燃焼としての時間 山尾悠子『飛ぶ孔雀』について

 2018年に発刊した『私的文藝年鑑』から、山尾悠子『飛ぶ孔雀』(泉鏡花文学賞)の感想を公開します。2018年もっとも面白く読んだ小説のひとつであり、回想の意味もこめています。

飛ぶ孔雀

飛ぶ孔雀

 

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 昔ある小説家が、煙草は間を持たせるからつい習慣的に作中人物に持たせてしまう、とインタビューで話していたのを思い出す。私は非喫煙者なので、煙草を吸わせるとどうにも嘘っぽくなってしまうが、会話の合間を繋ぐ小道具として、たしかに便利そうではある。現実の人間相手でも、互いの言葉が出尽くしてしまったとき、ちょうど間を置くのには使いやすい道具だろう。隙間の時間を消し去る、あるいは点火することで互いに話せなくなった時間を経過させる、それが煙草の役割とも言える。
 『飛ぶ孔雀』は、冒頭から「不燃性」をめぐる小説である。

 シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。
 大人たちがそう言うのを聞いて、少女のトエはそうかそうかと思っただけだったが、火は確かに燃え難くなっていた。まったく燃えないという訳ではないのだが、とにかくしんねりと燃え難い。すでに春で、暖房の火を使う場面はなかった。喫煙する祖母が奥の間で舌打ちするのを聞くことはあったものの、少女のトエにとってたちまち不自由が生じたのは煮焚きの場だった。
(p.7)

 「暖房」として火を使う場面はない。代わりに不燃性に難儀する例として登場するのは、「喫煙」と料理である。そういえば、というにはやや無理のある連想かもしれないが、料理もまた、小説では何もない間を詰めるのに使いやすい。喫煙と料理には、いずれも時を流す役割がある。短縮させる、通過させる、といってもいい。『飛ぶ孔雀』は私は読むのに難儀した小説で、というのは時間の秩序が作中で乱れに乱れていて、まるで夢を歩くような心地がする。そして夢においては、たぶん厳密な時間の感覚というのはあり得ない。次から次に出来事の図柄が思い浮かんできて、それが繋がったり千切れたり、単独に生起してきたりするのを繰り返すばかりだ。時間と出来事の連続は、似ているようで違う。『飛ぶ孔雀』の読みにくさは、この出来事同士が一見相関しているように近付いたり、いきなり遠ざかったりして、事件の全貌が見えづらいことに起因する。「まったく」時間=物語の繋がりがないという「訳ではない」のだが、「とにかくしんねりと」時間=物語が繋がってこない。物語というよりは出来事の羅列が、生々しい夢のリアリティをもって迫ってくる。物語として印象が残るのではなく、ただ鮮烈なイメージだけが浮き上がっては弾けて消えていく。
 
 『飛ぶ孔雀』はどういう小説か。要約は難しい。けれど、説明し難い鋭さがあるのは間違いなくて、たとえばそれは快楽とか幻想とか、柔らかな言葉で丸く表現するのが適切なのかもしれない。でもそれでは、小説と詩の区別が付かない気もする(別に付けなくてもいいのだが、なんとなく作者が詩も書いていたという経歴に結び付けて、詩的だ、幻想的だ、と片付けてしまうのは自分に納得がいかない)。
 そこで具体的に書こうと試みるなら、ひとまず、これは夢の時間を描いた小説だ、と要約したくなる。
 夢の小説は、試してみればわかるが、普通はそこまで長々と書けるものではない。記憶に残る夢はどこかにイメージの焦点が合い過ぎて、起きてすぐメモを取るにしてもその中心点ばかり焼き付いてしまう。本来遠い、あるいは些末なものも、夢のなかで心的に拡大されてしまえば、それは異様に近く大きなものとして遠近法を狂わせてしまう。たとえば「肝斑のような濃い灰色の痣」が「ひどく目立つという訳でもないのに、見れば見るほど痣が男であり男が痣である」(p.30)ように。小説は詩ではなくて、瞬間に細密な描写を詰め込み過ぎればそれだけで終わってしまう。エピソードとしての瞬間同士を繋ぐ、持続した秩序が必要になる。その典型例が時間であり、こそばゆい言葉遣いだが、それぞれの登場人物が、どのような状況においても本質としては同じ登場人物だという、同一性だろう。『飛ぶ孔雀』はそうした秩序は拒んでいて、時間と同一性の秩序を遠ざけている(本書に収録された二編は登場人物にアルファベットや短いカタカナの名前を与えるが、同じ字面でも果たして同一人物なのか確信が持てなくなりがちで、それもまた読み辛さの一因となっている)。その無秩序において連続している、ともいえる。ただし主題が曖昧な観念のままでは小説を支える背骨にはなれないから、何らかの具体的な形は取らなくてはならない。それが、不燃性に相当する。
 たとえば火種屋の次の描写は、この小説における火と時間の関係を、明瞭に描いている。

 小銭を出して今日も火種を買う。紙縒りの先に移した火を手渡しで受け取り、煙草のガラス棚に片肘ついた親爺のかおを見る。陽射しのせいで円レンズの片方が白く燃え上がるように反射するので、その人相はやはり測りがたいが、たまに眼鏡をはずして昼寝しているところを見かけるときは別だ。ただしそれには少しだけ条件があって、火の番である火種屋が眠っているときはその場の時間の流れが停滞するのであるらしい――それもかなりの度合いで。一見したところ燃える火の桶は薄暗い土間に置き放され、奥の小座敷で寝倒れている親爺のことはともかくとして、妙な黒い犬が火を咥えて逃げ出す姿勢のまま静止していたりするのだ。餓、と烈しく火を噛んだ犬の鼻づらには深い肉皺が寄り、数本の髭が焦げて白煙が纏わっている。
 ぱふ、と音をたてて夢の蓋が閉じる。(p.38) 

 小説の片側の主題が不燃性=無時間であるならば、もう片側は恋愛関係である。小説には繰り返し男女の恋愛が描かれるが、『飛ぶ孔雀』においては未亡人と料理人、トエと川舟のひとに代表されるように、ごくその瞬間しか書かれないし、『不燃性について』では関係の破綻が集中的に描かれる。そして冒頭のトエの場面で描かれるのは、恋愛の無時間だ。一瞬と永遠が取り違えられるような、時間の感覚がまったく狂ってしまったような、そんな瞬間である。

 二度目にそのひとは夜の川を渡ってきて、トエの恋びとになった。障子で隔てただけの明るい台所の奥にはラジオの音や大人たちの出入りする気配があったし、それより何より橋からも両岸からも丸見えのこの場所でと意識することがトエには恐ろしかった。振動とともに路面電車が通過し、火花が散り、また通過した。視界の端では岸沿いのみちを照らしていく車のライトがひっきりなしに動いていたし、取り込み忘れた洗濯ものの隙間にほそい宵の月があった。燃え難くなった火を合図の目印としてそのひとはやって来るのであるから、トエは夜の川辺で火を焚いた。(p.10)

 路面電車や、車のライトや人の気配といった、自分以外のものへの感触が異様に鋭くなる(もちろん「恐ろしかった」から気になるのもあるだろうが)。裏返せばそれは、自分のなかの時間感覚ではなくて、たとえば路面電車や、一台一台の車のヘッドライトだけが、今自分が生きている世界に時間が動いている証拠になっている。恋愛は発展すれば、そのうちに「子」という関係を産み落とす。恋愛の無時間などと言い切ったところで、やはりそこには物事の動きがある。
 けれども、動きは動きであって、本書の出来事から出来事への連続が、決して整然とした時間を感じさせないように、それが必ずしも時間を生むとは限らない。

燐寸の燐がたけだけしく闇に発火し、焚きつけ紙を変色させて明るい炎がさっと走る。正常に燃え上がったその火が空気の澱みに触れて縮むとき、ばちんと大きな音がたつこともあった。怒りに任せ、命ずるうちに、練炭の表面に別種の青い炎が生まれた。たよりなくちりちりした赤い炭火を覆い隠し、二重映しになったあからさまに偽の青い火なのだった。それは気ままに膨れ上がり、髪を振り乱すようにせわしなく動きまわったが、明るいだけで熱というものがまるでなかった。(p.10)

 物事が続いているという持続の感触はあるが、それは「偽」の時間のようなものだ。庭園でのパレードの描写は、出来事が弾むように連続しているまでは分かっても、いつどこで誰が何をしたか、という整理を拒んでいる。あるいは、時間を感じさせない動きと出来事の連続こそが、この小説の主題だろう。
 『飛ぶ孔雀』が夢の無時間を書くならば、『不燃性について』で新規に出現するのは周期である。他人の時間と言い換えてもいい。路面電車、ロープウェー、噴水といった道具立ては、いずれも周期的に動くものだ。質の異なる物事の連続では時間の感覚は生まれてこない。であれば、『飛ぶ孔雀』の冒頭でまさしく「路面電車」がそう使われたように、同じ周期に従うもの、あるいは自分以外の刻む時間を前にすればどうなるのか。「あんたね、子どもみたいな若い女の子をずっと連れ回しているようだけど、いったいどういうことなのかね。いい歳をした年寄りが、ああいやだいやだ。ずっと身の毛もよだつ思いでいたんだよ」(p.236)と突如として糾弾される場面はその典型だと思うが、そんな持って回った言い方をしなくても、具体的な物語の次元で、ひたすら作中の人物は他人に翻弄されている。たとえば、路面電車の女運転士の描写である。

 その場におけるものごとの動きというものはどうやらこの女運転士の身辺に集中する傾向があるらしいのだった。その傾向はどう見ても顕著であると言わざるを得ず、そしてさらに言うならば、一切の動きを引き連れて彼女が通過していったあとには反動としての沈滞が残るらしい。(p.118)

 まるで「ものごとの動き」を吸着するように動いている女運転士は、裏返せば周囲の「一切の動き」を束縛している。物語を通して主人公のひとりKが翻弄され続けるのはこの女運転士に他ならないし、あるいはQは結婚相手の女に、トワダに、劇団員の予言に、団長の妻に自分の時間を乱され続ける。『不燃性について』というこの中編において、主人公格の男たちはいつも誰かにかき乱されていて、自分の動きたいように動けない。「沈滞」と言い換えてもいい。それは悪夢に似ている。悪夢には、自分が覚めたいときに覚められる行動の自由も、時間の自由も認められていない。『飛ぶ孔雀』がわずかに恋愛の成就の無時間について書かれるならば、『不燃性について』では崩壊した恋愛の、いつ終わるとも知れぬだらだらとした苦痛が描かれている。本書は夢のリアリティを突き詰めた小説ではあるが、その無時間の射程が、恋愛の始まりと終わりにまで広がっているその一点において、この小説は単なる夢のスケッチを超えた佳品たり得ていると思う。

喜ばしい唐突 保坂和志『こことよそ』について

 

 2018年に発刊した『私的文藝年鑑』から、保坂和志『こことよそ』(川端康成文学賞)の感想を公開します。2018年もっとも面白く読んだ小説のひとつであり、回想の意味もこめています。

ハレルヤ

ハレルヤ

 

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 喜びと可能性をめぐる小説である。文体は幻惑的で、意図して読めないようにしているんじゃないかと邪推したくなるほど、雑多なエピソードが明滅している。しかし、ただ圧倒されるだけでは、なんとなく良かった、しか言えない。それで良いのかもしれないが、私は気にくわない。

