を取った小説で、互いの日記を盗み読む姉妹が主役となる。姉は金持ちの未亡人でマンションを資産に有し、時折株に触れ、サラリーマン家庭の専業主婦である妹は、現在の生活に満足せず、姉に嫉妬を覚えている。嫉妬の原因は、単に生活の格差だけでなく、夫が姉にも気があるように感じているのにもある。疑念と嫉妬は、清水博子において繰り返されるモチーフだ。妹は「無限のかたがたにごらんいただくことを励みに」(p.3)ブログを書き始める。「よく考えるのを躊躇してきた日々のつまらない出来事が、文字にする過程でなにかべつのものに変化してくれればとあわく期待」するのは、書けない人の最後の拠り所に近いかもしれない。とはいえ、二人があからさまに小説を書き出すようなことはないし、書けないことへの苦労が自家中毒的に書かれることもない。そこにあるのは、中流以上の人々の、平凡な生活雑記の域を出ない。もちろん他人の日記を盗み読むということは、その秘密のくだらなさは十分承知のうえで、しかも何故か面白いという不思議な経験ではあるし、日記を盗み読む女たちは、そのまま小説を読む私たちの姿でもある。無関係な他人の秘密を主題にした物語は世の中に溢れていて、私だって、秘密の暴かれた瞬間にちょっと興奮を覚えずにいられない。そうした主婦たちの日記は、同じようにインターネットに書くしかない主婦たちを読者にしているのだろう(本当のところはよく知らないが)し、そこには作中の妹のように、「vanity」があるに違いない。実際に作中で姉が散々に書くように、粗末な自意識から成る書き物を戯画的に取り扱うのも、清水博子の使い慣れた道具である。
 清水博子の小説を一種の描写中毒だとすれば、それは自己開示の中毒、といっていいのかもしれない。
 もっとも、自意識、という言葉は、あまりにぞんざいに扱われ過ぎてはいる。こうした毒々しい目線は、『ぐずべり』以前、とりわけ『ドゥードゥル』にあったものだし、清水博子の小説からそんなものを読んでも仕方がない。もっと巧みに書ける人間がいくらでもいるし、また自意識という主題は、書き易いわりになんだか歯切れが悪い悪口か、それを振り切るために極端な戯画化に踏み込もうとして無残に失敗に終わることが多い気がする。たぶんこれは、ほかならぬ小説の読み書きにおいて自意識を振り払えないあたりに起因して、そのジレンマは他ならぬ清水博子が『ドゥードゥル』で示したような、苦い自画像、という形式でしか解消できないのではないか。
 小説的な技術の巧みさは、『街の座標』から比較すれば格段に成長している。読みやすさと言い換えてもいい。日記の特性として、時間感覚は無理にでも刻まずにいられない。どうしても時間感覚=物語の秩序を失いがちな清水がこの形式を採用したのは自然であるし、また場面を細密に書き過ぎる清水博子のヒロインたちに、「疲れ」という上限を持ち込むのも正しい。だから本作は、ここまで私が読んできた五作の小説のなかでは、もっとも生理的に読みやすい。

 問のないところに傑作は生まれにくい。
 傑作とはその人の生きてきた問への一個の解答であり、『ぐずべり』の、とりわけ『亜寒帯』が、書くこと自体を小説にするにはどうすればいいのか、という問を見事に作品化しているのは既に書いた通りだが、『カギ』には同じ問は見えてこない。もちろん、同じ問に二度答える必要はない。
 裏返せば、私たちは『カギ』から第二の問、あるいはその可能性を読まなくてはならない。『ぐずべり』以前と比較して、明らかにこの小説で捨てられているのは、描写である。意識的な封印、と言っていい。土地の土地らしさ、物の物らしさ、といったその固有のリアリティはどうすれば書けるのか、という『街の座標』からその文体を支えてきた問は一旦放棄されて、表層的なブランドや地名や料理の名の羅列に言葉が尽くされる。したがって、『カギ』という小説を考えるにあたっては、次のような問を鍵に考えなくてはならない。なぜ清水は『カギ』において描写を捨て、固有名や単なる品目の羅列に文体を切り替えたのか。
 そして、そこから清水は何を探し求めようとしたのか。
 そもそも描写とは何なのか。 
 思えば多くの小説において描写は不要品である。小説は何か、と訊かれたら私は物語と文体=描写の組み合わせだ、とたぶん暫定的に答えはするけれども、それは文芸寄りの回答であって、実際には文体=描写がほとんどないか、単に慣例として書き込んでいるだけの小説のほうが世間においては多いだろう。新奇な舞台設定には説明としての描写が必要だろうが、では、私たちが見慣れているはずの風景にまでわざわざ描写を必要とするのは何故か。たとえばコンビニ前と書けば誰だってその風景を想像するのに、そこに冴えない白いライトバンが律儀に横並びになっているとか、家庭用ゴミは持ち込まないでくださいと掲示されたゴミ箱から、何が入っているのかわからないビニール袋が不潔に突き出しているとか、そういうことをわざわざ書くとき、何が起きているのか。もちろん、描写に意味が存在するのは、文体=描写と、物語における問とが重ね合わされるときだ、とこれもまた、一応は答えることが出来る(小説における没入感に楽しみを見いだせないのでこんな貧相な答えが出てくるのだが)。たとえばその完成形が、『ぐずべり』の「白」と「黒」の描写だろう。
 別の答えとして、風景描写とは、それ自体が問を探り出す手つきになり得る。たとえばなにか恐ろしげな描写をしているとき、そこには書く人が自分なりの恐れの対象を見つめようとする意識が潜んでいる、と言い換えていい。先行する恐怖があるからか、それを催させる描写があるから恐怖の対象へ意識が向かうのか、その順番自体に意味はないが、描写とは主題を探し出そうとする意識だ、と言える(こんな読みは、いかにも文学を独学でかじった人間がしそうなものだが)。
 だから、描写をスキップして物語からいきなり始めるのは、オープニングの短い映画のようなもので、読み手には親切かもしれないが、(特に物語以外の小説を)書く人には選びにくい手段だ。かつて宇野千代が、小説を書き始めるには窓から見える風景を書き出すだけでいい、と豪語した文章を読んだことがあって記憶に残っているが、確かに小説を書くうえで安定するのは、物語ではなくて描写から始めるほうである(もちろん、ちゃんと物語を考え抜いて書けるのであればそんな無意味な苦労は必要ないのだろうが)。

 裏返せば、描写の欠如とは主題の欠如に、かなり近い。主題には物語のほうから与えられるものと、文体=描写のほうから浮かび上がってくるものがあって、前者の主題を意識的に拒むとき、いわゆる文芸小説が出てくる可能性が高いだろうが、『カギ』という小説はこの文体=描写が欠如している。日常のよしなしごとを書くばかりで、どうにも作者がそういう主題に向いている気がしてこない。というか、そうした日常雑記を小説にするのであれば、強みは自分が生きて見た風景の描写ではないか。
 確かに姉妹の性格は悪いかもしれないが、この程度の卑しさはありふれているし、第一私にもあるし、もっと言えば卑しさの描写というのは実は清水は然程得意でない気がする。笑える細部はあるし、独り者のエッセイスト、という枠に安住出来そうな優れた表現もある。そこを紹介してやり過ごすのもいいし、実際それがこの小説の魅力ではあるのだが、個人の我儘として、清水博子には、そんな風にいてほしくない。
 とはいえ、問の端緒、欲望の欠片のようなものはある。地名、ブランド名、種目名が意味するところは、それがその言葉だけで終わる、というところだ。たとえばこんな記述である。

