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意味の検証

 あの頃は、二十五枚から三十枚くらいの短編が盛んで、形容詞はこれでいいのかなどと激論をたたかわせた時代さ。私と同世代から、もっと小説家が出ても良かったんだろうが、あまりにもそういう議論がうるさくてね。書いたって、七、八行以上進みやしない。たとえ進んでも、四、五枚さ。クソミソにけなすからね。一語一語吟味するんだ。酒の味の議論みたいに。「この形容詞は一体何だ」「そんなんじゃ、ダメだ」「どう考えて、この言葉を使ったんだ」じつにうるさく議論する。
(秋山駿『私の文学遍歴――独白的回想』)

私の文学遍歴

私の文学遍歴

 どう考えて、この言葉を使ったんだ、という。言葉を表現に、表現を作品に広げれば、何のためにこの表現はあるのか、何のためにこの小説はあるのか、となる。この戦後まもなくに小説を書く大学生の議論を、自分とまったく無縁だと断じれる人は、そう少なくない気がする。自問なら、なおさらありふれた問いかもしれない。
 書く人が、どこかで一度はぶち当たる問いである。どちらかといえば、物語を読ませることを主とする小説より、それ以外を読ませようとする小説を書く場合のほうが、ぶつかる頻度は高いだろう(最初に引いた秋山駿は、「太宰治のような小説をめざすと、ほとんど三行ぐらいごとにケチがついた」のだという)。何のためにこの小説はあるのか、という問は、「なぜ書くのか」という私的な問いよりも、さらにやっかいだ。自分のことは自分で割り切れたとしても、他人は自分で割り切れない。

 どう書けば、人はこの小説に意味を認めてくれるのか。
 そもそも小説の意味とは何か、では厄介そうだ。それでは「自分はなぜ書くか」に出戻るか、問い自体に「絶えず手を触れ」る、あるいはその触れる「手の感触を確かめる」しかない(秋山駿『私小説という人生』)。つまり、解けない問いに立ち往生するしかない。
 手の感触といえば美しいけれど、それでは実用にならない。問うべきは問う心自体の真摯さではなく、技術であってほしい。「小説にはどんな意味があるのか」では、曖昧過ぎる(これを強引にねじ伏せようとしたのが辻邦生だが、ねじ伏せきれていない気がする)。「意味」を「書く私にとっての意味」に解体するだけでは、片手落ちだ。であるならば、細分すべきは小説だろう。小説において意味ある表現とは、そもそも何か。
 三島だって、ぶち当たっている。
  
 小説を書いていると、大げさなことをいえば、「彼は家へ帰ってきて飯を食った」と書いても、その一行に小説の全運命、全宿命、全問題がみなかかってくるような気がして、その一行書くだけでくたびれちゃう。とにかく「彼」という人間がいるのかということがまず問題だ。「家」というのがまず問題だ。「家へ帰る」ということがまず問題だ。そのなかに全社会、全歴史が入っちゃっている。「彼」がいるのかいないのか、だれがわかりますか。平気で「彼」なんて書くでしょう。よほど無神経でなければ小説が書けない時代になってきたのかもしれないな。
三島由紀夫の発言――中村光夫三島由紀夫『対談・人間と文学』)

対談・人間と文学 (講談社文芸文庫)

対談・人間と文学 (講談社文芸文庫)

 
 これは、書きあぐねた人にこそ共感を覚えさせる告白なのではないか。ありふれた一文に「全運命」「全宿命」「全問題」が集約されてしまうのは、この小説には何の意味があるのか、という素朴で手強い問いが凡庸な部分にこそ立ち現れるからである。私小説に置き換えれば、自己、自意識、などという曖昧極まる地点で、問う心が麻痺してしまう。あまりにも漠然とし過ぎていて、何をどう問えばいいのか解らなくなる。
 やはり、まずは具体的な地点から出発すべきだ。意味のある表現とは、何なのか。

 裏から考えると、無意味な表現はまず単発である。小説に限らず、映画や漫画であっても、突拍子もなく出現し、そしてどこにも繋がらない要素は、登場人物だろうが具体的な事件だろうが、印象には残りにくい。一回しか登場しないような人物に、重要そうな名前をつけるのには抵抗がある。
 文章は、意味論理の流れに沿って進んでいく。最初にこのような言葉があれば、当然次はこのような場面へ展開していくだろうと、身構えつつ読むのが自然だ。人生に予想外の破調があり、その人の続けてきた生活が一旦は途絶えたとしても、過去の流れはいつのまにか蘇ってくる。前回と同じく横光利一の『春は馬車に乗って』の冒頭に立ち返るなら、