 小説は谷崎潤一郎全集の月報に『細雪』に関する思い出を書こうとする場面から始まる。「私」がその小説を読んだのは白浜での「九月の最後の一週間」で、「バブルの真っ最中というか上昇期」の、現在の若者にはとても「真似ができない」「明るさ」を象徴する時間だった。ところが白浜のその記憶はあまりに個人的過ぎて「谷崎潤一郎と何も関係がない」ので、実際には『異端者の思い出』について書いたのだった。『異端者の思い出』は谷崎が「学生のうちにデビュー」するまでの時間を描いた小説で、「私」はそこに小説家になりたいが今はなっていない、という「重く晴々しないところ」を重ね合わせて読んでいた。もっとも『異端者の思い出』とは「私」の読みでは「耽美主義」の小説で、「耽美主義というのは観念つまり形而上学だからこの小説にはいわゆる時間は流れない」のであって、「時間の法則の外にある」作品なのである。
 私がその小説を過去に読んだのは「大学五年目」の年末年始、「やっぱり外に出るのに初詣の人だかりの華やぎが去った夜の通りを選ぶような心境」だった。六十歳の私は鎌倉の商店街を歩きながら、二十歳の自分が同じ道を逆方向に歩いていたことを思い出す。「自分には何があるのかといつも考えては何もない」と感じていた自分を、「先の見通しがまったくなかった自分をリアルに思い返すことができる」のに「私」は「喜び」を抱く。
 これが第一の喜びである。六十歳の私が、二十代の自分を今まさに生き直しているかのようにありありと回想出来る、そのなんともいえない恍惚とした空気が、この「喜び」にはまずある。第二の喜びは、鎌倉の商店街を歩いた二週間前、「映画の仲間が死んだそのお別れ会」にて「思いがけず」訪れた歓喜である。その仲間である「尾崎」の死因は書かれないが、ともかく私は「尾崎にまつわる多くもない記憶を繰り返し引っ張り出してはそれに耽」る。会場に向かう小田急のなかで「私はこれから尾崎と会うような気持ちになってウキウキ」してくる。私が暴走族役として参加し、尾崎が初めて映画の世界に入ることになった思い出深いフィルムが放映されたとき、歓喜は始まる。

 映画の主演格はそろっていない、尾崎もいないが映画が映し出される私は喜びがピークに達した、目の前で自分の二十三、四のあの時間が再現されているような気分になった、尾崎が映ってなくてもこれが尾崎のあのときであり私のあのときだ。映画はかつて暴走族のリーダーでいまは伝説となっている内藤をめぐる殺伐とした内容だが、音のない映像だけを見ていると若くツルンツルンの肌でまだ幼いようなピンクの唇でしゃべる表情は、夢やあこがれを語っているようだ!(新潮六月号、p.147)

 それは「後づけの言葉」で私は出席者と騒ぎ、結局翌朝の七時八時まで飲み歩いていただけなのだが、ともかくそのとき「渋谷駅は意味もなく祝福されている」ように見えたのには違いなかった。しかもその「尾崎のお別れの会で味わった幸福感」はどうも「じゅうぶんに自覚できていない」らしい、と私は「喜びの絶頂に達する」夢を解釈して考える。それはなぜなのか、という問いが残る(これを書いている私の中に)。この、幸福感の不可思議な物足りなさ、もっと幸福であるべき感情がなぜか自覚できていないという躓きの感触が、小説の後半への転調になる。

 重要なのは、私にとって尾崎よりも「ずっと身近でつき合いがひんぱんだった知り合いが二人死んだ」にもかかわらず、「私は尾崎のことだけを思っていた」ことである。もし仮にそうした事態を「小説的に膨らませ」るのならば、本来であれば前者が書かれるべきである。ただ、そうではない、というテーゼがある。ずっと身近な知人が二人死んだにもかかわらず、別の知人の記憶が浮き上がってくる、というその「小説的」とかけ離れた仕組みこそが、小説とは別の、人間の在り方じゃないかという。あるいは「きょりと道のりは違う」(p.151)という作中の台詞に従えば、ずっと身近であったからこそその記憶がより心中に色濃く浮かび上がってくる、という発想は距離の視法なのだろう。あるいは死者の記憶が泡のようにいくつも湧き上がってくる、というのも現実的ではない。記憶は機械のように整然とはしていない。もっとずっと、唐突らしい。

 私は高校の三年間ほとんど毎日、鎌倉駅のホームの一番うしろの端で待ち合わせて横須賀線に乗って二番目の大船で降り、そこから十五分歩いて学校に行った友達が五年前に死に、その死を知ったときも思い出すことはあまりなく、というかいろいろ思い出すが思い出すことが全部、私は鎌倉駅のホームの一番うしろで待ち合わせていたことに収斂した、その友達が死ぬまでは鎌倉駅のその場面を思い出していたわけではなかった、死んだのを知ってからそればかりになった。(p.149)

 いろいろと思い出す過程はある。ところがそこで結実するのはある一場面の記憶でしかない、しかも日々強く意識しているわけでもなく、唐突に、ほとんど偶然のような成り行きで、どこか一か所の記憶が定着してくる。それが『こことよそ』の記憶の生理だけれども、たしかに私も自殺した先輩のことを考えるとき、必ず場面はオレンジのジャージを着て、居酒屋で『ジェーン・エア』について話している姿ばかり思い浮かんで、そこから別の道はあまり進んでいかない。他にあるとすれば、別の先輩が文学フリマで頒布予定だったある冊子が発刊中止になったとき、その人が「呪われてるねえ」とぽつりと呟いたことぐらいだ。
 あるいは、九鬼周蔵の「偶然と驚き」からの抜き書きを読む。

 「「与えられた一つのものだけが必然であるという風に考えるのは、むしろ抽象的、部分的平面的な考え方であり」、「多数の可能性を背景に置いて、与えられた一つは、多くの可能性の中の一つとして偶然的であると見るほうが、具体的な、全体的な、立体的な見方」である」
 (……)与えられた一つのものだけが必然なのではない、出来事は多くの可能性の一つとして偶然である、出来事は全体の一部、立体の一部なのだ。このときすでに私は谷崎潤一郎全集の月報の文章は書き上げていた、そこで尾崎のことは掠めるようにしかふれられなかった。(p.153)

 あらゆる出来事は、後から見れば必然のように錯覚するかもしれないが、前から見ればあくまでひとつの可能性に過ぎない。だからもし大学五年目の私が鎌倉の商店街を歩いていて、未来の自分に「将来の作品のリスト」を見せられたとしても、「私はそのリストを破り捨てたってかまわなかった、自分の人生だからというのではな」くて、「それはまだ自分の人生ではなかった」からである。
 私は、谷崎全集の月報のエッセイは尾崎のことを書かなければ「その月報のエッセイが形にならない、文章がどこも何も指し示さない」と感じる。だからといって尾崎のことを書けばいいというのではない、尾崎は谷崎潤一郎とは何の関係もないのだから。
 尾崎をめぐる挿話と谷崎の『異端者の悲しみ』に通底するのは、「着実に積み上げて成果が得られることより大きなものが唐突にくること」の「リアル」である。
 何故それが来るのか、正確な「距離」を計測することは出来ないが、ともかく「よそ」から「大きなもの」はやってくる。その手触りは、積み重ねられた記憶、並び行く死者の列のなかで、唐突にひとりが先頭へ弾き出され、唐突にひとつの個所が記憶のほとんどすべてになる、そういう「リアル」である。そうして読み返したこの小説の文体は、とにかく唐突なのだ。意識の流れとかそういう手法の問題ではなくて、よそから大きなものが唐突にくる、ということのリアルさを身体=言葉で書くとき、このような歩き方=文体しかなかった。文体と主題が緊密に結びついているという意味で、この短編はウェルメイドな佳品である。
 この唐突な小説を最後に結ぶのが、ジャン・ジュネだ。ジュネの「すべての出発点は見ることだ、話はいつも視覚ではじまる、その見るときジュネは官能性にしか関心がない」という。ジュネの目線は限定的である。「与えられた一つは、多くの可能性の中の一つとして偶然的であると見るほうが、具体的な、全体的な、立体的な見方」というのに対して、彼の視法は「官能性」のみを削り出す。『シャティーラの四時間』からこんな文章が引かれる。「この女たちはもう希望することを止めた陽気さだった。……もう希望することを止めた陽気さ、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた」。ジュネの視覚が官能に彩られるのは、それ以上の可能性を探ることを「止めた陽気さ」が前提であり、それゆえの「最高の喜び」が滲んでいる。そこでもう終わりと宣言すること、希望することを止めることは、「陽気」を伴った「喜び」を宿している。
 可能性の終わりを目視すること。小説のなかには書かれていないけれども、たぶんそれこそが、私が尾崎の葬儀で感じ得た幸福感なのである。ところがそこに影がある。それはなぜか、というのが前半部の問いであったけれども、私はどこか「希望すること」を止めずにはいられない。
 死んでいても死んでいる気がしない。理屈=距離ではなくて、実感=道のりの感触がある。 

 二十歳やそこらで、まして十代で永遠なんてことを思うだろうか、(……)十代の少年たちにとって死は切断じゃない、継続だ、永遠と無縁のひたすらの継続、(……)いまこうして他に選びようもなくなった人生とまったく別の、あの時点で人生は可能性の放射のように開け、死はその可能性を閉じさせられない…………私はあの時点の感触に何度書き直しても届かないからもう何度も何度もこのページを書き直してきた(……)(p.154)

 「重く晴々しない」大学五年生の自分が、鎌倉の商店街を歩きながら抱いていたこの可能性の実感、希望することを止めた喜びとは正反対の、「生きる熱意や生きることへの強い憧れ」故の苦さが、この道のりの場面には集積されている。そんな遠い時間の感触は、どれだけ正確な固有名詞を持ち出そうが、何度書き直そうが、届かない。
 その諦念が、読んでみれば思いのほか懐かしく甘い。もはやそこに届かないと終わりを実感することが甘美であって、だから追想とは甘美なのだろう。

記憶への躊躇 石井遊佳『百年泥』について

『私的文藝年鑑』に収録した石井遊佳百年泥』の感想を公開します。2018年もっとも面白かった小説のひとつで、回想の意味もあります。

百年泥 第158回芥川賞受賞

百年泥 第158回芥川賞受賞

 