 姉のおみまいに行ってきました。
 ソニーミュージックエンターテイメントに勤める友人に連絡しましたが外出中。
 マリナ・ド・ブルボンでひとり飲むパッションフルーツのお茶もいいものです。
 一階のミューゼ・ド・ウジのスーツをみましたが、着る機会はなさそうです。
 インテリアショップでテーブルクロスとランチョンマットのセットを注文しました。
(p.23)

 妹の文章はこうした「vanity」の空虚さが主題なのだが、よくよく考えてみれば、ここには感情による形容は殆どない。「マリナ・ド・ブルボンでひとり飲むパッションフルーツのお茶」は、「いい」という価値判断はあるが、「マリナ・ド・ブルボンでひとり飲むパッションフルーツのお茶」と言われれば、そこで描写が無くても、そういうものなのだな、と納得してしまう。これは、実のところ、外界に目を向けるに際して、「きれい、といって言葉に躰を預けるやり口も、きたない、といって言葉で身を守るやりくち」をも拒み、「なにも考えずながめてい」たいという『ぐずべり』における藍田亜子=清水博子の願いの、別の経路での達成である、といえる。マリナ・ド・ブルボンという字面はたんなる気取った、虚飾の文字列と言われればそれまでだが、フランス語をろくに知らない私が、なんだか勝手で浅ましい美しさを感じてしまうのは、否定しにくい。そのとき私が見ているのは、「なにも考えずながめて」いられる言葉ではないか。

 『ぐずべり』はその「風景」を全て細密画のように言葉にしていったが、『カギ』は「風景」を固有名詞に帰することで、その描写を省略する。『ぐずべり』の藍田亜子であれば、いちいち紅茶の色がどうとか、カップがどうとか、店員の態度がどうとか書き込んでいったに違いないが、厳密には、描写にも価値判断を差し挟む言葉に「躰を預ける」「身を守る」のと変わらないような、選択の目つきがある。その選択の偏差から、感情としての主題が産まれる、といっていいかもしれない。それをも拒むことは、思考的な厳密さ、と呼べはする。けれど、その偏差なくして小説における描写=主題は立ち上がってこない。 
 裏返せば、『カギ』という小説は、まさにその描写の放棄をもって、描写がどういう欲望を意味していたのか、という自己試問だったのではないか。それは、ともすれば「マリナ・ド・ブルボン」という固有名の羅列に帰着しかねない願いでもある。もちろん小説家の能力として、描写に頼らない、単に出来事だけで小説が書けるかという問もあっただろうが、それについては、やはり清水の美質は描写である、と結論しないわけにはいかない。『ぐずべり』において、描写の可能性の、一個の底まで辿り着いた清水博子が、それとは別の問の可能性を模索した過程が『カギ』である。小説の結末は、2002年の時間的な終わりに際して強制的に打ち切られるが、これ自体、検索の断念である、とも読める。あるいはその続きは、『vanity』という清水博子最後の小説に期待してもいいのかもしれないが、ともかく『カギ』は次作のための、準備段階に相当する小説だろう。しかし、清水博子に触れるうえでは、もっとも手には取り易い一作ではある。

 ところで、マリナ・ド・ブルボンとは本当はフランスの香水店で、日本の紅茶ブランドが名を借りていたらしい。金色の紅茶缶はウェッジウッドを想わせるような、シックな青と水色のストライプが美しいが、今は花水木という本来の会社の名前に戻って、まるで喉飴の包装紙のような、ずいぶん味気ないデザインに変わってしまっている。恵比寿のティーハウスが残っていれば、たぶん今週末にでも喜々として「マリナ・ド・ブルボンでひとり飲むパッションフルーツのお茶」に口をつけただろうけど、残念ながら今は筑波に洋館風の本店があるだけのようだ。紅茶だけで筑波は遠いが、「マリナ・ド・ブルボンでひとり飲むパッションフルーツのお茶」が、あるいは雑誌や陶器の固有の名が、ひとつひとつgoogleで検索して既に実在しないことを確認し、今はもう小説の字面としてのみ沈殿しているのを上から見下ろしていると、ダムの底を覗くような気分になる。固有の名の消滅は、検索なくしては簡単には知り得ないのではないか(もしインターネットがなかったら、私が清水博子という作家を読み始めることはなかったかもしれない)。他愛のない紅茶店の閉業でも、インターネットはすべて記憶に留めてしまう。『カギ』という一種の通俗小説がインターネットについて書かれたものだとして、私が本当に読むべきなのは、いつまでも忘れられずにいる遠い物々の終わりの、その不思議な切なさかもしれない。【了】

白黒結晶 清水博子『ぐずべり』について

 

ぐずべり

ぐずべり

 

  傑作である。清水博子を読むならこの一冊、と決めていいかもしれない(まだあと二冊残っている)。そして清水博子の不運のひとつは、本書でなく『処方箋』で野間文芸新人賞を獲得したことだと思う。賞の受賞作よりもその前後のほうが素晴らしい、とは文芸では実にありふれたことで、それを強調するのも今更の感しかないが、しかし清水博子はやはり本書で何がしかの賞を得るべきだったのではないかと惜しくてならない。とりわけ、収録作のうちの、『亜寒帯』で。
 小説の書かれた時期を厳密に考えるのは難しいし、まして清水博子のような作家に、そのような史料は期待しにくい。完成と掲載までのタイムラグも当然あるだろう。つい最近亡くなったばかりだから、あるいはその正確な日付を知るのはさほど難しくないのかもしれないが、『ぐずべり』に収録された二作はいずれも群像の掲載作で、『亜寒帯』は1999年、表題作は2002年。『処方箋』は2001年にすばるに掲載された小説だから、『ぐずべり』はちょうど『処方箋』という、半ば清水自身の治癒過程じみた小説の、その前後を収録した本になる。病前と病後、と呼ぶのは言葉遊びに過ぎないが、『亜寒帯』と『ぐずべり』は、それぞれ『ドゥードゥル』と『処方箋』で清水博子が追い求めたものの結晶である、と先に結論出来る。

 前者は物語を疎い、描写のみで成立可能な小説を追及していくベクトルであり、それが北海道という特異な地(思い返せば私は驚くぐらい北海道が舞台の小説を読んでいない)そして十三歳という特異な時間の描写へと結実する。描写だけで小説を作り上げていきたいなら、特別なもの、自分に古く根ざしたものを描写していくのは自然だし、それは『街の座標』の、ある土地の息遣いはどうすれば書けるのか、という問を正しく生きた結果でもあるだろう。過去形・現在形・未来形の時制のバリエーションが絡み合い、あるいは少女以外、時には物体にも視点が飛んでいくのもまた、物語以外で小説に動きを与えようとする、描写小説の試みと見て差し支えないはずだ。つまり、『亜寒帯』は『街の座標』から『ドゥードゥル』において体現し切れなかったものの達成、といえる。もちろん『ドゥードゥル』の戯画性も多少は引き継いでいるが、それは少女の毒舌、というしっくりくる形式に落とし込まれている。
 後者は物語の許容であり、時間感覚の獲得である。その典型として、清水が書くのは『亜寒帯』と同じ藍田相子の属する、一族の家族史である。たぶん『処方箋』以前の清水博子であれば、そのような試みは許さなかっただろう。たとえば、『亜寒帯』の藍田亜子が、こう厭うように。

 結婚したくない、というこざかしい返答で藍田が隠そうとしたのは、家庭の事情が語られることへの戸惑いだった。父親の死、母親の死、兄弟姉妹の死は、ひとの子であればだれもが経験するありふれた場面でしかないのに、家族を亡くしたひとは喪失を埋め合わせるために物語をはじめずにいられないらしい。親が子に自分の親の死を聞かせ、その子が親の死を悲しみ、さらにはいつか孫がだれかの親となり死が語り継がれる。家庭の物語の循環は無限であり、ましてやそれらがすべて文章に綴られ流布する事態を想像すると、途方もなく死にたくなる。藍田はいまもこれからも家族の死を書くつもりはないし、書かれずにすむよう家族を持ちたくない。(P.44)