 海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。一艘の舟が傾きながら鋭い岬の尖端を廻っていった。渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた。
 彼は自分に向って次ぎ次ぎに来る苦痛の波を避けようと思ったことはまだなかった。
横光利一『春は馬車に乗って』)

 外界の「波」を受けて、「苦痛の波」へ話が転じたところから、

 このそれぞれに質を違えて襲って来る苦痛の波の原因は、自分の肉体の存在の最初に於て働いていたように思われたからである。彼は苦痛を、譬えば砂糖を甜める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。そうして最後に、どの味が美味かったか。 
 ――俺の身体は一本のフラスコだ。何ものよりも、先ず透明でなければならぬ。と彼は考えた。(同上)

 ここでちょっとよくわからなくなって、

 ダリヤの茎が干枯びた繩のように地の上でむすぼれ出した。潮風が水平線の上から終日吹きつけて来て冬になった。(同上)

 不可解なうちに冒頭の「ダリヤ」が再び顔を現し、更に「一本のフラスコ」から「茎」へ接ぎ木され、晩秋から「冬」へと時が流れ、
 
 彼は砂風の巻き上る中を、一日に二度ずつ妻の食べたがる新鮮な鳥の臓物を捜しに出かけて行った。彼は海岸町の鳥屋という鳥屋を片端から訪ねていって、そこの黄色い爼の上から一応庭の中を眺め廻してから訊くのである。(同上)

 「食べる」ところで、なるほど「砂糖を甜める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した」の「舐める」が流れてきたのだな、とようやく落ち着く。利一が、「彼は苦痛を、譬えば砂糖を甜める舌のように、あらゆる感覚の眼を光らせて吟味しながら甜め尽してやろうと決心した。そうして最後に、どの味が美味かったか」という浮き足だった文章を、どうしてこんな部分に差し挟んでしまったのか、自分にはちょっとわからない。削りたい。好みに過ぎないが、なんだか、特別な感覚感性の持ち主みたいで、いやらしい。利一自身も、深く考えずに書き挟んでしまったか、あるいは小説の外側から不用意に持ち込んできてしまった考えなんじゃないか。「俺の身体は一本のフラスコだ。何ものよりも、先ず透明でなければならぬ」という比喩も、前文との関連がわからない。なんとなく、言葉の勢いで読まされている気もしてしまう。しかし、そのような勢い、言葉の力自体は、「午後の波」から「苦痛の波」へ、さらに苦痛をぐるりと正反対に裏返した「砂糖を舐める舌」から、「美味かった」への着地という流れの確かさで成立しているのだろう。
 鳥屋に戻ろう。「逆巻く濃藍色の背景の上」から「砂風の巻き上る」で渦が繋がり、

「臓物はないか、臓物は」
 彼は運好く瑪瑙のような臓物を氷の中から出されると、勇敢な足どりで家に帰って妻の枕元に並べるのだ。
「この曲玉のようなのは鳩の腎臓だ。この光沢のある肝臓はこれは家鴨の生胆だ。これはまるで、噛み切った一片の唇のようで、この小さな青い卵は、これは崑崙山の翡翠のようで」
(同上)

 「舐める舌」が「臓物」に結ばれ、これから食される「臓物」と日々病に侵される妻の「臓器」が重なり合う。瑪瑙のような、という新しい比喩が湧き上がり、それが「曲玉のような」「光沢のある」「翡翠のような」へ流れ継がれていく。比喩も単発でなく、こんな風に別の言葉を導き出せば流れが生まれる。先の過程を含めて比喩の力になるわけで、鮮やかな表現を一撃で繰り出せなかったとしても、その先で力を宿すことは出来る。むしろ、そうでなくては、無意味で無力な時間稼ぎにしかならない。
 
 すると、彼の饒舌に煽動させられた彼の妻は、最初の接吻を迫るように、華やかに床の中で食慾のために身悶えした。彼は惨酷に臓物を奪い上げると、直ぐ鍋の中へ投げ込んで了うのが常であった。(同上)