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 舞台となるアダイヤール川は「典型的な都会のドブ川」であり、「五百万都市チェンナイのあらゆる人間活動に付随する膨大な未処理の下水が毎日」「垂れながされ」「ベンガル湾に注ぎ込む」。その橋は車道と歩道から成り、後者には「幅一メートル、高さ五十センチほどに盛り上げられた泥の山が、長さ五百メートル以上あるコンクリート橋の端から端まで延々と」つづいている。これが「百年泥」である。
 「百年ぶりの洪水ということは、それは一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、あるいはその他の有象無象がいま陽の目を見たということ」らしい。
 主人公の目の前で、さっそく歩行人たちが思い出の人々を引きずり出していく。彼らは今ようやく目を覚ましたかのように、ごく自然な身振りで、「ほどなく雑踏にまぎれ」ていく。橋の上で日本語教室の生徒であるデーヴァラージと出会い、そこから職と彼についての語りが長々と続く。
 語りを打ち破るのは警官らしき男の、デーヴァラージへの叱責である。
「おい! こらっ、何やってんだお前! 真面目にやれ!」
 小説は急に現在に戻り、デーヴァラージが百年泥から熊手で引いてきた「サントリー山崎十二年」の「ウィスキーボトル」から、回想へ飛んでいく。
 それが、小説としての「真面目」であると言わんばかりに、である。
 もっとも、「概して、授業にせよ行列にせよ約束にせよ、長くのびるものを私はこのまない。植物もくねくねした蔓草のたぐいは好みでなく、ハコベなど地にはりついたような草や樹花が好きだ」という、実に「長くのび」「くねくねした」注釈が差し挟まれ、直截ウィスキーボトルと結びついた元夫の記憶ではなく、借金取りであった実父の回想をわざわざ迂回して通ってくるのだから、微塵も「真面目」ではない。ようやく元夫の話に辿り着いたかと思えば、これもまた浮気が発覚するまでの登場人物の細部をいちいち「くねくね」記述する。とにかく話は「前後」(p.44)を繰り返すのだが、小説はまた「警官」の声で現在に引き戻される。
「立ち止まるな! 歩け!」
 警官が橋の上の群衆を警棒で追い払い始めたのは、「極度の通行障害」ゆえである。
 テレビ局の中継放送と、それを見て駆け付けた人々で、橋がいっぱいになり、彼らが水面を覗き込んだところで、
「何してんだそこ! おい行け! 止まるな!」
 というところでまた語りに戻って、「インドの警官には逆らわないほうがいい」から、ともかく後ろ向きに歩き始める。
 「しごくむぞうさに話題転換」(p.51)。「くねくね」に並ぶこの小説の文体の特徴だ。p.47-65に渡る日本語教室への語りは、「ガンガンガン」という、警官が「長い棒で力まかせに橋の欄干を叩く音」でまた橋の上へ引き戻され、デーヴァラージが次の物品を引き当てる。それは「人魚のミイラ」であって、そこから「人魚姫」のように寡黙な母との、小学生時代の甘い回想へと歩いていく。私はぼんやりした子どもだった、という。

 たとえば日曜日、家にいて、隣に母がいて、編み物をしている。今日は日曜日だ、ふと思う。すると、どこかにもうひとつの日曜日があるんじゃないか、そんな思いがうかぶ。私がすごした日曜日と、私がすごさなかった日曜日。両方とも同じ日曜日、どちらが本物とか正しいとかいうのではない。そしたらきっと、もうひとつの月曜日や火曜日だってある。それらについて考えてみた。(……)私によって歩かれなかった路地、眺められなかった風景、聴かれなかった歌について。私は目を閉じる。母によって話されなかったことば。私によって聴かれなかった母の声。それはどこかにあるもうひとつの金曜日、もうひとつの土曜日の風になって吹くのだ。(p.75)

 「私によって聴かれなかった母の声」は、その後緘黙症らしき中学三年生の同級生の「黄昏まぢかの波の歌ごえ」と聴き間違えるようなかすかな声のなかに、実演される。
 「愛想のない女」と言われた自分を思い返しながら、私は語り続ける。

 現に目の前にある人生にたいし、私はとかく高をくくる傾向があるかもしれない。これはありえた人生のひとつにすぎない、無限にある可能性の中で、たまたま投げた石が当たって鼻血を出してるのがこれにすぎない、そう思うとつい扱いがぞんざいになる。私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だ。(p.85)

 これは保坂和志『こことよそ』の現実と可能性の触れ合う瞬間、あるいは松家仁之『光の犬』で語られたイエスの視座に近い(『百年泥』含めこの三作はいずれも新潮に掲載されていて、とりわけ『こことよそ』はとにかく文体が「くねくね」していて、幻想的な私小説のバリエーションという点で『百年泥』と通底している)。
 ただこの小説は、ここで猛烈に照れる。
 かっこつけたのが恥ずかしいとばかり、「そこで、つきあう男の二人に一人はおじさんになった。ひと回り、ふた回りちかくも歳がはなれているとなれば、概して相手に寛容になるものだ」。微塵もそこで、ではないのだが、ここからまた話がインドへ帰ってきて、デーヴァラージの目から放たれたレーザーで私の髪が焼けたりして、脱線の末に大きめの音で橋の上に戻るのも、もうお決まりのパターンである。
 今度は「どん」と「重くにぶい音」がする。
 「有翼飛行者同士が衝突した」のだ。それが何かは実際に読んでほしいが、読んでもよくわからない。どうやら、インドのハイテク通勤手段らしい。
 そうしてデーヴァラージが最後に引き当てるのが、日本とインドを結ぶ、大阪万博のメモリアルコインである。ここで語りは、日本人である私から、インド人であるデーヴァラージへと越境する。デーヴァラージの「東洋文庫に入っていそうな」母の葬儀をめぐる語りが終わると、彼はもう姿を消している。
 橋の上の人々は、時にタミル語を話し、時に大阪弁を話しているようにも聞こえてくる。大阪とインドが混淆する。
 その口々の声、物語の欠片を耳にしながら、私は考える。

 かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。離されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ(p.118)

 そして主題に触れた瞬間にこの小説は恥ずかしそうに、無理に話題を変えようとする(「百年泥の界隈なのだ、そう考えたところで私はふと、人生、人生、といえばこの」の、人生、と二度繰り返すのが素晴らしい)。ところが小説は(枚数の都合もあったのかもしれないが)ここから過去に飛ぶことはない。
 「またべつの声」が聞こえて内省から引き戻され、無事に「橋をさらに進んで行く」。そこでは、百年泥から掘り出された人同士を争う「バトル」が繰り広げられている。「これはうちの甥なのよ、なにを言ってるんだ中学からのぼくの大親友だよ、ふざけんなおれのいとこだよ」と言い合う人々の中心には、私の借金の発端だった「五巡目の男」らしき人物がぼんやりしているけれども、いくら「まだらに生乾きの泥ののこる男の顔」を私が凝視しても「すでに憎しみの命数が尽きていることを知ったのみ」だった。

 こうなにもかも泥まみれでは、どれが私の記憶、どれが誰の記憶かなど知りようがないではないか? しかしながら、百年泥からそれぞれ自分の記憶を掘り当てたと信じきっている人々はそれどころじゃない、めいめい百年泥のわきにべったり座り込み、一人一人がここを先途と五巡目男にむかってかきくどくのだった。(p.120)

 五巡目の男をめぐって自分の記憶を言い張る人々をよそに、私は結論する。

 私の目にはどこをどう見ても東アジア系の目の細いおじさんにしか見えない男を甥だ親友だいとこだとインド人が奪い合うさまをながめれば、つまりは先程来、山崎12年ボトルに人魚のミイラと、降ってわいたように百年泥から見間違えようのない記念品が転がり出すことでたちまちほどけたあの記憶の数々、さも私のものらしかったそれらもひっきょう他人事とおもうしかなく、実のところ私の人生のそうとう以前、たぶん母を亡くした時点から自身の人生のパーツパーツにいまひとつリアリティがもてないでいたのだったが、どうやら私たちの人生は、どこをどう掘り返そうがもはや不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ、万障繰り合わせのうえかろうじてなりたつものとしか考えられず、そんなことを知るためにわざわざ南インドまで来たのかと思うと心底なさけなくなった。(p.123)

 デーヴァラージはウィスキーボトルや人魚のミイラといった、これまでの語りのきっかけとなった品々を河へ捨ててていく。
 「おなじみのそのうすわらいの横顔」を見ながら、「人いちばい法螺話も得意にちがいないこの人物とまだ当分縁が切れそうにないじぶんの身のうえ」に私は「深いため息」をつく。
 そもそも、なぜ私はデーヴァラージが苦手なのか。彼は優秀な生徒であり、私の日本語教師としての能力が極めていい加減なことを見抜いている(p.22)ばかりか、私が進行に最適な例文を思い付くよう「誘導」している。「彼の持ち出す話題になにか、ことさらに私の訂正をうながす意図的な感じ」(p.64)があるのである。そして「東洋文庫に入っていそうな話を経験として語りうる人物に日本語を教えるのも、なんだか畏れ多い」(p.115)。
 年下でありながら、自分よりはるかに人生経験を積んでいる人間になにかを教える気まずさ、というのは確かにあるだろう。
 ただなにより私が嫌なのは、「東洋文庫に入っていそうな話」がその強烈な貧しさのリアリティをもって、私の父母をめぐる美しい語り(花、聞かれなかった声、海)を超えるように感じることなのではないか。それを前にしたとき、私の語りは「もはや不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ、万障繰り合わせのうえかろうじてなりたつもの」に過ぎない。自分の人生を「不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ」として意識するとは、現実的には人生なんて所詮みんな悲惨だとする諦観であり、作劇的にはフィクションは全部パターンだという実感である。
 前者は五巡目の男への赦しに繋がるだろうし、後者に接したとき、人は優れた組み合わせの技法を探るか、物語を諦めて文章を凝らすか、私小説を書くかに概ね分かれる。
 この小説は日本語教師としての私小説、こんな言い方はどうかと思うが、女性作家然とした(もちろんそんな女性作家はさしていない)演技的でエモーショナルな語り、そしてデーヴァラージの「東洋文庫に入っていそうな話」を前にしたある種の諦念へと渡っていく。
 デーヴァラージは私の語りに「訂正をうなが」し、私の記憶をめぐる語りを「うすわらい」(p.124)で流す。そんなものは本当の語りではない、と言わんばかりに。

 『百年泥』の文体は洒落が効いている。華やかで、鬱陶しい自意識もなく、美しいイメージの重なりもある。
 でもそうではないのだ、とデーヴァラージの語りは訂正する。最後の彼の語りは、きわめて素朴な物語である。
 人は、チェンナイでの日本語教師のような特異な経験や、あるいは元夫の浮気、インドに飛ばされた経緯のようなろくでもない現在についてはフィクションを交えながら面白おかしく語ることすら出来るが、自分の両親や幼年期をそのように語ることは難しい。過剰に美しく脚色されてしまう。借り物の詩や幻をもって美しく語らずにはいられない。小説の終盤は、記憶を語ることへの躊躇の身振り、として読める。記憶が不確かで、都合のいい脚色をするから語るに値しない、というのではない。あくまで事実性にこだわりたいなら、ある程度は事実、正確には固有名詞や歴史で補強出来るからだ(保坂和志『こことよそ』がそうであるように)。
 それに対する照れ、そんな言葉が甘すぎるのであれば、自分自身への恥じらいが、この小説にはある。
 だからこそ、そんな躊躇に阻まれないデーヴァラージのまっすぐな幼年期の語りに私は圧倒され、「訂正」されてしまう。しかし同時に、それすら「法螺話」じゃないかという醒めた目線があるのも確かだ。彼の言葉でさえ「不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ」に過ぎないのではないか、と。このテーゼは最後に持ち出されなければならない。でなければ小説は解体してしまう。橋の最後、「あやうく足を踏み外しそう」になる寸前に、この小説は踏み止まっている。

彼岸行きの切符 木村紅美『風化する女』について

 

風化する女

風化する女

 