 実際に『ぐずべり』の家族史をどう捉えるかは難しい。家族史が単なる事実の列挙から成り立つから描きたかったのか、それとも物語でしかない家族史の些末な事項を書き連ねることで無化させたかったのかは、この小説だけでは判断が難しい。あるいは、両方かもしれない、と思う。
 前者に通じるのは、たとえば「ゆらぐ光の風景」を、「きれい、といって言葉に躰を預けるやり口も、きたない、といって言葉で身を守るやりくち」も通過せずに「なにも考えずながめているのがよかった」『亜寒帯』の藍田亜子の態度である。それは単なる女子中学生の自己嫌悪ではなくて、清水博子の文体に潜む願望そのものだろうと思う。感情による形容を差し挟むことなく、「なにも考えずながめている」対象の複雑さ、その立ち上がり揺らぎを全て書き表していきたいという夢想は、清水博子の、煩瑣であるが時に透明といっていいほど澄んだ文体に通じる。たとえば、次に引く『亜寒帯』の書き出しは、私が読んできた清水博子の言葉では、いちばん響く。心のなかに留めて、諳んじれるようにしておきたいぐらいだ。


 タイマーの設定時刻ちょうどにストーブが着火し、サーモスタットが作動し温風が吹きだし、机につくねられた本の頁をめくり、冷えきっていた窓枠がしだいに露で覆われ、遠くからやってきた除雪車が窓枠の端に入り、室内を暖める石油を備蓄した屋外タンクのまえをのろのろと通り過ぎ、そのうしろからあらわれた黒い犬がならされたばかりの雪をえぐって駆け出すがすぐにまた駆けるのに厭きたようにたちどまり、路肩に引かれたての轍を一足跳びし、また薄暗いうちからエンジンがかけられた無人の自家用車を一周して去り、そうしておもてで動くものはすっかりなくなり、二重窓で遮断された部屋のストーブは舌打ちのような音をたてながら室温をあげていき、外壁と内壁のあいだに埋められた触れれば皮膚に微細な傷をつける断寒材が熱をふくみ、燃えさかっていた炎が種火となり、窓枠の露がついに雫となって本の頁にしたたりおち、滴のレンズの作用で文字の輪郭がゆがみ、昨夜読まれることのなかった文字がぼやけ、水のしみた頁をゆっくりと裏返して温風がとまり、部屋はもうすっかり暖まっているのに、藍田の家の娘はまだ睡っている。(p.5)

 ここで「着火」するのは小説であり、たとえ「藍田の家の娘」が「睡って」いたとしても、世界には微細な動作が満ち溢れている。紙の白を覆い潰すかのようなその列挙は、「言葉に躰を預け」るのでもなく、「きたない、といって言葉で身を守る」のでもなく(これは清水なりの自己反省かもしれない)ただ植物図鑑の頁をめくるような楽しさがある。何でもない少女の部屋に、『亜寒帯』の火と風と水が動いていて、もちろん日々生きているうえでは気にも留めないような細かな現象だろうが、そこに目の焦点が合う。他人の眼が乗り移ってくるような面白さは、小説のひとつの本態だろう。あるいは、ここには、なんとかして小説を動かしていこう、という清水なりのいじましい「タイマー」がある。

 寝ても醒めても、おなじみぶりの繰り返しにすぎない。寝ても醒めても、雪はまっすぐにひっきりなしに降っていて、いつ降りはじめたかもいつ降りやむかもわからず、だからだれも雪のことなど意識しない。(p.6)

 『亜寒帯』の力学は、仄かな思慕を抱く相手の「牛乳色の外套」や、あるいは雪に代表される「白」と、石炭やバレンタインの「黒い菓子」(この形象の重なりは、清水なら眉を顰めるだろうが、美しい)に代表される「黒」から成る。書かれない空白の白、書かれる文字の黒、のせめぎ合いと読んでもいいだろう。小説は書かれないこと、書かれたことの渦として読める。
 『亜寒帯』は、白と黒の物語である。最後は石炭の黒に汚された藍田亜子が、憧れていた女が「牛乳色の外套」を脱ぎ去って、不倫相手と車で走り去っていくのを目撃する場面で終わる。白から黒とは、書く動作そのものである。清水博子が度々失敗してきた、書く動作自体を小説として結晶化させようとする試みは、『亜寒帯』において完成している。あるいは、白から黒とは、書かれない世界の丸裸の姿が、言葉によって汚れていく流れでもある。『街の座標』で経血と言葉が不潔さにおいて結び付けられたように、ほぼ描写されないに等しいが、『亜寒帯』は初潮の小説でもある。
 初潮について言外に書かれた小説は、たとえば津村節子の『茜色の戦記』のように、普通は「赤」を主題の色に選ぶだろう。そこに「黒」を選ぶのが、清水博子の非凡さだ。

 ひとつ興味深い点を挙げておきたい。動物の立ち位置だ。藍田亜子が美術室で昼食のパンを食べさせている猫の「ニキ」は、「二毛つまり白と黒のまじりあった鼠色」として描かれる。書く黒と書かれない白のせめぎ合いとは、徹頭徹尾、人間の世界の出来事でしかない。清水がこの「鼠色」の動物の方向性に書き進めていけば、あるいは別の発展があったのではないかと思う。清水なら、こんな妄想は真っ先に馬鹿にするだろうが。
 美術室の石炭ストーブは、「赤くなり、熱くなり、蒸気を発し、黒い石を薬のような白い粉末に変える、そんな金属の塊」(p.54)である。「黒」の石炭を「白」の灰へ変換するのが炎である。書かれた言葉は覆されない。初潮は引き返せない。本当であれば、白は黒に塗り潰される。「白」の側に位置していたはずの女が、不浄の世界へ消えていくのを目撃した、その小説の最後の文章を読み返す。

もう帰るきっかけなど見出せはしないのだと、藍田はちいさな絶望をひとついだいたが、後年記憶に残りつづけるのは、絶望感ではなく、女の愚痴でもなく、この日の大胆ともいえる自身の行動でもなく、写真館特有の薬品のにおいでもなく、牛乳色の外套の女のことですらなく、ストーブの通気口からのぞいていた石炭の熛火だけだった。(p.80) 

 ここで「石炭の熛火」が記憶に焼き付くのは、それが黒から白へ逆戻りしていく装置だからだ。初潮なくしては、疎ましい妊娠も結婚もあり得ない。言葉なくして書くことの苦しみもないだろうし、感情を宿した形容詞で(たとえば受け止められない経血が垂れ落ちるように)世界を汚すこともない。だから藍田相子=清水博子においては、白から黒へと巻き戻す「石炭ストーブ」が、夢の機械として立ち現れてくる。幻である。故に甘い。『亜寒帯』は、そんな苦味を湛えた、少女小説の傑作である。

茜色の戦記 (新潮文庫)

茜色の戦記 (新潮文庫)

 

 

LONG APOLOGY LETTER 笠井康平『私的なものへの配慮 No.3』の私的な感想

shitekinamono|いぬのせなか座

 