 どきどきする描写だ。「一片の唇」と「饒舌」の舌から「接吻」へ、さらに「身悶え」へ流れが続いて、「身悶え」の苦悶が「残酷」の二字を呼び起こせば、

 妻は檻のような寝台の格子の中から、微笑しながら絶えず湧き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛えている」
(同上) 
 
 「身悶え」が「獣」に流れ着いて、さらにどきどきする。看病がひとつの交歓に昇華していくのは、これはもう病妻小説の定番だろうが、実に自然な流れだ。「檻のような寝台」は「鳥屋」から。『春は馬車に乗って』の冒頭は、こんな風に複数の流れが絡み合って前へ前へと進んでいく。「この形容詞は一体何だ」とか、「どう考えて、この言葉を使ったんだ」などとは、口を挟みにくい。
 次の表現を生む水源になれば、それこそが表現の意味になる。次のこの部分に繋がるのだ、と答えられる。流れる先が三つ四つと連なっていけば、問う気力自体が起こりにくい。
 
 意味とは流れじゃないかと、ひとまず結論する。
 そもそも何故、作品に意味を問わねばならないのか。自分を振り返れば、それはこちらの心に何物も流れてこないときだ。あるいは、ひとつの言葉が自分の心に繋がらなくとも、小説内のどこかには繋がっていてほしい。風通しが悪い、という皮膚感覚を退屈な文章に覚える人はたぶん少なくなくて、そこで巻き起こる風、の感触が指し示すものも、流れ、繋がりの欠如かもしれない。あるいは、淀んでいる、という不快さである。
 読む意味のある小説とは、読んだ前後で自分の人生や生活の流れが変わるものだ、という人もいる。私に最初に小説を教えてくれた人は、「読んだ前後で感覚が変わる小説を書きたい」と繰り返していた。なかなか難しい理想だが、書くこと自体の意味は、必ずある。次の小説に繋がるのだから。それこそ三つか四つ書いてしまえば、根本の意味を問う必要は、そうないのではないか。「生産力のあるものだけが真実である」と、ゲーテの詩にあるらしい。ある表現の生産力は、その先でどれだけ多くの語や表現や世界を産めるか、で測れるだろう。続きを書きあぐねたとき、新たに流れを生めそうな表現を前文に探したり、どん詰まってしまった一文を消したりするのは、案外有効な術である。
 そのゲーテは、「この世で人を欠くべからざる存在にするものは、愛以外にない」(『若きウェルテルの悩み』)と書いた。ドイツ文学者の手塚富雄は、こんな風に注釈している。

 だれしも人間としてこの世に生きるかぎりは、あってもなくてもいい人間にはなりたくない。人々にとって大切な、欠くことのできない存在でありたいと願わずにはいられないだろう。どういう範囲のなかで、というのは、第二、第三の問題である。わずか数人に、いや一人にとってなくてはならない存在であるにすぎなくとも、その意味は軽くない。ところでそういう存在になりうる秘密は何かを、ゲーテはここで言いあてたのである。
 それはその人が愛をもつことである、いましている仕事に、またはいま自分にかかわりのある人たちに、愛をもつということだけが、その人の存在の意義を据えるのである。才分や能力は、生まれつきの優劣もあって、さしあたりはどうすることもできないものである。だからそれだけを基準にすると、われわれはわれわれの存在に絶望しないわけにはいかない。しかし愛なら、われわれの心がけしだいで、自分のものにすることができる。はじめからそれができなくとも、最初は親切を主眼にしてやっていけば、だんだんほんとうの愛に育つかもしれない。そういうふうに愛をそそぎうるものを見つけ、そしてその愛をもちつづけたら、われわれは才能は貧しくとも、この世でなくてはならない存在になりうるのである。そのとき、われわれは自分の愛がいよいよ深いものになることを願わずにはいられないだろう。
手塚富雄『いきいきと生きよ』)