 かつて文學界新人賞の受賞作が、ラテン語表紙の本で売り出されたときがあった。かつてといっても、この『風化する女』は2007年刊行だから、それほど昔の話でもないのだが、あらためて手に取ると懐かしい気持ちになる。この水色のラテン語は"Vinum novum in utres novos mittendum est."で、私に読めるわけもないのだが、遊び紙には「新しい葡萄酒は新しい革袋に詰めなければならない」と訳文が記されてある。マタイ福音書の引用らしいが、未だに文学界新人賞といえばこれ、というぐらい表紙の印象は強く残っている。実際には、この表紙で刊行された本の数は多くない(そもそも本になりにくい賞ではあるが)。検索する限りでは、この『風化する女』がシリーズの走りで、これと赤染晶子『うつら・うつら』が2007年、寺坂小迪湖水地方』と円城塔オブ・ザ・ベースボール』と藤野可織『いやしい鳥』が2008年、谷崎由依舞い落ちる村』と田山朔美『霊降ろし』が2009年で、それ以降はもう使われていない。このストイックな体裁では、さすがに本の売り上げが出なかったのかもしれない。あくまで当時の記憶頼りだけれど、いくつかの受賞作には、ちょっと不似合いという気もする。私が無学なのに過ぎないけれど、中身がまるで分からない、読めもしないラテン語の表紙で、純文学の新人賞受賞作……となると、手に取るのを躊躇うか、通り過ぎるのが普通だろう。一方で、選ばれた作品と著者を眺めてみると、これでいいのだ、という送る側の自信を感じさせもするし、そのうちの少なからぬ数が今現在も文学の最前線で書き継いでいることを思えば、やはり堂々たるセレクトだとも思う。
 そんな気合の入ったラテン語表紙シリーズの、最初を飾ったのがこの木村紅美『風化する女』である。中身は、思いのほか軽い小説だ。文体がまずライトだし、内容も見慣れた感があるかもしれない。三時間ぐらいで読み切れてしまう本ではある。
 私のような凡庸な感性なら、フォーカスを柔らかくごまかした女性の背中の写真を表紙に選ぶのだろう。実際には、そんなストイックな外見が、よく似合う作品である。

 「れい子さんは、一人ぼっちで死んでいった。」(p.7)

 これが書き出しだから、『風化する女』はこのれい子さんという人の痕跡を追い続ける小説なのだと、自然に予想がつく。れい子さんは「私」と同じ会社の同僚で、「四十三歳で結婚はして」おらず、「入社して二十年経っても、一般事務職のまま」で、「昼ごはんは、長いこと一人で食べ続けていた」。そんな孤独な人が突然死するのだから、後に続くのは葬儀と、遺品整理と、思いもがけない一面の発見と決まっているし、事実その通りに進む。この小説が輝いているのは、そんな嫌でも感傷を引き起こす舞台上での、感情との距離の取り方だ。感情へのストイックさ、と言い換えてもいい。れい子さんの死を知らされた私が、流涙に至るまでの距離は、冒頭から案外に遠い。

 れい子さんが死んだのを、本気で悲しむ人なんて、会社にはたぶん一人もいやしない。周辺の人たちの仕事にもきっとたいした差し障りはないだろう。代役はすぐに補充されるはずだ。それも彼女よりずっと若くて、肌がぴちぴちとして、愛想よく笑う代役が。
(……)
 あとでれい子さんの配属されていた課をのぞきに行ったら、彼女の机の上には、すでに菊やりんどうの花束が飾られていた。その周りの人たちは、もしかしたら悲しみを内にひめてはいるのかもしれないけれど、それを特に表情に出すことはなく、平然としていた。急に人員が一人減ったからといってむちゃくちゃ忙しくなるわけでもなさそうで、ほかの課と変わらないリズムで、電話を取ったり伝票を切ったりしていた。トイレでもロッカールームでも、彼女の死はちっとも話題に上らなかった。
 社内でのれい子さんの存在感の薄さを私はつくづくと思い知らされ、では彼女の死を悲しむ人は、いったいどこにいるのだろう、と考えた。悲しむ人がいて、その人に、彼女の死はきちんと伝わっているだろうか。はたして、一人でも本気で悲しむ人は、いるだろうかと考え続けていたら、寝るまえにようやく、涙がひとつぶ転がり出た。
(p.8-9)

 れい子さん、という名前はダブルミーニングである。第一には零子、「代役」がすぐに補充されるような、いてもいなくても変わらない人という意味。第二には、霊子、最初からすでに「生きていたころから死んでいるみたい」(p.71)という、幽霊の含意がある。「れい子さんは、一人ぼっちで死んでいった。」とは不思議な書き出しで、シンプルに書くなら、一人ぼっちで死んだ、でいい。突然死なら、猶更そのほうが自然だ。でもそうではなくて、死んでいった、と書く。れい子さんは、零子さん、霊子さんとして最初から葬られていて、たまたまそこに死が重なったに過ぎない。誰もれい子さんの死を悲しまないのは、物語の始まる前段階で、無同然の人として葬られていたからだ。
 死んだではなく、死んでいった。この冒頭には、「目立たない部分に凝る、ってのが好きなのよね」(p.47)という、作中の台詞を思い返さずにはいられない。
 れい子さんが霊子なのは、明確に意識されて書かれている。そうでなければ、この場面の説明がつかない。

 帰りに、ジャスミン茶を買うため十三階で降りると、ちょうど女子トイレからだれか出てくるのが見えた。知らない会社の制服を着ている。私がエレベーターから出てくるのに気づくと、すうっと、トイレの横の非常階段のドアの向うへ消えていった。足音が遠ざかる。
 長い髪を後ろで束ねた痩せっぽちの人で、れい子さんと似ていた。
(p.55)

 不在と死の区別は厳密につかない。そんな文章を昔読んだことがあるけれど、それは修辞とか観念の問題であって、やっぱり不在と死は根が違う。
 重なる枝葉もある。だから「いつか私が死ぬときまで、れい子さんはきっと、私の中に住みついて離れない」(p.71)とか、あたかも存命しているかのように、生き生きと回想を語ることも出来る。「おれがもしどこかで死んだら、死んだことは、絶対に桃ちゃんに知ってほしい。でも、桃ちゃんがどこかで死んだとして、死んだことは、知らされたくないかもしれない。どこにいてもいいから、きっと生き続けてるはずだって、思いたいかもしれない」(p.53-54)と私の恋人が話すように、死と不在の区別を付けないことは、ひとつの慰めでもある。それでも、不在と死は、失踪者と自殺者ぐらい違う。今度引っ越すからもう会えないというのと、明日自分は死ぬからもう会えないとでは、言葉の重みが変わってくる(併録作の『海行き』は、本作とは対照的に、単に距離が離れるだけの別離が、死別のような絶対的な断絶に近付くときを描いている)。

 「私」がいう「本気で悲しむ」とは、この不在と区別の付かないれい子さんの死を、死として受け止めてくれる人がいるだろうか、という意味だ。
 私の涙は「ひとつぶ」に過ぎない。他ならぬ私もまた、不在の域を超えた死の生々しさを実感出来ていない。それが悲しい。死が悲しいのではなくて、不在としてしかれい子さんの消滅を悲しめない、死を死として悲しめないのが悲しい。それが「ひとつぶ」の涙だ。れい子さんと私は、所詮、たかだか半年、会話を交わした仲に過ぎない。私はれい子さんの秘密を生前に知ることはなかったし、その関係もおそらくは退社で立ち消えていた程度のものだ。にもかかわらず、わたしの「ひとつぶ」は切実である。
 なぜなのか。それは、私もまた、「れい子さん」の立ち位置にいるからだ。現実の状況としては、「一年まえに、結婚することが周囲に知られて以来、もともと私とは相性が合わなかった熊谷さんだけではなく、より若い女の子を課に取り入れたいともくろむ男の上司も、仕事とは関係のないところで、何かといやみを言ってきたり、冷たい態度を取るようになり、私はすこしおかしく」(P.16)なっていた。
 告別式の夜、私はれい子さんを夢に見る。

 会社の制服姿のれい子さんが、ただ広い砂丘を歩いている夢だ。青い空と肌色の砂の対比が目にしみる。私は立ちどまってその後ろ姿が遠ざかっていくのを見ている。
 ときどき、丘と丘のあいまに見えなくなったと思ったら、より小さなシルエットとなって、また現れる。見渡すかぎり歩いているのはれい子さんだけで、だんだん、蟻みたいに小さくなって砂の上を動いていくさまを、私はひたすら目で追っている。砂丘が終わる向うには海が広がっていて、そこに彼女は引き寄せられるように歩いていく。
「れい子さーん」
 と私は何度も叫んでみたけれど、声は一面の砂に吸い取られていくばかりで、れい子さんはふり向きもせず、私の足は、まったく動かないのだ。
(p.25)

 大事なのは、私もまたれい子さんと同じ「砂丘」に立っている、ということだ。
 鳥取の「砂丘」は、東京では「十三階のトイレ」に置き換わる。葬儀から帰ると、私の席に、すでに「後任」の女の子が座っている。仕事を全て取り上げられ、「零」になった私は、れい子さんが秘密の休憩場所として教えてくれた「十三階のトイレ」へ向かう。

 便座のふたをした上に座りこみ、水をためるタンクに背中をもたせかけてうとうとするのだとも、れい子さんは教えてくれた。
(……)
 私がいま、突然死んでしまっても、会社での反応は、きっと淡々としたものだろう。ふとそんなことを思った。同時に、それは当たり前すぎるくらい、当たり前のことなんだと気づいた。
 窓の外をゆっくりと旋回するカラスの鳴き声が聞こえる。
 さびしいとも悲しいとも、私は何とも思わない。
(P.26-28)

 夢の砂丘でれい子さんが向かっていた海には、「動かない」私の足では届かない。けれど零になった私がたどり着いた現実のトイレでは、「水をためるタンク」はすぐ背中越しにある。海もまた水をためる窪地だ、ではあまりに乱暴な読みだろうか。だとしても、きっとれい子さんも、自分が零になったとき、「さびしいとも悲しいとも」思わなかったのだ。思えなかった。「当たり前すぎるくらい、当たり前のこと」だと先に理解してしまっていたからだ。

 砂糖もミルクも入れないままのコーヒーを飲みながら、れい子さんはよく、はげましてくれたものだ。そして彼女自身についてはこう語った。
 「四十を超えたら、もう、だめよ。私も二十代半ばぐらいまではねえ、やめたいやめたいって、逃げることばかり考えていたけれど、もう、いまぐらいの年になると、ひらきなおって、多少居心地わるくても、居続けていくしかないな、って思うの。そこそこ安定した会社で、まったく、好きな仕事というわけではないけど、私は頭がいいわけでも、特別な才能や、むずかしい資格をもっているわけでもないから、クビにされない限りは、しがみついていくしかない。仕事がつまらないぶん、楽しみや生きがいは、会社の外に見出して。影の薄いおばさん、でも、いなくなるよりはいるほうがいい。私はそんな存在で、定年まで会社にひそみ続けていようと思ってる。それでいいの」
(p.22)