 この理論と描写と私小説の混合物について感想を書くべきか、正直かなり迷った。まず小説以外について書くのがどういうことなのかさっぱりわからないのである。あと、理論と描写の部分がよくわからない。
 たとえば批評を批評するとき、普通はその正誤の検証か、台詞の長い登場人物を人物論として論ずるのが普通だとは思うが、私には批評なんか書けないので、小説と同じように感想を書くことになる。
 小説について書くときにある程度小説の中身がわかると実感するのがそもそも妄想なのだが、一応は小説を書いてきてはいるので、小説の内部の仕掛けを覗き込むことは出来る(ような気がしている)。「これはこんな風に書かれたに違いない」という妄想を、とんでもない厚顔無恥で晒すことも何故か出来てしまう。少なくとも、自分がまた書くときの手がかりを、記憶として本のなかに仕込むことぐらいは出来るようだ。
 私は小説について原稿用紙10枚分ぐらいは楽しく書けるが、評論は書いた経験がない。
 しかも、作中に書かれた「彼」を、たぶん一般の読者よりは近い距離で知っていて、作中の「僕」がそうであるように、ある程度の時間の積み重ねがあったところでその死をうまく遠くに置けているかというと、帰りの電車で「彼」の小説評とツイッターの引用を見て、一度本を閉じるぐらいには出来ていない。

 それでも書くのには理由がある。
 第一に、作者に上石神井でおごってもらったイタリア料理の店がうまかった。これは大事なことで、一宿一飯という言い回しがある。先輩ならおごるのが自然かもしれないが、私も出しますよ、と言い挟みようがない完璧な所作の流れがあった。大体、二人合わせて八千円か一万円ぐらいだったと思う。ブルーチーズのリゾットがおいしかった。
 第二に油断である。清水博子(全然物語を書こうとしない)や、高橋弘希儀礼的に物語をちゃんと書き込んでいる)の小説を読んでも物語部分にはあまり目がいかないのだから、批評の本筋とは別の部分を読んで感想も書いていいんじゃないかと、軽率にも思い込んだ。
 第三はスケールの小さな野望だ。批評についても原稿用紙10枚ぐらい書けてしまえたら、「小説家を読む」ではなくて「批評家を読む」も出来そうだ(私は前々から秋山駿のお友達ということで磯田光一を読みたかったのだがずっと放置していた。著作数も少なくてよい)。
 第四は反省。私も「彼」の死について何回か不躾に小説に書こうとして大失敗していて、この私小説=私批評もその部分についてはいまいちうまくいってはいなさそうというあたり、やはり読み飛ばせない、つまり書きながらでなければ読みたくないものがある。解決出来ていない問題は小説にしても面白くないんだよ、と私の信頼している友人が私のだめな小説を読んで、さらりと鋭い感想を漏らしたことがあった。
 第五は恩義。読み手がいなくて当たり前の清水博子についての感想を、著者がときどきツイッターで星を付けてくれる。第六も同じく。清水博子の『処方箋』を読んで、著者がそのイタリア料理店で感想をくれた。第七は器物破損。二三年ほど著者から借り続けていた『金と芸術』を私はまったく読んでおらず、しかも本の取り扱いが粗暴極まるせいで、乳白色のカバーが薄汚れ擦り切れていた(大変勝手だけれども、これを読んでいる人は私が何を言っても絶対に文学書は貸さないようにしてください。医学書は今すぐ必要な場合なので貸してください)。Amazonで緊急に取り寄せてすり替えればよかったものを、その労すら怠った。
 要するに、書かない理由より書く理由のほうが圧倒的に多かったので、書くことにした(こんなイントロダクションを読まされた作者はたまったものじゃないだろう。私も本当に嫌なのだが書きものに関わるとなると途端に幼稚さを丸出しにする人種がいて、私がそうである)。

 ただし、私にはこの本に書かれていることはよくわからない。特に言語処理云々、個人情報の取り扱い云々はわからないし、興味が持てない(すいません)。また興味がない人間にわかるように書いているとも思えない(わかるように書く必要はないし、これは私がよくわからない部分を退けるときに使う常套句である)。じゃあ小説なら書いてあることがわかるのかというと、清水博子の作品はあまり分かってないままに読み進め書き進めているので、とりあえず『私的なものへの配慮 No.3』について書き進めていってもさしあたり問題はないだろう(誰の? と『私的なものへの配慮 No.3』の著者なら注釈を付けるんだろうか?)。
 たぶん本書について正確な感想はインターネットのどこかにあるはずなので、そういうのが読みたい人はちゃんとそっちに当たってほしい。清水博子の感想が正確な感想かというと、もちろんそんなことはない。
 
 長いイントロになった。私的な感想でなければ、「小説は告白的な書き出しから始まる」の部分より上は全部削除している。ともかく私の話なんかはどうでもいいので(清水博子も自分の話をする前は緊張して戯画に頼っていたように思うが)ともかく本書を読まなければならない。もうひとつ先んじて言い訳しておくなら、ここまで既にたくさんの注釈を重ねたのは本書の信じ難いほどみっともないパロディを試みたのではなくて、私はもともと括弧の注釈が多いのである。人前に晒すときは、だいたいは外すけど。

 小説(便宜的にそう呼ぶ)は告白的な書き出しから始まる。

 彼の死んだ日がいつかを僕は知らない。だけどほとんど僕が死なせたようなものだから、それだけは忘れないうちに書き残すことを許してほしい。だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか。その種の文章を記名で公表することを僕は僕に禁じている。だれに強いられたわけではないが、僕はそれをまだ認められないからだ。(p.2)

  

 まず出発点は「彼」の死だ。「ほとんど僕が死なせたようなもの」だから、彼は自殺だろう(自殺である)。気になるのは、この時点で既にたくさんの微細な注釈があるにもかかわらず、「その種の文章」が何なのかは分からないことだ。「その種の文章」は、たぶん本来は記名で公表すべきもので、自然に読むならこの文章はそう見なすのが当たり前のジャンルであり、さらに「僕」は記名での公表は出来ずにいる(公表しなくても書いてはいた)。その種の文章とは何か、そこが肝心の注釈してほしい箇所なのだが、そこは名指せない。しかしその種の文章の、少なくとも空気を纏ったものを書かずにはいられないようである。

 ひとつは、告白、ではないかと思う(あるいははp.22に風景描写、とはあるのだが、訂正しない)。
 清水博子を引くまでもなく、告白にはなにか嫌味な意識が伴うように見える(そしてそれは大概考えすぎで、世間のほうが余程読み書きに嫌味な自意識を持っているが、それは意識に苦しむ人に言ってもしょうがない)。どこか演技しているようで白々しいと、ほかならぬ自分にそう聞こえてくる。だから私批評=告白の書き手は、いつもまず自分に対して嫌味っぽい。なんだ、その馬鹿げた告白は。いい気になって。そういう苦いドラマがあるから、私批評=告白には切迫したリアリティがある。書くことに後ろ向きの迷いがありながら、しかし語る言葉によって否応なく前へ引きずられていく、そういう苦戦がある。
 「だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか」。
 そんなのは読む側の知ったことではなくて、「その種の文章」と見なすに決まっているんだろう。そんなのを書く側が理解していないはずがない。それでも口にしなければならない。それを苦さと取るか、甘さと取るかは難しい。裏返せば、どうやらこれは、(題名に書いてある通り)私的な文章なのだろう。そこは、まず間違いない。しかし、別に『いぬのせなか座』が製本するまでもなく、作者は「だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか」と書きつけたのではないか(この部分に限らず、私の妄想が外れていたときは、出来ればそのままにして何も言わないでほしい)。
 
 気にし過ぎであるとは、あまりに冷たい言葉だ。
 気にし過ぎだよと、通りがかる人が声をかけたくなる人の内面、私的な心の部分には、他人の眼の影、あるいは過去の視線の記憶が、嫌というほど入り込んでいる。読み手としての私はこの「僕」と「彼」に何があったかはわからない(個人としての私は一応一部を知ってはいるが)。
 「僕」と「彼」の間に、何があったのか。ともかく「彼」は自殺したわけだが、二人はボードゲームを始める(私の知る「彼」の部屋にはボードゲームカタンがあった)。