 手厳しい。愛するものをどうしても見つけられない人は、と問いたくなる。論理としても引っかかる。どうして自分が自分以外のものを愛せたとして、それが「存在の意義」の留め金となるのか。自分以外のものを愛せること自体が喜びであり、生きる意味である、ならわかる。しかし「人々にとって大切な、欠くことのできない存在」とは限らない。先に愛せば愛される、という素朴な話でも通りそうだが、そもそも、手塚が一番目に挙げたのは「仕事」である。なら、仕事に励めばそれだけ評価されると、単にそれだけの話かもしれない。けれどゲーテを愛読し、ついには『ファウスト』を訳した手塚なら、この「仕事」も「生産」の流れで書いた、と信じたい。お前が今、現時点で存在する意義は何か。青臭く、しかも答えにくい。それに対して手塚なら、自分の仕事で「生産」を果たすためだ、と答えられたのではないか。いま意味がなかったとしても、生むことで意味するのだ。これから。
 子を持たない人生に意味はない、という声は、私には聞き苦しい。生物学的に、という冠を不自然に被せたところで、必ずしも多数を納得させられる意見ではないだろう。しかし、にもかかわらずそうした思想が力を持ち続けているのは、親子という枠組自体が、ひとつの流れに他ならないからだろう。子のない人生は無意味だ、というのは極論以前で、単に自分の言葉を制御できないだけだが、子のある人生にひとつの意味があるのは、それは確かだ。

 この表現の意味は何か、とつまずくとき、人はその表現の、それから先を読んだのだろうか。先を読んでなお意味が掴めないなら、それは書き手の失敗である。先に産み落とした表現があれば、それは読み手の早合点だろう。こんな表現が、こんな作品が何のためにあるのか、何にもならないと書く人が放り投げれば、それもまた早合点である。意味は後から作れるはずだ。

 冒頭に帰ろう。秋山駿である。

 雨に濡れた歩道の上に光が射してきて一つの小石が輝く。生の貴重さのイメージとはそんなものではあるまいか。小石が星になる。そしてこの光りとは、死のことなのだ。
 生の貴重さの源泉には、死がある。死がなければ生が輝かぬ。もし、頭のおかしい帝王が望んだように、われわれの生が不老不死であるとすれば、われわれの生はすべて、いかにも無意味いかにも平凡な、無数の砂粒の中の一つと化してしまうであろう。しかも一粒という形さえ明らかならぬものになってしまうであろう。
 ここに在るものが、ただ一つのかけがえのないものである、と思うとき生の内部に生ずるのが、「私」である。私とは、生が死の発条に触れるとき発する花火のようなものだ。こう言ってもよい。私とは、人間の内部で死の光りによって輝くものだ。この空間この時間において、私というものはただ一点である、と思うためには、死の座標軸が要る。
 なくなる、ということにおいて、存在の一つ一つが独創的なものになるのだ。したがって逆に見ればこうなる。生とは、存在の頂点の形である、と。なぜなら生ほどに、存在がなくなるということを明らかに証すものはないからだ。 
(秋山駿『人生の検証』)

人生の検証 (新潮文庫)

人生の検証 (新潮文庫)

 表現が別の表現を産んで、作品が別の作品を産んで、それで一番最後の行き止まりは何なのだ、と問われたら、逆にこう問い返さなくてはならない。果てなく、終わりなく続く表現の流れや、どこまでいったって終わらない小説に、意味があるのかどうか。終わりから立ち返ったときに、何気なく読み過ごした言葉が「輝く」ときがあるんじゃないか、では、楽観が過ぎるだろうか。様々な言葉を産み落としながら、生き永らえていく一個の表現を読み終えたとき、それを無意味と断じられるか。ごく素朴に、困難なのではないか。
 書く側にも、読む側にも、流れに立ち会っただけの時間の重みがある。
 敗戦を経験し、この本を書いたときには六十の齢に達しつつあった批評家の心を理解するのは、四十近く年若い人間には難しい。率直に、わからない。「私はこの頃、いや誰だってそうなのだろうが、死が恐怖や不安の対象ではなくなっていることに気がつく。ときに、慕わしいものというか、懐かしいものとしても感ぜられるのである」と同書を結んだ秋山は、二十五年後の二〇一三年、食道癌の告知を受けた。亡くなるのはその三か月後だから、宣告時点で末期だったのだろう。言い渡された診断に対して、秋山は一切の治療を望まなかったと、死後刊行された『私の文学遍歴』の年表には、確かにそう記されている。
 享年八十三。子を望むことは生涯なく、喪主は妻が務めた。

私小説という人生

私小説という人生