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書いてから直すか、直してから書くか

 小説の指南本をめくると、「直すのは後でいい、とにかく書け!」という助言に出会うことがある。無駄に考え込むぐらいならとにかく書け、一文字でも多く書け、書きさえすれば後は直すだけだからどうにでもなる、というやつ。で、私もそのやり方を二年ほど続けて来たわけだが、最近になって別案を採用したので、その話。

 

 さて、「書く」「直す」の関係に限れば、小説の作り方には次の三手が考えられる。

①書き終えて直す。

②書いて直しての繰り返し。

➂頭の中で十分直してから書く。

 叩かれがちなのは三番目の方法で、というのも丁寧に書き続ける集中力、持続力は一朝一夕には具わらないし、慣れない人間なら、書きたいものを思いつく速度と実際に書く速度にあまりに差があり過ぎて、途中で書く気が失せる、という事態は確かにあり得そうだ。そこで一番目の方法が推奨されるのだろうが、このやり方も楽ではない。

 

 たしかに物語を書き終えるまでの期間は短縮されるが、とても人には見せられないような支離滅裂の文章を直し続けるのは、正直つらい。自分の下手振りを延々と再確認せねばならず、しかも物語自体は完成しているだけに途中で新たなエピソードも書き加えづらく、何より推敲の時間が延々と続くのは、単純につまらない。逆に、延々と書いているだけのときには、文章を直したくて直したくてたまらなくなる。

 

 自分の場合、小説を直すのはどこでも出来るが、新たに書く場所は図書館か、喫茶店か、自室のどれかに限られてしまう(原因不明)。となると、書き続けているときは同じ場所の往復になりがちで、これが大いに参る。あとは、自分の推敲は削りが多いので、どれだけ枚数を積み重ねて完成させても、所詮は削る前じゃないかと、達成感に乏しい。推敲の時間がどれだけかかるのか、予測が難しい。直すのはちょっとした隙間時間で可能だが、書くにはまとまった空き時間が必要で、まとまった時間を数日間~数週間取らなくてはいけない。そんな時間は、無理と不義理なくして得られるはずもない。よろしくない。あれこれと積み重なり、この方法はもう使えないな、と結論した。 

 

 ということで、方法を②に変えた。

 

 夜の十時から十一時の間だけ新しい文章を書き、特に午前の空き時間に直し。推敲に結構な時間を要するので、たった一、二場面書いただけでも、翌日の直しだけでは間に合わないことがしばしばである。不足分は週末の飯屋の待ち時間とか、電車・バスに乗っている最中に埋め合わせている。以前は一日に何枚新しく書けたかを記録していたが、今現在は一日に何枚直せたか、である。

 

 何枚の作品をどれぐらいの日数で完成させられるか、新旧のデータで正確に比較してはいない(まだ比較出来るほど作品数がないので)。ただ、精神的な負担は明らかに軽い。ということで、私のように「書き切ってから直す」しんどさに耐えかねた人には、書いて直しての繰り返し、に変更してみてもいいのかもしれない。

 ちなみにこれは私の思いつきではなくて、友人の方法を拝借している。ついでに宣伝。

 

 

 おまけで雑感をいくつか。

 漫画を描く人、ゲームを制作している人が使う「作業」という語が羨ましかった。余計な意識の重さがなくて、さっぱりした言葉だ。小説を書くことも作業と言い切りたかったが、そこでつまずいた。書く内容を前日に全て決め、翌朝から実際に書こうと準備しても、これが何故かうまくいかない。作業と割り切ってしまうと、流石に単調であり過ぎた。

 小説を書くことは修正作業と創造の二工程に分かれていて、新しい言葉を書き続けるだけでは足元が危うく、修正だけでは前に進めない。けれど創造だけでは、言葉の勘が培いにくい。自分の文章を丹念に読み返し、冷静に一文字一文字直していくことでしか、私の場合は勘を思い出しにくい。勘が働かないまま書き進めると、後々の推敲が余計大変になる。最初の修正で言葉の感覚を思い出し、次に書く言葉へフィードバックするのが適切だろう。

 ある漫画家が三年ほど前に「夜中に物語を考えてネームを書き、午前にペン入れの作業をすると上手くいく」と語っていたが、新たな言葉を自由に書く作業は夜のほうが、冷静に言葉を整備していく作業は午前のほうが進み良い。この二行程は物語の論理、文法の論理でそれぞれ頭の使う部分が異なるのだろう。

  

 あとは、ゼロ稿(推敲が終わらぬうちは一稿足らずなので)からWordで打ち込んでいたのを、メモ帳から書くようにした。これも何故かは解らないが、新しい言葉を書くときはメモ帳のほうが使い易い。推敲のときだけWordを使うようにすると、頭のモードが切り替わりやすい。メモ帳は自動で文字数がカウントされないから、まだこれっぽっちしか書けていない、と無意味に落ち込まなくてもいい。文字サイズも余白も小さいから、狭いタブレットPCの画面でも書いた分を一望出来る。たしか津村節子の『人生のぬくもり』に紹介されていた話で、吉村昭は清書のとき、原稿用紙五枚分の文字を一枚の用紙に詰め込んでいたらしい。

 

 

人生のぬくもり

人生のぬくもり

 

 

 白紙から書く。続きを書くのは気が重い。毎回新しい場面から始めると気楽だ。

 もうひとつ心がけていることで、しんどくなったらやめる。一回一回のしんどさが、最終的に「小説を書く/直すことはしんどい」と身体に記憶される事態は避けたい。二十分か三十分で一場面書けたら上出来で、あとは出来るだけ丁寧に直し続ける。直す作業自体は書く作業よりは気楽だが、それだけに集中すると煮詰まる。書くことが、適度な気晴らしになる。

 

 ただ、最も地力を鍛えるのは三番目の方法だろう。直さず書ければ一番いい。後から直せると思うと、気が抜ける。もっとも、一生一度きりの言葉と思い見なして書き続けるには、並大抵でない忍耐力が必要そうだ。円城塔はたしか一日三枚。古井由吉も『招魂のささやき』で、たしか一日三枚か五枚と書き残していたはずだ。案外少ない印象だが、二人ともコンスタントに作品を発表し続けている以上は、回り道がいちばんの近道なのかもしれない。

 

招魂のささやき

招魂のささやき

 

 

 ただ、これは自分の文体を確立し切った人にのみ許される、贅沢な執筆法という気もする。

 まずはある程度がむしゃらに、けれど一定の質も担保して書かなければならない人には、やはり二番目の方法が丁度いいんじゃなかろうか。