 一度も彼に勝てなかった。負けるたびに「逃げ場がないね」と苦笑された。そのとき僕は彼が死ぬと分かった。(……)しばらく前から死にそうだった。だから忠告したが、聞き入れられなかった。それきり介入をやめた。止める気になれなかった。訃報が届いたその夜は、何も知らずにいたひとたちが驚き、悲しんだ。隠していたのだから無理もない。彼が会った最後の人は僕だと人伝てに聞いた。
 だから僕はいまもずっと怒っている。そうだと信じたい。(p.5-6)

 

 この部分には「嘘」と「事実で異なる」部分が入り混じっている、と注釈される。小説的誇張であって、実際に苦笑で人の死を感知出来る事態は、私はさして自然だとは思わない(そういうこともあるかもしれないが、私は鈍いので絶対にわからないだろう)。それきり介入をやめるしかない。何故なら「僕は彼にとって他人だから」。それが公的な答えだ。でも「介入をやめた」には「なぜ?」が差し挟まる。それは死、故に浮かんでくる問だ。裏返せば、自殺という終わりは、後から無数の問と注釈を挿入してくる。
 何か出来たとは思わない。実際に出来なかったのだから、そんな問いは無意味である。それが良識、公的な答えだ。僕は、だれに怒っているのか? もっとも安易な答えは僕自身である。でも「いまもずっと」というような、小説的な、強烈な感情のプラトーは現実にはなかなかない。だから「いまもずっと」には、「嘘だ」と二回、注釈される(そんな風に実際にそのとき怒っていたならこんな文章は書けない)。不意に上り詰めてくる波のように、予想の出来ない周期で、「なぜ?」が浮き上がってくる。それが傷だろう。

 この話はこれでおしまい。
 明日からはどうでもいいことを書かせてください。(p.55)

  

 もちろん書けるわけがないが(あるいはここから書かれた部分を「どうでもいい」とすべて流してもいいのかもしれないが)そんなことはどうでもいい。大事なのは「この文書に時間の流れはあるのだろうか」という注釈だ。明日からはどうでもいいことを書かせてくださいと、何度となく願った。「なぜ?」に答えはない(そのとき秋山駿は問い自体を歩くのが大事だと禅問答のようなことを言って私を困らせた。『私小説という人生』は、ひょっとすると秋山の代表作なのかもしれないが、困った本である)。「なぜ?」はどうでもいいことを書かせてくれない。急性の病は速やかに苦しみが終わり、慢性の病は気にするような苦しみでもないのだから病なんてなんてことない、とエピクロスの言にあったと思う(南木佳士が読んでいたから私も読んだ)。
 「なぜ?」は慢性であり急性である。ある日突然姿を現し、そしてしばらく待てば消えはするが、いつそそれが訪れるかは分からない。基礎の苦しみと、発作の苦しみの複合物である。
 そんなことは誰にでも分かりきっている。

 私はこの話をずっと読みたいのだが、それは無理な注文だろう。このあと小説は世界の誰かがなにかを書いて、だれかひとりの「僕」に辿り着く確率の希少さと、しかしその確率の隙間を這いくぐって、ほとんど偶然か奇跡のように世界のどこかで爆発した書き物たちを描く――ハリーポッター、フィフィティ・シェイズ、あるいはハウサ語の小説(ハウサ語がどこの言葉かは知らない)。日本語における「不死であるべき」マスターピースの出現周期と、人が生涯に何冊分の情報量を消費出来るかの試算と(200万冊ぐらいかも、とのこと)、そうした計算における恣意の偏差について触れる。

 

 日本語の自然言語処理にはすでに十分な技術蓄積がある。足りないのはよく整った言語資源と、それを正しく扱えるひとだ。社会がそのコストを支払ってもよいと思えば話は進む。
 言葉の古びを乗り越えて、分かりやすい「ものさし」を作り出し、何かしら「目盛り」を数える過不足ない「考え方」を思いつく者があらわれ、時代ごとの語彙の「揺らぎ」を調整し尽くせられば、あとは費用と期間と効用の問題に収束させられる。遺伝子の読み書きより安上がりだろう。速やかに改善されてほしい。幾人もの頭脳が、その短い半生を、せいぜい数千冊の書籍を翻訳し、解読し、註釈をつけ、その解釈で言い争い、証拠探しに世界中の書庫を巡り歩くことに費やさなくて済む。代わりに「ものさし」が起用される。正しい「ものさし」は愚かだが誤らない。彼女は真面目に仕事をこなしてくれる。(p.14)

 私は「自然言語処理」に通じていないのでここは何を書いているのかよくわからない。しかし、「註釈」にはともかく「こうすること」と註釈がついていて、裏返せばどうやら「ものさし」がないから、「こうする」他ないらしい。機械的に狂わずテキストを評価できる示準、のようなものが想定されているように見える。それは「比喩じゃな」い水準で実現出来る、ようである。
「なぜこの文章は優れているか」を答えてくれるものではないか。
 その彼女が、「なぜ自分はあのとき彼に介入しなかった」を答えてくれるものに似ているかは、私にはわからない。
 小説は過去、2014年の自分の言葉を注釈する。

 

 「理論的には、ある文章の優れ具合は規定できる。すべての文章の優れ具合を定められなくとも、すべての文章の優れ具合を定める手続きを作り上げられる。あらゆる文章が含む、他の文章とくらべて特徴的なところをすべて数え上げたうえで記録、いつでも取り出せるものさしのようにしておいて、個々の文章にそのすべてのものさしをあてがって、どのものさしではどう測れるかを書きとめればそれでよい。裏返せば、優れた文章とは「これ」だと名指すことはできないと、この帰結からわかる。
 (……)僕の怯えに過ぎないが、ともあれ僕たちはいよいよ、ひとつの物語について物語るとき、一人のひととしてその物語へ向き合う姿勢を捨てなければ、ひとつの物語をさえ満足に物語れなくなる気がしてならないのだ」
 いまだに吐き気がする。僕は僕を殺そうとしていたのだ。僕が生み出すすべての記載とあらゆる読解は嘘をついた。それを嫌った僕は、それを直視できない僕をこの世から消し去りたかった。代わりに彼が死んだ。(p.16-17) 

 実は私には2014年の「僕」が何故この怯えを抱いたのかわからない。「一人のひととしてその物語へ向き合う姿勢」の他の姿勢が思い付かないからだ。そしてまた、その怯えの理由は、たぶんここに書かれている言葉からは読んで汲み上げることは出来ない。だから、ここからは小説には書かれていない部分の読み、つまりは妄想になる(この感想全部がほぼそれに近いが)。小説の固有性というか、その小説独自のパターンが読み取れず、すべての小説が均質に似たり寄ったりに見えるとき、私はそれは疲弊だと思っている。たとえばある批評が全てポエムのようにしか見えてこなかったり、ある小説をはいはいどうせフェミニズム、労働、私小説、政権批判だね、としか読めなかったりするとき、人は疲れている。大事なのは似通っているように見える二組の、微細であるがしかし際立つ特異性である。言い換えれば特異性を際立たせる、微細な可能性を発見し拓く読みにこそ価値がある(私はこれを山城むつみから読んだ)。
 本当は、満足に物語るなんて口にすべきではない。出来るわけがないからだ。しかしそうした疲弊に大して、しばらく距離を取れ、とは言えない。これは私の経験であって、2015-16年で小説に苛まれたとき、私にはすべての批評と小説が同じものを書いたようにしか見えなかった。書店に入るのが苦痛だった。そんな過去の私に、「小説に疲れているみたいだからちょっと距離を取ったほうがいい」と口にして、受け入れたとはとても思えない。しかし全部似たり寄ったりのものを書いているという妄執が、仮に理論によって裏付けられたように体感してしまったのだとしたら、精神の疲弊は長期化するのではないか、と思う。ちなみに私の場合、それは適当に読みかじった精神分析の本だった。中井久夫を読んだり認知療法の本を読み漁ったりして、自己治癒を試みたが、馬鹿じゃないかと思う。しかし当時は真剣だったのだ。馬鹿である。
 この妄想が、この小説の「吐き気」と近い距離にあるかは、わからない。