 れい子さんの立ち位置も、その希薄過ぎる死も、私には微塵も他人事ではない。むしろ、ただ「背中」ひとつ分の距離しかない、いつ起きるとも知れない出来事だと理解したとき、その「死」は、此岸と彼岸を遠く切り離すものではなくて、切実な事件として立ち上がってくる。直接的な死の悲しみ方とも、間接的な不在の悲しみ方とも違う。自分のあり得た死を幻視するような、彼岸の感触がある。れい子さんの幽霊と見紛うような、「長い髪を後ろで束ねた痩せっぽち」と出会うとき、私もまた、「零」の彼岸に立っている。そして私が恋人と「いっしょにお風呂に」入り、「泡をたっぷり含ませたスポンジで、たがいの体をのんびりとこすりあい、シャワーをかけあ」い、「きみのおっぱいは世界一、なんて昔のスピッツのへんてこな歌」に合わせて「乳首」(p.31-32)を触れられるのと似た場面が、れい子さんにもあったに違いなかった。「勇気をふるいたたせながられい子さんのロッカーをあけてみると、まず目に飛び込んできたのは、内側に貼られた男との写真だった。携帯電話の待ち受けに映っているのと同じバンダナを巻いたひげづらが、えらく陽気な笑顔をしていて、彼に肩を抱かれたれい子さんは、まっ赤な口紅をつけており、ピースサインを出してはしゃいでいる。しっかりとファウンデーションもアイラインも塗っているれい子さんは、まるで水商売の女で、たいした変身ぶりだった」(p.45)という発見から始まり、れい子さんの部屋に「長い髪の毛とちぢれた陰毛」や「ばらの香りがするスイス製のボディローション」や「使用済みのナプキン」を発見する場面は、この混浴の描写を意識したものだろう。

 「たいした変身」の秘密は他愛ない。私が「ひげづら」の男の正体を突き止め、終盤、北海道まで飛んで知ったのは、要するにれい子さんがただローカルな歌手に遊ばれた、それだけの事実だ。歌手は結婚し、妻は妊娠している。私は口紅でれい子さんの写真に「さよなら」と書いて、店のポストに入れてやろうと考える。けれど、「キスマーク」をつけるのも、「さよなら」も、「れい子さんは、そんなことは、やらないような気が」して、「指さきがふるえ出」す。
 「水商売の女」のような写真があったとしても、実際のあけすけな姿を知っているわけではない。れい子さんは、あくまで自分の知るれい子さん、彼女ひとりである。

 
 会社の中では、れい子さんは、生きていたころから死んでいるみたいだった。でも私は忘れられない。
 その肉体は消滅し、だれの持っている思い出さえ、早くも風化しつつあるかもしれないけれど、いつか私が死ぬときまで、れい子さんはきっと、私の中に住みついて離れない。
「さよなら」
 いざ、口紅でそう書こうとすると、指さきがふるえ出した。
(p.71)

 このとき私は、不在の「ひとつぶ」の悲しさを超えて、絶対的な死の悲しみに直面している。『風化する女』は葬送の小説だ。それは、れい子さんの死を死として悲しめなかった私が、ただ悲しいまま悲しめるようになるまでの物語でもある。「彼女の死を悲しむ人は、いったいどこにいるのだろう」という冒頭の問の答えは、他ならぬ私だった。
 美しい構造だ。そして、そうした旅の手続きを踏まない限り、れい子さんの死を悲しむのはただ安直だというストイックな認識が、『風化する女』という弔いの物語を輝かせている。厳粛な表紙は本の売り上げには貢献しなかっただろうけれど、この無地に水色のラテン語だけのデザインが、作品には似つかわしい気もする。
 小説の結末は、れい子さんが夢の中で向かったのと同じ、「海」の場面で終わる。きっと、彼岸に近い風景なのだろう。

夜行はまだ出ないので、そのまま歩いて、海を見に行った。
「夜の海は漁火がきれいですよ」
 と旅館のおばさんは言っていたけれど、真っ暗な海には霧が深く立ちこめていて、首かざりのようだという漁火を見ることはできなかった。灯台から放たれるオレンジの光だけがゆっくりと闇を切りさいていく。
(……)
 霧の向うからは、ときどき、くぐもった汽笛が伝わってくる。目をこらすと、鈍色の船のシルエットが浮かびあがる。
 さむさにマフラーをかきあわせながら、私はまた、彼女もきっとこの景色をながめていたことがあるはずだと思って、れい子さんの存在を感じていた。
(p.72)

 

作家読みと時間読み(2018文学フリマ告知)

 11月25日の文学フリマ「キ-8」で、清水博子という2013年に45歳で早逝した作家を主題にした本と、2018年の文学賞レビューを同人誌で出します。
 前者は著作六作の感想、清水博子小論、清水博子を読んだあとに書いた小説です。
 後者は熱海凌さんとの共著で、著作八作の感想と、それらを読んだあとに書いた小説が収録してあります。
 
清水博子を読む』76頁(頒布価格:300円)
デザイン:泉尾春(文芸同人『みのまわり』主宰)

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清水博子を読む〕

1.『街の座標』書くことの不潔
2.『ドゥードゥル』少女小説の敵意
3.『処方箋』時間への治癒
4.『ぐずべり』白黒結晶
5.『カギ』検索としての風景
6.『vanity』書くことの清廉

清水博子を書く〕
7.ブック・ガールの臨界点(清水博子小論)

清水博子から書く〕
8.バースデイの転居(小説)

 

『私的文藝年鑑』121頁(頒布価格:500円) 

※URL先はbooth, 電子版/書籍版購入出来ます
デザイン:コンドウフミヒロ

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〔書評〕
1.石井遊佳百年泥』(芥川龍之介賞
記憶への躊躇/小説書きの下には〇〇が埋まっている
2.若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(芥川龍之介賞
八年の一日/おらおらで、さ。
3.保坂和志『こことよそ』(川端康成文学賞
喜ばしい唐突/私的な論理を積み立てる愉しみの小説というサブタイプ
4.古谷田奈月『無限の玄』(三島由紀夫賞
難しい父の処分/魂の引き継ぎ:コペンハーゲン紀行

5.松家仁之『光の犬』( 河合隼雄物語賞 

光の追跡/遡行ーー関係がうまれる瞬間の手ざわりを拾いあつめること 

6.高橋弘希送り火』(芥川龍之介賞
辞書の焼き方/言語世界のクィアな支配者
7.星野智幸『焔』(谷崎潤一郎賞
焔としての描写/メタ論理の追跡者
8.山尾悠子『飛ぶ孔雀』(泉鏡花文学賞
燃焼としての時間/消退・ノスタルジア相転移

〔実作〕
8.その夏の炎症(小説。私が書いています)
9.言語の自律性を利用した余白についての考察(批評。熱海さんが書いています)

 
 引越しの多い仕事なので、部屋に本を溜め込めない。集中的に本を読む時期はあるが、そこを過ぎてしまえば間が空いてしまうことも少なくない。未読の本が溜まると憂鬱になってくるし、部屋の足の踏み場がなくなって困るので、意識してそうしているのもある。人はどうやって次の本を選ぶのか。これは本好きには失笑されて当然の問いで、本屋を歩いて興味を惹いたものは売り場から消える前に早々に確保する、そうすれば自然と溜まって選べるようになる、と答えられるかもしれない。
 ランダムに本との巡り合わせを楽しむ無順序の読書があれば、順番を決めた読み方もある。それで、作家読みと時間読みの話である。

 作家読みは読んで字の如しで、ひとりの作家をデビュー作から順番に読んでいくやり方だ。余程マイナーな作家でなければ(今回取り上げる清水博子ぐらいまでなら)県内取り寄せサービスも含めて市内の図書館で著作は揃うだろうし、古い作家なら古本がインターネットで叩き売られていることも多い。あまりに入手難易度が高い作家ならそもそも名を知る可能性が低い。どんな作家も三冊か四冊読んでいるうちに作者の像や物語のようなものが固まってくる。本と人を同列に語るのは安易な擬人法だろうけど、作者の姿や性格が見えてくる気がする。そして小説は意外と(本人の意識無意識にかかわらず)論理的に書かれているので、ああこの人のこの小説がこうなっているのは、前の小説のこんなところを受けてだな、と流れが読めてくるし、じゃあその次はこんな風に書かれるんじゃないか、と勝手な予想も出来る。
 これが非常に楽しくて、私は読むなら基本的に作家読みである。
 とはいえどのレベルまで読むか、という問題がある。どの程度まで文献を集めるか、とも言える。当然文芸誌に掲載されただけで単行本化されない作品は少なからずあって、しかもそこに作者について考えるうえで大事なものが紛れ込んでいたりする。では全集を読むべきか。インタビューやエッセイはどうするのか。私は、まずは単行本を読んでいくだけでいいかな、と思っている(今後全集が作られる作家も少なくなる気はするし)。全集は分厚すぎて読み切る以前に持ち運ぶのに苦労するし、一冊一冊の達成感がない(私は軟弱な読み手なので、その達成感は非常に大事だと思っている)。まず単行本を読んだあとで、隙間の未単行本化作品や、インタビュー、エッセイに目を通していく、という流れになる。この読み方は、今回の清水博子についての本を作ろうとした過程そのままである。
 作家読みの面白いところは、最初はなんで読んでいるのかわからなくても、次第にその作家を読んだのが必然であったように思えてくるところだ。作家の問題と、自分の問題に共有可能な部分が見つけられる、とも言える。今回読んだ清水博子も、最初はなんでこんな人を読み始めたのかと困ったが、あとから自分の問題に引き付けて、なるほどなあ、という気がしてしまった。
 
 時間読みは、作家読みと対置するから面倒な言い方になっているのだが、要は「その年の文学賞」とか「ある文学賞の作品全部」とか、あるカテゴリーの時系列に沿って作品を読んでいくやり方だ。文芸なら野間新人文芸賞受賞作を第一回から全部読んでいくとか(私は伊藤整文学賞が好きなので是非最初から読んでみたい)2018年の文学賞受賞作を全部読んでいくとか、そういう読みである。これは、ひとりの作家を底まで読んでいく、垂直の読書とは反対に、広く浅く読んでいくやり方だろう。本当は小説家の作品は作家読みでなければ理解出来ない場合が少なくなくて、どう考えても読みは浅くなるしかない。
 とはいえ、たとえば2018年の文学賞受賞作Aで登場してきたモチーフが、たまたま別の受賞作Bで登場してきたりすれば、単なる偶然の一致でしかなくても、何か意味があるような気がしてくる。2018年の受賞作で例示するなら、高橋弘希送り火』(芥川賞)と、星野智幸『焔』(谷崎潤一郎賞)と、山尾悠子『飛ぶ孔雀』(泉鏡花文学賞)に収録された『不燃性について』という三作は、いずれも「火」をモチーフにしている。高橋-星野-山尾の火の取り扱いはもちろん三者三様で、この違いを読むのが楽しい。私は政治的状況と小説の関連を読むのは不得意だが、「火」と2018年の状況を結び付けて読むことも可能なのだろう。

 作家読みは深くとも狭い。合う合わないはあるが、やはり広く浅く読む流れがもう片側になければ、新しい作家に出会うこともない。なかなか手を出し辛い大作であっても、文学賞というくくりで読んでいるのだから仕方ないか、と渋々読み始めることも出来る(でも大作は取り掛かりさえしてしまえば面白く読めてしまう場合が多い)。たとえば私は保坂和志の良い読者ではないけれど、2018年川端康成文学賞を受賞した『こことよそ』は素晴らしい短編だったし、河合速雄物語賞を受賞した松家仁之『光の犬』は、手を出すには勇気が要る長編だが、傑作だ。それから2018年上半期芥川賞を受賞した石井遊佳百年泥』も間違いなく佳品(文学賞読みをしなければまず手に取らなかったと思う)なので、この三作は出来れば他の人にも読んでほしい。
 あとは、本を読む人との話題が増える。「最近読んでる清水博子という作家が良いんですよ」「磯田光一って批評家を読んでいるんですが」で話を始めるのは絶望的に難しいが(私ならこれを振られた瞬間に硬直する)「この前泉鏡花文学賞を獲った山尾悠子の飛ぶ孔雀が良かったんですよ」ならマシである(ベストではないが)。
 単なる箔付けに過ぎないといえばそうかもしれないが、文学賞は要はその年の文芸のベストアルバムである。
 1996年に発売されたシングルのB面の曲の話よりは、2018年のベストアルバムの一曲のほうが遥かに話は弾みやすいだろう。
 
 前置きが長くなったが、今週末の文学フリマで、作家読みと時間読みを本にしたものを同人誌で1冊ずつ出す。

 前者は『清水博子を読む』という72頁の本で、清水博子という早逝した女性作家を題材に選んだ。
 1997年『街の座標』ですばる文学賞を受賞してデビュー、『処方箋』で野間文芸新人賞を受賞、芥川賞の候補になるが二度落選、著作を6冊出すも2013年に45歳の若さで逝去した。野間文芸新人賞というと文学賞では若手の有望作家に与えられる賞(芥川賞の前段階のような言い方をされることもあって、確かに今年芥川賞を受賞した高橋弘希は2017年に野間文芸新人賞を受賞している)で、それなりの評価は間違いなくあった作家だろうが、その死後は急速に存在が忘れられている。近年の作家だから仕方ないが、作家論も文芸誌に掲載された一作のみで(陣野俊史『「書くこと」を書く、その先のこと』すばる2014年2月号)はっきり言ってマイナーである。

 小説が書けない自分、を小説にしようと苦心する作家だった。書けない小説を、面白く書くのは難しい。小説は書くうえでも意外と没入感が大事で、小説を書けずにいる自分を意識してしまうと、なかなか熱のこもった書き方は出来ない。そこで清水は、本当の題材は小説が書けないという事態なのだが、『街の座標』では卒論、『空言』ではメールをうまく書けない、という問題にずらして書いた。そうした転位の描法が結実したのが、清水の最高傑作『亜寒帯』である(『ぐずべり』所収)。
 このあと清水は、自分は小説を書けずにいるが、そもそもそこまで自分が執心する書くこととは何なのかという問に、『ドゥードゥル』で至った。自分は何のために書いているのか。それは端的に鬱病の問であって、『ドゥードゥル』の「わたし」もまた、鬱病に罹患し、書くことについての問を中断する。その「わたし」の辿った過程さながらに、清水はこのあと書くことについて作中で問うことを封印し、鬱病からの治療過程を『処方箋』で描き、『vanity』というウェルメイドな、素朴に面白い小説を描くに至る。もっとも清水はこのあと「デプレッション」(『台所組』)=鬱病に陥る。晩年の作品はもはや小説としての体を成していない。
 芥川賞落選の怨念や同業者への悪口を小説内に書き始めた清水は、2008年の『台所組』を最後に文学の表舞台から姿を消す。
 大学を卒業して九年就職せず、「デプレッション」に罹患し、『街の座標』で受賞しなければ「ひっそりと死」ぬつもりだった清水は、1997年のすばる文学賞受賞で此岸に立ち返ることが出来た。だがそこから九年経った2006年『vanity』以降の清水は、二度目の「デプレッション」からひっそり彼岸へ消えていった。

 本の内容はブログに書いた六冊の著作の感想と、清水博子の未単行本化のインタビュー、エッセイ、小説まで対象に含めた小論『ブック・ガールの臨界点』そして小説の実作である。ブック・ガールは文学少女の意だ。清水は「ながいこと世間を<虚の栄>としか受け止められ」(『カリマツの家』)ず、他人の通俗ぶりを嫌厭しながら、おそらくは他ならぬ自分の俗っぽさをもっとも強く嫌悪していた。たとえば自己愛や虚の栄=vanityに基づくような、いい加減な読み書きを、自他ともに許せなかった。では、そうしたいい加減でない読み書きとは何なのかを、「デプレッション」になる水準まで徹底的に問い詰めたのが、清水博子の「ブック・ガール」の精神だ、という筋である。ともすれば悪口三昧としか読めないのが清水の小説だが(しかも清水の悪口は面白くない)少しでもその潔癖に近い、清廉で在りたいと願った姿が伝わる小論を目指した。
 たぶん2018年現在、他に読んで書く人が誰もいないからだが、清水博子という作家についてもっとも網羅的に書いた文章となっている。おそらくインタビューやエッセイ、未単行本化作品への言及は既存のテキストにはないのではないか。
 表紙や本文中の写真は、文芸同人『みのまわり』主宰の泉尾春さんに、『街の座標』の舞台である下北沢で撮影してもらった。デザインの美しい本に仕上がったので、ぜひまずは表紙で手に取ってもらえたらと思う。そしてもちろんいちばん嬉しいのは、清水博子を実際に読んでもらうことだ。その機縁となれば幸いである。

 後者は『私的文藝年鑑』という121頁の本である。2018年1月から10月まで、計八作の文学賞受賞作のレビューと、著者二人による実作(批評/小説)を収めた。内容の要約は難しいが、2018年の文学という外部に触れ、またそれに触発されて私的な読み書き=作品論/作品が立ち上がる瞬間を記録したい、というコンセプトで書いた(もともとの発想は日本文藝家協会が毎年出版している文藝年鑑だが)。順番としては『私的文藝年鑑』が先行している。本を読み、結果としてそれが本を書くことになる、という素朴なプロセスを意識して実践した、小さな本である。共著を依頼したのは文芸批評に集中的に取り組んできた熱海凌さんである(単独ではまず完成出来る本ではなかった)。これは『みのまわり』という文芸同人の冊子に参加したときに批評を読ませてもらった縁で、結果としてそれぞれの「みのまわり」の時間についての書物が出来上がった。
 二十代は「文藝」を語るには早過ぎる。一方で、「文藝」という仰々しい字面が許されるのも、この年代に限られる気はする。
 デザインを依頼したコンドウフミヒロ氏は、私的なものを題材のひとつとしている以上、ともすれば小さくまとまりかねない装丁に、ソリッドな力強さを与えてくれた。このデザインと拮抗するだけの言葉を書き綴らなくてはならない、そんな緊張感を密かにもたらしてくれた人物でもある。
 『私的文藝年鑑』についてはPDF/epubでの販売も検討している。文学フリマ以降も、是非広く読んでいただければと思う。*1

*1:※2018/12/25追記 上記にある通り、現在は電子版をboothで公開しています

君がいない地上 磯田光一『殉教の美学』について

 

殉教の美学―磯田光一評論集 (1971年)

殉教の美学―磯田光一評論集 (1971年)

 

 

 磯田光一を読むのは単に秋山駿がその死を惜しんでいたのと、『鹿鳴館の系譜』という題名が何年もずっと気になっていたのと、名前の通りが良いなあ、顏が格好いいな、というぐらいである(馬鹿である)。私が本というか、人を読み始めるきっかけはいつもその程度で、読む必然性は(清水博子でそうだったように)後からついてくるのだが、読み始めにはもちろん全然立ち上がってこない。だから読むのに苦労するわけだが、三島由紀夫論である『殉教の美学』は、私が三島由紀夫のまともな読者でないことを差し引いても、九割五分は面白くない。私が読んだのは、結果的には三島の死のあとに刊行された1971年の再増補版であるが(小沢書店から出た作品集で読んだ)たぶん旧版であれば投げ出していたと思う。新版に収録された、三島の死を受けて書かれた「『豊穣の海』論」と「太陽神と鉄の悪意」という二編は、たぶん磯田がまったく意図しない、どころかおそらくは磯田自身が嫌悪した私小説的なプロセスを以て、異様な輝きを放っている。というか、ここにしか本書の価値はない、とすら思う。
 後述するが、磯田は1970年の三島の死を以て、突如として三島と同じ「戦後」の立場を生きることになった。しかも、三島のようなヒロイックな殉教的行為なくして、突然に「荒野」へと置かれた。死のうとして死に損なった三島のようなものだ。しかも、その三島の死は、人に馬鹿げている、とあらかじめ謗られるのを前提したような、複数の先読みを包含した行為であり、批判にしろ擁護にしろ、その批評を嘲笑するに等しい行為だった。少なくとも磯田にはそう聞こえた。

 三島氏の死はすべての批評を相対化しつくしてしまっている。それはいうなればあらゆる批評を峻拒する行為、あるいは批評そのものが否応なしに批評されてしまうという性格そのものである。
 三島氏の文学と思想とを貫くもの、それは美的生死への渇きと、地上のすべてを空無化しようという、すさまじい悪意のようなものである。
(「太陽神と鉄の悪意――三島由紀夫の死」『磯田光一作品集1』p.134)

 三島が不可能な理想を、不可能と理解しながらそれに殉じて死ぬ「殉教の美学」を小説の中で繰り返し実践し、最後には殆ど「すさまじい悪意」に似た嘲弄を以て、現実において実践する姿を目の当たりにさせられたとき、さあ、お前はどう読む、と突き付けられたような気がしたに違いない。
 おそらく、磯田の生きた批評はこの地点から始まった。再出発を強いられた、というのが正確だろう。『殉教の美学』の増補部分、すなわち「『豊穣の海』論」と「太陽神と鉄の悪意」にあるのは、三島を批評することの困難だ。1970年以前の磯田は、三島への敬意はあっただろうが、基本的にその論は明快で、容易く批評している、と言っていい。どの作品の評も、最後に行き着くのは「日本人のこころ」か「思想の相対性」か「殉教の美学」である。たぶんこれは私が経時的に作家を読んで順々に感想を書いていくのが好きだから猶更そう思うのだろうが、磯田の三島批評は硬直している。三島の著作を時間をかけて読んだのであれば、当然三島のほうにも作家的な変質があるだろうし、いくら著作としてまとめるにしても、磯田のほうにも何がしかの飛躍があるのが普通だろう。
 ところが磯田はそうは書かなかった。むしろ、単一の「美学」のみを書くに留まった。三島がどれだけ新しい作品を書こうが、あくまで静的なモデルに沿って読んでいた。一つのパターンに落とし込んで、その正しさを繰り返し自分で証明しているだけのようなものだ。職業的批評家だから、あるいは三島由紀夫をジャーナリスティックに論評している以上、そのモデルに固執することは仕方がない、という言い方は可能である。しかしこれは、(あくまで磯田から読んだ三島、の範囲に限って判断するならば)三島自身の「白」に代表される「理想」のディティールが、単一の光であって、その具体的な細部を検討されないのとおそらく並列の事態であると思う。
 遠過ぎる理想は細部が見えない。裏返せば、細部から理想とするその対象が別の方法で読み直される、ということは、遠い理想においてはあり得ないのである。