 「みんなそのグループのもとで今後十年ほどは活動するのだと考えいぬのせなか座の理論的中心に据えた大江健三郎論も最初はその雑誌から依頼されていたがそのグループがあるとき突然なくなったというのがこれもまた私がいぬのせなか座をはじめざるをえないきっかけのひとつだった大学の先輩」を僕はいつまでも許せないと思う。(p.37)

 

 これには注釈が必要で、「大学の先輩」とは小説のなかの僕のことであり、私も「その雑誌」にちょっとした思い出の文章を載せてもらう予定だったのだが、これが「あるとき突然なくなった」のも見た。その当時私が小説で難儀していたのもあり、「君は呪われてるね」と、自殺した彼が、文学フリマの会場で苦笑していたのが忘れられない。呪われているのは先輩のほうだろ、と正直今なら思う。
 会場で見た僕は疲れていた。長い謝罪の手紙も来た。学生だった私は睡眠は取れていますかと返事した。馬鹿である。企画の進行に遅れがあり、どうも僕が相当の穴埋めをしたようだと私は後に聞き知って、それは、先輩が悪いわけないじゃないか、と思った。今でも思っている。でも、その企画に小説の評を送った当の私が、締切に間に合ったかどうか記憶がない。gmailの記録を探ればきっとわかる。薄っぺらい、定型的な謝罪を山盛りにした粗末な手紙が出てきたら、ちょっと落ち着いていられない。それは先輩が責任に感じるようなことじゃないですよね、とイタリア料理店で私が言うと、彼は困り気味に笑った。自分を責めなければ誰かを責めるしかない(私が小説を放り投げた原因のひとつを、内心、自殺した彼に押し付けたように)ような場合に、じゃあ自分でいいです、と手を挙げる人がいる。仕方なかったでは済まない場合である。
 そんな選択以前に、犯人は自分です、と言い出す人がいる。たしかに、編集長とは責任のある立場で、責任とはどうしようもなくなった場合に重みが生じてくる。『私的なものへの配慮 No.3』を受け取った丸善の袋には、「その雑誌」が一緒に入っていた。遅くなって申し訳ありませんが、と僕は丁寧に言った。
 でも本当は私は「その雑誌」を受け取っていた。「これ、どうせ捨てちゃうんだから、持っていきなよ」と彼がこっそり手渡してくれたのだった。白い袋に横積みになって入っていた。卒業アルバムの、処分に困る、あの面倒な重さを連想した。だいたい鞄にうまく入らない。友人S(解決していない問題は小説にはあまりならない、と先に言った友人)に「見た目は普通そうだった」とLINEした。会場でインドカレーと卵の揚げ物を食べたあと、私が酷い手紙を送りつけることになる人(あまりに最悪過ぎてこのことは未だに何度も思い出す。私が人の作品をまず批判しないのはこの経験からもある)とタリーズでお茶をした。
 「その雑誌」が廃刊されていなかったら「彼」は自殺しなかったか。
 そんな問は作中にはない。

 このあと小説は、僕が日本語を捨てたい、と序盤で夢見た理由を明かしたり("この国の法律で「私」とは、個人が社会として守るべき「自由」ではない。「活用」すべき有用性を持つ「利益」"の源泉である。語られない日本の「私」は、明白な実用主義に根ざした取り扱いを受ける" だと思うのだが違うかもしれない、個人情報云々は私にはあまり興味が持てない。本当はこういう中規模以上のテーマと、「彼」の自殺というマイナーな問題が結び付く場所を探り当てたかったのだが、私には出来なかったし、仮に自分が書くとしたら、やっぱりそういう手法は採用しない気もする)彼の言葉を引用したりする。たとえば、「その雑誌」に寄せた書評。たとえば、彼のツイート。 

「あたまがぼうっとする」と彼は書いた。
 僕はそれを読んだ。(p.60)

 

 これは彼が最後に呟いた言葉だ。
 田無を過ぎたあたりの電車でこの部分に差し掛かったとき、私は本を閉じ、丸善の袋ごと部屋の入り口からいちばん遠いベットの柱に括り付け、日曜日に清水博子の『処方箋』を読み、月曜、伊東屋で買った緑の鞄に、このサイズを取る本を無理に押し込んで自転車に乗った。
 そんなのはどうでもいい。小説に戻ろう。ちょっと歪んだ引用をする。

 掘り出し方さえ分かれば、さまざまな土地へ降りて、設計図と現場のずれを確かめられる。どの層がいつまで、どれほど分厚かったのかも。記念になりそうなものも出土するだろう。化石のような流星群、生き延びた細菌、洗われた背骨、散らばる鉱石。その何をどこまで不死と思うかはみんなの気分が決めることだ。記憶された記録の操作が平面を切りとるのだから、気分とは額縁の大きさで、その大きさの操作は私的なものへの配慮と変わらない。
 だとすれば、文字で作られたものの歴史のなかで、彼女が探すべき土地はどこにあるか。
 いつか旅してほしいのは、図像の複製と投影の技術が映像産業の急速な勃興を促した一方で、学校教育の全国的な普及に伴うメディア消費文化の広がりが、印刷技術の化学低下に後押しされて新しい表現運動を準備し、離陸させ、墜落させた(Ⅰ:1920年代)の(Ⅱ:日本)だ。
 読み手・書き手の人口とリテラシーが安定して増加するなかで、(Ⅲ:時空を丸ごと描写し記録しようと試みる、採算と効率を度外視した長期の実験が、先進各国で相次ぐ終わりを迎えていた)。その最中にいた読み手と書き手が世界に感じた「気分」と「手ざわり」はきっと、(Ⅳ:インターネットの民主化-商用化、ソーシャルメディアの日用化、モバイル端末の小型化と処理高速化、クラウドサービスの高機能化、センサー端末の価格低下、データ分析や機械学習の民間普及、セキュリティ監視や暗号化、匿名化の技術革新)を僕たちが経験したあとの「いやな感じ」に似たところがある。
 事実なら有益な空想だ。どの時代を生きた読み手も書き手も、「じゃないけど、似たもの」を、その時代に根ざした言葉でものにすれば、何か新しくて、大切で、得がたいものを手にできると、どこかで信じていた「みたいに」思えるから。これは愚かな僕の末恋だ。(p.65-66) 

 ⅠからⅣはそれぞれ註釈の部分を当てはめた。Ⅰは■■■■、Ⅱは■■と表記され、Ⅲは中国語、Ⅳは英語。「図像の複製と投影の技術が映像産業の急速な勃興を促した一方で、学校教育の全国的な普及に伴うメディア消費文化の広がりが、印刷技術の化学低下に後押しされて新しい表現運動を準備し、離陸させ、墜落」させた現象は、1920年代の日本以外でも、中国やアメリカ以外でも、「ナイジェリア連邦共和国」(p.8)でも繰り返されてきたことだろう。その「準備」と「離陸」はいつだって眩しい。