 1970年以降の磯田は、(もちろん労作であったには違いないから達成感はあっただろうが)そうして理解したつもりになっていた三島からの手痛い、それも実人生を賭けてまでの反撃に遭った。お前は『殉教の美学』を容易に語ることは出来ただろうが、ではそれを実人生でぶつけられたときに、果たして同じ言葉で語れるか。不可能なるものを遠点に置き、不可能だと理解しながらそのために死して喜ぶのが「殉教」であるとすれば、磯田は、突然に、それも「死」のような劇的な結末なくして、突如として三島の死という不可能なものを突き付けられたのである。「殉教の美学」については、たとえば『盗賊』の評が典型的である。

 彼らは「愛」の幻影に殉じることのむなしさを知らないではない。しかし「生」を意味づける原理を欠いたことの索漠たる人生が、幻影に比べてどれだけの価値を誇り得るというのか。無意味な混沌の中にたたずむよりは、自ら築いた生活原理のために殉じ、「死」を通じて「生」の意味を確認した方が、まだしも意味があると言えるのではないか。しかも『盗賊』の幻影が、外からの所与の「幻影」でなく、現実の対極に自ら築いた「幻影」であるという点に注目する必要がある。……『林房雄論』の言葉をかりて言えば「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、青空と雲とによる地上の否定」にほかならぬ。
(「殉教の美学」同p.25)

 絶対的な理想を遠点に置きながら、その理想がもはや虚しいことは理解している。しかし、理想なき現実が、果たして幻影としての理想より生きる価値のある場なのか。第一には空しさのために、第二には「地上」を否定する抗議のために、第三にはおそらく現実からそれ以上理想が穢されぬように、三島の登場人物たちは「殉死」へ向かう。その死は「自己破壊的な否定」だが、『憂国』の麗子のように「狂ほしい幸福」が潜んでいる。それを「強靭な知性によって対象化するところ」が「三島の本質的な独創」であると、磯田は読んだ。つまり磯田からすれば、三島は殉死の「狂ほしい幸福」を理解しながら、それを否定し得る足腰の人物であった。

 安田與重郎を評して、「自分の人生と思想をドラマにしてしまうことが、いかに恐しく、また戦慄的で、また魅惑的であるか」と語る三島は、一方、生活の芸術化の旋律的な甘美さ(彼はそれを戦時下に味わったはずである)に心をひかれつつも、それを否定すること(太宰治への嫌悪はここに通じる)に、自己の文学の基礎を置いたのである。
(「殉教の美学」同p.53)

 これは、結果的には誤読だった。磯田の読みが甘かったのだと批判をしたいのではない。文学者の予言が当たった外れたと、あれこれ言うのは私は好かない。ただ、実際には「人生と思想」を「殉死」のドラマに変換させてしまった三島に、なぜ磯田が「知性によって対象化する」ベクトルを読んだのかは想像したくなる。たぶん、磯田にとっては、三島由紀夫こそが「現実の対極に自ら築いた」「幻影」すなわち理想の存在に等しかった。戦後ヒューマニズムを嫌悪した(「人間の解放をめざす近代リアリズム」に三島の言葉を借りて「社長になりたいといふ欲求」を読む磯田の嫌悪は、今日にもよくある事態だろう。私には、なんとなく気にくわない、との差異が掴めない嫌い方である)磯田にとって、それを「退屈」とし否定出来た三島は、理想の「太陽神」に近い存在だった。殉死者はいつかは「愛」の幻影によって破滅するかもしれないが、しかし、その「愛」の故に生き延びる時間があるだろう。磯田は、三島という「太陽」の言葉から現実を読み返すことで、耐え難い現実を幾分か明るいものに変えられたのではないか。
 その読みが、いかに真摯であろうが本質的には愚かしい「殉死」を「対象化」し、遠い距離で描いていたはずの三島自身によって、完全に破壊された。
 私は三島の『喜びの琴』を読んでいない。だから、磯田が『喜びの琴』の片桐を評して、「既成の反共知識のりこになっている片桐にとって現実の動向は、すべて彼の信じる図式によって意味づけられたものでしかない。(……)しかし、ここで注意すべきは、片桐が軽薄であるにもかかわらず、外から歌えられた思想を信じ、そしてそれを生き、彼なりの生の充足を味わっている」といって、その「思想」を教えた松村について触れていないのが、どこまで正しいのかはわからない。しかし一般に、思想への信仰と、それを教える師への敬意は、分かち難いのではないか。でなければ、松村に裏切られた片桐が、どうしてその「思想」まで「打ち砕かれる」のか説明がつかない。

 

 三島にとって、「美しい夭折」の可能性を与えてくれた戦争は、加害者というよりはやはり「恩寵」と呼ぶにふさわしいものであった。
 (……)自分の世界が閉ざされた特殊世界ということさえ感じられない悲劇的な状況の中においては、必然に貫かれた「美しい夭折」こそ、「自由」のための必須の前提条件でさえあった。戦時下の三島由紀夫は、ちょうど「神」と「来世」によって生死を意味づけることのできた中世人が、その奴隷的境遇にもかかわらず幸福だったのと同じような意味で、ひとつの緊張した充足感の中にいた、と言うことができる。
 (……)三島の不幸は、そして彼の本質的な悲劇は、「生」と「死」とを意味づける原理の崩壊によって、つまり、彼から「美しい夭折」の可能性をうばった「敗戦」によってもたらされたものである。そして、彼を作家たらしたものも、この「不幸」以外の何ものでもなかった。それは「絶対に自殺できない不幸」であり、また世界そのものが意味を喪失して、のっぺらぼうな均質な存在に化してしまった状況の中で、ともかくも「現実の相対性」に耐えてゆかなければならない不幸でもあった。
 (……)三島由紀夫吉本隆明の世代にあっては、「中世」こそが「青春」を意味したのであり、「中世」の崩壊は、そのまま彼らの生と死を意味づける原理の崩壊、言いかえれば「青春」の挫折と喪失とを意味するものであった。
(「殉教の美学」同p.19-21)

 もちろん磯田にとって三島が生死を「意味づける原理」とするのは言い過ぎである。しかし、三島のような作家がいるならまだまだ捨てたもんじゃない、と思っていたのは間違いない。磯田もまた「絶対に自殺できない不幸」を体験した。三島の死に殉死するのは絶対的に馬鹿馬鹿しい。だが、磯田のヒューマニズムへの嫌悪、という土台を支えたのは三島という存在だったのではないか。磯田が三島の死をもって直面したのは「思想の相対性」に再び耐えなければならない事態、「思想」を委ねていたに等しい三島という師の決定的な「自己否定」であった。それは、「恩寵」を失った戦後と、よく似た時間だったのではないか。

 「太陽神と鉄の悪意」にあるのは、1970年以前の明快さの喪失と、困惑と、それでも三島の死を批評しようとする意地である。
 末尾を結ぶ装飾的な弔辞は読むに堪えないが、それも磯田なりの最後の意地である、と言っていい。
 死んでしまえば終わりだ、という極々日常的な発想を、1970年以前の磯田は批判出来ただろう。たぶん1970年以降の磯田には出来ない。それが人間が死ぬということで、私も知っている人間に死なれてから自殺を書くことが出来なくなり、他人の小説に書かれた自殺をよく読めなくなった。そのとき磯田は殉教のない「戦後」へ突然突入させられた。磯田は三島の『林房雄論』を「三島由紀夫の随一」の「私評論」であるという。「半ば他人事のように描かれた思想劇が、自らの内面の課題と密接につながり」「はじめて歴史を生きる自己の個体の問題として問われる」とき、それは評論ではなく私評論となる。
 人は書きたくて私小説を書くのではなく、それを拒否していてもついに書かずには居られない地点へ追い込まれるのが私小説作家ではないか、と私は勝手に考えているが(清水博子がそうであるように)たぶん磯田光一においても、同じような現象があったと思う。優れた私小説を書く条件のひとつは、たぶん告白を嫌うことだ。

 たとえばここに、Aという男がいるとしよう。Aが心のなかに苦しみをもっているとき、B、C、D、Eという他人は、Aの苦しみを他人に聞いてもらう権利があるであろうか。少くとも個人が等しい価値をもつ存在であるかぎり、作家が自分の苦悩の告白をそのまま芸術上の真実の根拠にすることは、所詮は彼のうぬぼれにすぎぬのではないか。
(「戦後的反逆の文学」同p.87)

 私には「太陽神と鉄の悪意」に書かれた内容はほとんど理解出来ない。いや、表面的には多少わかるが、そんなことで人間が死んでたまるか、という気持ちになる。『殉教の美学』の静的な三島像となんとか接続しようとして、失敗してしまっているようにも思う。ただ、「私にとって三島由紀夫氏の存在は、まぎれもなく戦後精神の象徴だったのである」(p.141)といい、「生き残った私は、ある"渇き"をいだきつつ、現世の汚濁のなかで、私自身の道を行くであろう」と書きながら、三島の自死に「幻想から遮断されているがゆえに、何ものかへの渇きを秘め、しかも中途半端な幻想にひたっている人々にたいする、すさまじい呪詛」を読むとき、「恩寵」を失い、「青春」に挫折し、その喪失に「自殺はできない」磯田の、ほかならぬ「私評論」の息吹を感じはする。

書くことの清廉 ――清水博子『vanity』について

 

vanity

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  これまでの清水の小説の総決算である。総決算とは一個の終焉であり、本来であれば、そこからまた歩き始める出発点である。したがって、清水は、この『vanity』から別の小説へ歩き始めるはずだった、と書くべきである。しかし、清水博子が自殺者らしいということを差し引いても、そうとはとても思えない。
 『街の座標』と『ぐずべり』の下北沢・北海道の風土描写、『ドゥードゥル』の戯画性、『処方箋』の時間感覚と恋愛小説の筆致、『カギ』の風俗小説(自分がいま生きている風俗の記録、という意味で)の手法と、これまでの小説の技法が『vanity』には集積されている。実際には清水はこの小説のあとも、中短編を何本か文芸誌に掲載している。したがって『vanity』を遺作と呼ぶべきかは厳密には難しい。
 それでもこれは、清水博子の遺作である、と言い切りたい。

 清水博子の最高傑作は『亜寒帯』である。これは揺るぎない。技法的には『vanity』が優れていても、清水博子にとってもっとも重要な問は、小説を書くことに難儀する自分はどのようにして小説になるのか、というその一点だったのではないか、とあらためて思う。
 それは私小説の問題だ。ここまで長々書いていてあまりに今更だが、清水博子の本質は私小説作家だった。
 たとえば『街の座標』で自分を語るその自意識の俗悪さに舌打ちするのも、たとえば『カギ』が、「よく考えるのを躊躇してきた日々のつまらない出来事が、文字にする過程でなにかべつのものに変化してくれればとあわく期待」する妹の俗悪さを描き出すのも、根を同じくする私小説作家の自嘲だ。自分はどうすれば小説になるのか、の自分を、小説を書く自分、にそのまま置き換えただけである。
 自分は面白い、と少しでも自分を許せるのであれば、人はフィクションを書き続けられる。
 『vanity』の関西弁に倣えば、そこは「おもろい」人間の領域である。
 清水に限らず、私小説作家の風景描写は輝く。むかし南木佳士という私小説作家(と厳密に呼べるかは、これまた『vanity』を遺作と呼んでいいのかどうかと同じぐらい判断に悩むが)を集中的に読んでいたことがあったが、私小説作家は内面や日常の出来事や自分の俗悪さ(道徳的な、あるいはみみっちさに対する自己反省と同義だろう)ではなくて、風景描写で輝く。これは論理ではなく、単に観察だ。しかし、自分というのは本質的に面白みのない人間であり、自分の時間とは「日々のつまらない出来事」だというのが、私小説作家の自己認識なのではないか。そのとき、自分や自分の属する時間や出来事と離れた風景が、瞳の中で輝くのは、ごく自然な生理だろう。自分について書くほどに、風景は自分から遠ざかる。故に眩しい。
 私小説の欲望のひとつは、自分を書くことで、自分より遠い光を視ることではないか。

 物語としての小説は「空き巣」と「火事」から始まる。後者は『処方箋』の終盤を飾る挿話である。この冒頭の、「百七十箇月」という精密な時間のカウントも、『処方箋』からの流れを受けたものだ。

 画子は鶴巻町の自室で空き巣に遭った。その後、隣室がペットの小鳥を燻製にする小火をだし、窓際で寝ていた画子も燻製になりかけた。身をよせる場所がない、と米国に留学中の恋人に相談すると、かっこちゃんほんならうちつこたらええやん、とすすめられた。いきがかりじょう百七十箇月間つづけた独居を離れ、恋人の生まれ育った家で婚約者候補として遇されることになった。(p.1)

 画子は、かくこ、と読む。書く子、ではない。たぶん清水自身、書くべきは風景の描写である、という認識が、描写を排した『カギ』からあったのではないか。書く題材が神戸の山の手のマダムの『vanity』なのだから、ここで風景描写を捨ててしまえば、行き着くのは『カギ』の世界だ。清水がvanityを批判し続けるのは、世俗への嫌悪というよりは、実際には自分のなかに根付く、書くことに伴うvanityへの攻撃意識だったのではないか。世俗を批判することほど世俗的でくだらないものはないし、実際清水の世俗批判は、大して面白くないのである。誰にでも攻撃できるものを攻撃しているだけ、という気がする。私にはここまで清水がvanityへの敵意を燃やし続ける理由がわからなかった。根拠はなにもなく、妄想に等しいが、仮に清水がただ自分のvanityを憎んでいたのであれば、頭の中の説明に、筋が通りはする。

 おたくを使わせてもらってなにをすればいいの、と問うと、行儀みならいでもしといたら、と恋人はのんびり云う。(p.4)

 「六甲の山ン中」の「恋人の母親であるマダム」に「行儀」を習う、それが小説の物語だ。もちろんその「行儀」とはvanityそのものなのだから、実際に清水博子=画子は耐えられるわけもないし、そこに『カギ』より洗練された精神的嫌がらせの描写が滑り込んでくる。
 行儀を習うとは、異文化との衝突であるし、小説の王道だろう。
 『vanity』とは、清水博子がそのまま小説の「行儀」を勉強する小説でもある。かなり失礼な物言いなのは承知なうえで、『vanity』以前の清水は、たとえ描写が得意でも、描写と物語の混合物としての「小説」はやはり苦手だったのではないか、と結論するしかない。印象的なエピソードの羅列があろうが、たとえば『カギ』の日記の日付のように、定まった時間形式にはめ込まれていようが、物語を内に孕む小説は、それだけではうまくいきにくい。『vanity』は違う。これは、ごく率直に、ウェルメイドな小説である。私には確信は持てないが、谷崎潤一郎に「行儀」を教わった結果かもしれない。

 うちに帰ってきて部屋の温度がちょうどいいっていいわね、とマダムが云えば、タイマーですから、と画子は応じ、夕食のあとゆっくりお茶を飲むなんてなかなかないの、と云われれば、給湯器ですから、と応じる。マダムは笑わない。あたぁしが雨戸を開けなくても朝日が入るっていいわね、とマダムがつぶやけば、雨戸の開け閉てのうるさい娘として否認されたことになる。(p.11)

 「あたぁしが雨戸を開けなくても朝日が入るっていいわね」が「否認」になるのは単に嫌味なのだが、清水博子のヒロインたちがしばしば躓くのは、これに代表されるような意味の多義性である。『ドゥードゥル』や『処方箋』の主人公たちが妄想に苛まれるのは、ひとつの言葉や出来事から際限なく意味が拡張するからである。このマダムの「否認」は、清水博子のヒロインにとっては、もっとも相性の悪い物言いだろう(もっとも清水には限らないだろうが)。
 だから小説は、最初から清水博子=画子が、「マダム」の曖昧な物言いに挫折することを運命付けている。
 『vanity』は清水が歩いてきた小説の回想であり、総決算である。したがって、『vanity』に登場する歯科治療の場面も、『街の座標』のそれに重ね合わせて読まずにはいられない。後者の歯科治療は、「白い紙に鉛筆の芯を押し当て文字のかたちに黒い微粒子を残していくことと、黒く蝕まれた部分を金属の尖端で削り取って白い歯を掘りあてていくことは、本質的におなじ」とされた。清水が歩いてきたのは、変則的ではあるが、私小説の道程だ。「蝕まれた」不浄な部分が削り取られ、「白い歯」に変じていくとは、「日々のつまらない出来事が、文字にする過程でなにかべつのものに変化」していく過程と同一だろう。

 疼痛は虫歯のせいではなかった。すでに神経を抜きかぶせものをしてある奥歯の根が膿んでいたため、かぶせものをはずし根の治療をし、最終的には型をとりあらたにかぶせものをする、と慎一郎の親友の義弟である院長が、画子の歯茎のレントゲン撮影写真をかかげながら説明した。(……)いったんかぶせものをはずし根に薬を注入しないかぎり痛みはおさまらないと宣告された。
 (……)いやおうなく金属のドリルが入ってきて回転をはじめた。画子は自身の口腔が粘膜の天幕がはられた空洞であることを感知した。するどい痛みはないが、熱い圧覚があった。自覚しえない箇所にあたえられる刺激に画子は朦朧とした。(p.92-93)

 同じ歯でも病変部位が違う。『街の座標』は「虫歯」だが、『vanity』の歯はすでに「神経」を抜いてあって、それでもなお溜まる「奥歯の根」の膿瘍である。歯科治療が探索的に書くことであり、清水において書くことが私小説を書くことならば、本来「神経」が感じる「痛み」とは、端的に書き難い自分、目を覆いたくなるようなvanityに直面させられる苦痛だろう。しかし、画子には最早「するどい痛み」を感じる神経が無い。自分をあたかも他人のように語る詐術を、たとえば麻酔と喩えていい。物語の麻酔のなかで、他人について記しているつもりになって、思いがけない自分の「自覚しえない箇所」を研削するのも、小説の日常風景だろう。最初は痛む。しかし、麻酔に慣れればそれは「熱い圧覚」へと成り下がる。
 清水は常に鋭さを求めていた。
 清水が厭うのは鈍麻した神経であり、鈍麻した自意識であり、鈍麻した物語なのだ。だから清水の小説はいつも知覚過敏であり、自己反省に苛まれ、物語とは別の現実を選ぶ。
 どんなに愚鈍な現実であろうが、そこには小説にはない「するどい痛み」があるからだ。
 
 それは、あまりにも清廉過ぎやしないか。
 自殺者に対して、清廉、という形容をするのは生きている人間の傲慢だ。こんな才能があったはずだとか、こんな作品が書けたはずだという夢想も、私は同様に好かない。単なる後出しである。だがそれでも、物語を拒み、優れた私小説作家に発展できたはずの清水が、途中でその生を断念しなければならなかったのは、この「するどい痛み」と「熱い圧覚」を敏感に区別出来てしまう才覚の故ではなかったか、とつい思ってしまう。「かぶせものをはずし根の治療をし、最終的には型をとりあらたにかぶせものをする」とは、ある人には治癒として聞こえ、ある人には膿瘍と「熱い圧覚」の反復するという、不治の事態に聞こえる。
 『街の座標』を読み終えた時点で、私は清水博子がどうやら自殺者らしいと知っていた。清水が『ドゥードゥル』で世俗としての物語を批判し続ける態度を見て、だから彼女は書けなくなったのだ、と安易に考えた。しかし『処方箋』以降の清水は、むしろその物語に順応していった。「行儀」を見習った、と言ってもいい。その清水が『vanity』を実質的な遺作として命を絶たねばならなかったのは、作品が文芸誌の誌面に掲載されなかったのも間違いなくあっただろうが、それ以上に、鋭さへの欲望が作用したのではないか。
 自殺は、見ている側が嫌になるぐらい、鋭い変化だろう。
 自殺は単に病気だ、と結論するのが良識だが、その思い切りの良さには、一種の清廉さがある。あってしまう(あってほしくない)。人は、自分で馬鹿馬鹿しいと思っていてもなお、自殺者へ自然に清さを見出してしまう。あるいは、こんな描写である。

 画子の生まれた白いコンクリートの街に陰翳はない。不潔にまみれたくてもまみれようがない。ことに夏は団地に陽が反射し、どこもかしこも眼が痛くなるほどまばゆい。光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面では、痴漢がときどきあらわれ、交通事故が多発し、屋上から飛び降りた人間が屍となる。有機物と化した自殺者は腐敗するまえにほうむられ、人格のありようは保留される。ひととしてどう生きるかなどという大事は問われぬまま、白い壁にへだてられた時たちが刻まれていく。(p.75)

 「光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面」は、絶対的に鋭い陽で「眼」を突き刺す。死の側に属するその眩い地点は、しかし「人格」に代表される生の不潔にまみれることもなく、「ひととしてどう生きるか」と立派な「大事」を押し付けてくることもなく、ただ静かな「時」を与えてくれる。
 清水はこのときおそらく、鈍重な「不潔」と鋭い「陽」の境界地点に立っていた。微細な因子の積み重ねが、清水を平等に、どちらの位置にも運ばせたと思うのは、終わりからの後読みに過ぎない。

 画子にはなにもない。かっこちゃんは虚無だ、と元恋人が云ったとおり、三十二歳になってもなにもないのがいまや取り柄なのだ。もし虚無などと断定されれば眉間に皺をよせ唇をとがらせ反論した二十代が終わってほんとうによかった。(p.97)

 人は、口では自分は「虚無」のように言っていても、内実ではさしてそうは思わないはずだ。虚無だと思える自分は、少なくともその瀬戸際で何がしか中身のある人物のように感じるはずだし、私はそれをつまらない意地っ張りとは考えない。しかし、清水はたぶん、本当に「なにもない」と、ただ清廉に考えていた。
 「虚無などと断定されれば眉間に皺をよせ唇をとがらせ反論」するのは、正直にそう考えられてしまう人にだけ許される特権だ。「なにもない」と他人に突き付けられて、そうかもしれない、と弱気な笑いを装い、本当になにもないな、と自分で思いながら、しかし相手に合わせてやるつもりで、どこかにそうではない自分の余裕を見出すのが、卑怯であろうが、自然な心の動作だろう。間違いなく、それでいいはずなのだ。
 書くことの不潔から出発した清水は、たぶん書くことの清廉を夢見ていた。そんなものはあり得ない。だから清水の夢は、どこか少女小説じみている。だから清く、だから「光がまんべんなくゆきわたるひろくたいらな路面」のように、底知れない。清水博子に今もってその小説を読む価値があるとすれば、不潔な言葉の世界に広がる、夢の清さ、そして底を覗くことが躊躇われるような、その眩い鋭さなのだろう。【了】