 それに似た熱は、時間が違っていても、「その雑誌」にはあっただろうと思っている。同じ種類の温度か、近い距離の温度かは、根拠をもっては断言出来ない。苦笑されるかも。
 ともかくそれを未だに現在として生きている国もあって、たとえば新潮クレスト・ブックスとか白水社の書物に、熱っぽい言葉が乗ってやってくることもあるだろう。私はここの「未恋」には賛同出来なくて、たぶんそれは私的な興味でしかものを読み書きしていないからなんだろう(じゃなかったら清水博子の感想なんか馬鹿みたいに書かないし)。私のそれは狭い庭を家庭菜園と呼ぶような書き物であり、作中の言葉を借りるならたぶん「私語」(p.62)に相当するだろうから、信じていた、みたいに、の苦味は、自分の舌では感じられない。別に小説のすべての描写を自分の身体で味わう必要はない。
 ただそのような苦さがあることは、理解出来る、つもりでいる。
 それは傲慢だ。「睡眠は取れていますか」と書き送ったころからさして変わりはしない。取れてるわけないだろ。私はそのあと僕に会うたびに何回かその質問を繰り返した。たぶん、三回はしただろう。

 青年期を迎えた市場は、実験と高級と量産と共創と反抗がごちゃごちゃに混ざり合う。だれにも全貌の知れない地域文化を絶えまなく噴き出し、つなぎ止め、溜め込んで行く。その光景はおよそ百年前に、蔦谷重三郎が自身の箱庭に作り上げた空間の猥雑さを思い出させる。大友家持が歴代編者の労作をひとつにまとめ上げたとき、定家がその再訪を悲しく恋い焦がれたとき、西鶴が性愛の定型に溺れたとき、凍りついた文字列の流域が決まって描き出す、いつの時代にもありふれた、代わり映えしない、静かで退屈な多次元の空間。ちがいは登場人物だけ。次の主役はあなただと思う。きっと彼女がその助けになってくれる。僕が望んだことだ。彼はもう生き返らない。みんなはどう思う?(p.68)

 私は小説を読むとき、第一には文学史の素養がなく(これは時間の感覚がないということであり、だから清水博子を読んだり、何故か今度は小沼丹や金鶴泳や山川正夫を読もうと考えたりと、しっちゃかめっちゃかな読書からいつまでも離れられない)第二には読書の興味が変なところに限られているせいで、「ちがいは登場人物だけ」という感触に至ることは出来ない。でも、たぶん「主役」の「あなた」が書いたとき、そこにはやはり、どこまでいっても、私的な偏差が差し挟まれるはずなんだとつい考えてしまう(僕の考えはよく知らない)。それはちょっと信じられないぐらい古臭い「個性」の妄想なのだが、でなければ、この小説を貫き通す謝意が、こんな風に長く生々しく響き続けることはないだろうと思う。誰への謝意かは、わからない。
 もっとも、『私的なものの配慮 No.3』が最初から小説でないことは、明らかなのだけれど。【了】

時間への治癒 清水博子『処方箋』について

 

処方箋 (集英社文庫)

処方箋 (集英社文庫)

 

  患者であったかは知らない。インターネットにはそれらしきことは書いてあるが、どうも作者自身がそれを明らかにしたわけではなさそうだし、清水博子のヒロインたちからすれば、そんな告白は即座に書き物に箔を付けようとする卑俗な意識を連想させるだろう。病気の告白自体が私小説的で、裏返せば病は物語には親和性がある。偶然必然を問わず、症状は何らかの因子の積み重ねの末に、けれど突如として発現する(物語がしばしば突然の訪問者を要としながら、一方で注意深くその予感、あるいは伏線を敷くのと似ている)。たとえばそれが死病なら礼儀正しく物語は終わり、慢性疾患であれば病む日々の静かに上下する波を書き、一過的であれば何でもない日常に帰って、病のころの風景を思い出す。だから病気の小説は書きやすい。どのような形であれ終わりが見えるか、あるいは終わりがない日常を小説の土台として保障してくれるからだ。
 だから、病について書かれた清水博子の『処方箋』という小説は、それだけで私には驚きだった。『街の座標』『ドゥードゥル』に通底するのは世俗=物語の拒否だ。一方で『処方箋』が書くのは実にありふれた物語である。ある男が友人の「おねえさん」の精神科通いに頼まれて付き添う、それが終われば今度は男の恋人が鬱病になり、その友人のように看護に苦労させられる。けれども一方で病は徐々に鎮まっていって、最後には明らかな治癒で終わる。ここまで清水博子の作品について書くうえで、私は小説の終わりについては触れてこなかった。それはいずれもまともな終わりを結んでいないからだ。しかし『処方箋』は違う。そこには治癒が用意されている。清水博子の小説が突如として立った、ひとつの転換点である。
 あるいは『処方箋』は、清水博子自体の治癒過程を描いたものとして読めると思う。小説の序盤、「おねえさん」に付き添う段階においては、小説の言葉は落ち着いていない(それでも従来の清水博子からすればだいぶ地に足が着いたほうだが)。時間が乱れ、主人公の立ち位置は曖昧で、片山と沖村はごっちゃになる。それでも、『空言』のように単なる言葉の空転はない(この題名は空笑という症状を連想させる)。彼女の鬱病と看護を描く中盤以降になると、小説は急に言葉を丸くし、病院の周辺を歩いて風景を眺めるぐらいの余裕を手にしつつ、最後はわずかに「おねえさん」との日々の言葉へと揺り返す。病を題材にしている以上、物語らしい物語の軌跡を辿るのは当たり前に近いけれども、この言葉の不安定から安定へ、という流れ自体が、『処方箋』の文体上の物語として読めるだろう。
 『処方箋』において、実は処方箋の存在は前半に少し出たあとは、ほとんど物語上の要素として登場してこない。唯一こだわるのはここぐらいである。

 往路で行き暮れそうになるといっても逃げ口上にしかならないのでそれ以上駄弁を弄さず、寸胴鍋で煮える鶏のスープの湯気を浴びながらひたすら皿のものを食べた。彼女が<処方せん>とひらがなで印刷されているところを指し、処方しよう、か、処方しない、という意味と読みちがえる患者がいるのではないか、とまくしたてるせいで、いつもなら舌鼓をうつはずの料理も金属の味がする。烏賊とセロリの炒めものをつまんだだけで食慾が萎え、最後に注目する予定だった肉味噌をのせた麺までたどりつけなかった。彼女は不自然に話題を変えるより疑念を露骨にあらわすほうがいっそいさぎよいと判断してか、<患者名>の欄の女はだれで、<保険医療機関の所在地及び名称>の欄の病院はどういうところで、<保険医氏名>の欄の医者とはどういう関係なの、と詮索してきた。(p.10)

 この場面には清水博子の特質がよく出ている。第一は「疑念」である。清水博子の登場人物たちはしばしば疑念に囚われる。『街の座標』の女子大生は、二人の男と小説家Iの関係を勝手に妄想して疑念に駆られるし、『ドゥードゥル』の二篇はいずれも謎めいた登場人物たちへの疑惑に苛まれ続ける。『処方箋』の彼女が主人公の男を詰問するこの場面は、清水博子における「疑念」に際限がないことを表している。
 根拠の乏しい疑念は空言に等しいが、その人のなかでは切迫するリアリティを有している。
 「処方せん」には「処方しよう」「処方しない」という意味の揺れがある、というのは単なる言葉遊びである以上に、文脈の規定を超えた意味の拡張がある。ひとつの言葉の意味が頭の中で際限なく広がるように、ひとつの事実から読み取れる可能性が際限なく拡張するとき、妄想は悪化する。
 患者からすれば、処方箋は診断書よりはるかに日常的であり、より細やかに病状の推移を反映するものだろう。今の薬では症状が抑えきれないようですから、次の外来まで薬を増やしましょう。ずいぶん調子が良いみたいですから、薬を減らしてみましょう。そんな説明と共に、列記される薬が増減する。
 自覚症状を、仮に体感における病とするなら、『処方箋』は言葉における病である。実際に、処方箋を読むことは、その人の病自体を読むことに等しいのは、作中に書かれている通りである。患者さんが自分の既往を認識し切れていなくて、お薬手帳から病気を整理する場面はままある。言葉における病と書いたとき、『ドゥードゥル』が言葉に患う人々をこそ描いていたのをつい思い出してしまう(もっとも『処方箋』ではそうした自家中毒と煩悶はなりを潜めている)。第一に妄想的な意味の拡張、第二に病について書かれた言葉、そんなダブルミーニングにおいて、『処方箋』という題名は実に小説の本質をよく捉えている。

 小説の物語を安定して書くうえで大切なもののひとつは、時間意識だろう。
 時間が回想や予知(後者は妄想とも言えるだろう)でまっすぐ流れていかない場合、物語は安定してこない。だからたぶん、物語にてこずる人は、物語の時間をいきなり来週に飛ばしたりすれば、それなりに話が進む(私の経験に過ぎないが)。たとえば季節、学年、年齢の意識はしばしば小説の大枠を安定化させるし、場面描写においては時計やカレンダーが活きてくる(小説の場面はだいたい登場人物同士のやり取りと、時間を刻む背景の動きから成立している)。老いを意識した小説が存外小説として安定化しやすかったり、あるいは他ならぬ清水博子が『カギ』でそうしたように、日記も物語の構築には役立つ(日付の記載があるからだ)。病は時間を意識させる。こんなに通っているのに良くならないなんて、いつまで入院すればいいんだろう、案外退院まであっけなかった、等々。もしくは『家庭医学事典』の鬱病の項を開き、治癒までの「平均六か月」という時間が過ぎてなお、癒えぬ病に感じる憂鬱、である(p.102)。
 清水博子が、特に『ドゥードゥル』においてほとんど物語らしい物語を立ち上げられなかったのは、通俗への嫌悪もあるだろうが、技術的には時間の不安定もあるように思う(それはおねえさんに付添う「からくり」を説明する場面において顕著である)。『処方箋』に目立つのは、この時間の意識である。冒頭からすぐ「附添いをはじめて一か月が経ち」(p.7)あるいは「春先の一回め」(p.28)から「四回め」(p.32)が描かれる。ごく何気ない部分であるが、この「郊外寄りの医院」の描写にも目がいく。

 把手を引くと患者の靴があり、その数から待ち時間を推し測る。スリッパも待合室のソファも会計台の室内のすべてのものが鉛色で統一されていて、窓がないため時間の感覚が曖昧になる。(p.40)

 裏返せば「郊外寄りの医院」に入るまでは、時間の感覚は正確に保たれている(何を今更そんなばかなことを、という話だが、本当にそれまでの清水博子の小説には「曖昧」な時間感覚しかないのである)。片山への電子通信での報告や、あるいはそもそも、週末ごとの附添いといった繰り返される習慣も、小説を安定化させる。余談ながら(本来感想とはこういう部分を取り上げるべきだとは思うが)2001年に『すばる』へ掲載された小説であるにもかかわらず、清水の「電子通信」への嗅覚は鋭い。たとえばこんな描写は今読んでも白眉だろう。私の先輩は、「清水博子は電子通信の怖さに気付いてやめられたが、僕らはそれからずっとやめられなかったんだね」と溜息混じりに笑っていた。

 画面に表示される文字列の意味するところはさしさわりなくても、面とむかって言葉を交わしたり電話で話したりするのに比べ、知覚のどことはわからないがある場所に訴えてくる力は強く、たがいの脳のなかを針で探りあうようで、えぐりえぐられる感覚は言葉を重ねるにつれて増し、それは端的にいって快感だった。なにかの片手間にといういいわけでもなければ没頭しそうでおそろしかった。(p.35)

 もっとも次のような発想は、端的に凡庸である。病について言葉で書く人間であれば、誰もが思いつく考えだ。

 先々週電車のなかで過換気症候群になったと白状すると、彼女は、<過呼吸>とか<境界例>とか<アダルト・チルドレン>とか<拒食症>とか<手首自傷症候群>いわゆる<リストカット>、そういうあたらしい言葉が造られるからそれらしい症状をあらわすひとが増える、言葉につられて症状を発する、生きているのを確認するには言葉に置換する過程が必要で、その行為にもっともらしい名前がつけられているから安心してむごい状態に身を置ける、病は気から、という意味ではない、症状が先ではなくて言葉が先にある、名づけられなければ症状はあらわれないかもしれない、と論じた。沖村は(……)実際にそういった病態で苦しんでいる人がいる事実が彼女の自説ですべて結論づけられるわけではないとくつがえしたくなり、(……)(p.39)

 「こころ」の症状が「脳内の物質の塩梅がわるい」(p.123)と書き換えられる風景も、同様にありふれている。
 大事なのはむしろ沖村が「くつがえしたく」なることだ。もっとも清水博子の登場人物たちは大体他人の勢いに押し負かされるので、ここでも案の定沖村は実際には「くつがえし」はしないのだが、言葉への距離が近過ぎる「彼女」ではなく、ごくごく穏健な沖村のほうが主役ということ自体、『ドゥードゥル』以前からの治癒である気もするし、病の当事者でなく観察者を選ぶ距離感についても、同じことが言える。
 後半部分の私小説めいた病の記録は、まさに「症状が先ではなくて言葉が先にある、名づけられなければ症状はあらわれないかもしれない」という凡庸な発想への「くつがえし」としてある。もっとも清水特有の戯画性は混入しているが、実際にはそれは、「苦患を通過して笑いとばせるようになりたいと願っている」(p.67)作者なりのユーモアだろうと思う。ただし清水のユーモアは別に面白くはない。「苦患」を戯画にして「笑いとば」そうとする、それ自体の不穏さこそが重要だろう(『ドゥードゥル』で書き手としての苦しみをそうしようと試みたように)。もっとも、走り出しこそ戯画的な誇張はあるにしても(書くうえでの緊張はやはりあったに違いない)後半は次第に素朴な描写へ移り変わっていく。
 あるいはそこには、病の固有性はどうすれば書けるか、という素朴な問があるように思う。『街の座標』において、下北沢の下北沢らしさはどう書けるか、という問に直面したのと同じ流れだろう。『街の座標』でもっとも輝かしかったのが下北沢の描写であったように、本作もまた、先に引いたようなクリニックや、あるいは病院周辺の資料館、荒川の河川敷の描写が素晴らしい。

 小説の結末において、病は回復に向かう。そのとき彼女は理由の説明もなく沖村との同居を解消し(これは単に元通りというだけだ)いつのまにか、おねえさんに附添い彼女と食事をする日常に戻っている。二人の女性の病に触れた沖村は、自分のどうしようもない「健康」さ(p.126)に思い至る。小説を結ぶ橋の場面は、実は清水博子がキュートでビターな恋愛小説の書き手たり得た証明である。読んでほしい。
 しかし恋愛小説は、きっと『処方箋』以前の清水であれば、凡庸なジャンル小説として遠ざけたに違いない。もっとも彼女は「おおきな橋を渡りきらず来た方向へもど」っていって、最後には沖村という日常を生きる人の、「健康」を突き刺すような言葉で小説を終える。とはいえ、小説全般が、ともすれば幸福な退屈に似た、健康な穏健さに満ちているのは事実である。
 病んだ人は病の前後より、その治癒過程においてこそ傑作を書く。清水博子の『処方箋』は、時間=物語を拒み、際限なく広がり続ける言葉に鬱屈していた「彼女」の、治癒過程のドラマとして読めるだろう。【了】