焦燥と承認

 人は書きたいから書く。そんな純粋な行為に、書くこと自体とはまったく無関係な苦悶が伴うことがある。得られぬ評価、承認を望むが故の苦しみ、焦燥である。
 書くことの承認と焦燥を主題にした短編に、菊池寛のデビュー作『ある無名作家の日記』がある。
 登場する文科の学生・佐竹は、「黙々と」千五百枚を超える「長編の創作に従事」したと語り、語り手「俺」に「何かの偉さを持っているに違いない」と確信させる。一方で、今度完成させた百五十枚の短編は、先輩の小説家に送ればきっと文芸誌に推薦してくれるに違いないと語り、「俺」に「その「呑気さ」を「淋し」く思わせる。「あの人(※佐竹の先輩の小説家)は、投書家からいろいろな原稿を、読まされるのに飽ききっているはずだ。こんな当てにならないことを当てにして、すぐにも華々しい初舞台ができるように思っている佐竹君の世間見ずが、俺は少し気の毒になった。実際、本当のことをいえば、文壇でもずぼらとして有名な林田氏が、百五十枚の長編を読んでみることさえ、考えてみれば怪しいものだ」。
 これは佐竹に対する憐憫と同時に、他ならぬ「俺」への批判でもある。
 そも東京の高等学校にいた「俺」が京都の文科に移ったのは、同じ文芸部に所属していた面々の「秀れた天分から絶えず受けている不快な圧迫」に「堪られなくなったためだと、いえばいわれないこともない」*1ためであり、そこには「もうよほど、文壇の中心から離れている」「それでも文壇の一部とはある種の関係がある」中田博士の知遇を得れば、文壇への紹介も非現実ではないという算段があった。「俺」の「呑気さ」を裏付けるように、中田博士に提出した七十枚の自作は、いつまでも未読のまま放置される。
 
 そもそも、「俺」が文芸部員たちから「不快な圧迫」を感じずにはいられないのはなぜか。
 たとえば作家の佐伯一麦は、自分の著作が世に出ないことに悩んでいたとき、先輩作家の三浦哲郎に「なあに、あわてなさんな。お先にどうぞ、と腹をくくることだよ。これは僕が苦しかったときに、井伏先生がおっしゃった、いわば師匠直伝の言葉なんだ」と助言されたという(『麦主義者の小説論』)が、これが良識だろう。「圧迫」など、馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだ。
 この「不快な圧迫」をうまく説明した文章に、最近たまたま出会って、なるほどなあ、と唸った。


 承認欲求が先にある研究では、成果が出てこそ人に認められるので、どうしても成果を急ぐことになります。また他の人が評価されれば、相対的に自分の評価が下がったように感じて、競争心が芽生えます。競争心は、自分を鼓舞して頑張る原動力にもなりえます。しかし、競争に常に勝ち続けるのは非常に難しいことです。また承認欲求を第一の目的にして競争心に煽られながら研究を続ければ、自分をどんどん消耗し、どこかで破綻をきたす可能性が高くなります。 
 承認欲求を持つこと自体は、社会的な動物である人間にとってある程度必然的なことです。小さな子どもは親から認められ面倒をみてもらうことではじめて生きていけるので、親から嫌われることはしないようになります。このような子どもの承認欲求をさらに強固にするのが、賞罰教育です。勉強ができれば褒めれば、それをモチベーションにますます頑張る。できなければ怒られるか、少なくとも褒められはしません。受験などは承認欲求と競争を凝集したようなシステムです。
 私たちは子どもの頃からこうした環境で育っていますから、承認欲求を断ち切るのは非常に難しいのです。特に研究者を志すような人たちは早くからエリートと呼ばれる機会が多く、人から承認されていないことに慣れていないのです。
(佐藤雅昭『なぜあなたの研究は進まないのか』)

なぜあなたの研究は進まないのか?

なぜあなたの研究は進まないのか?

 

 

 菊池寛の時代でいえば、東京の「高等学校」とは「エリート」の進学先だ(おそらくは旧制一高)。『ある無名作家の日記』で、「俺」の「創作家になることを志した理由」が「中学時代に作文が得意であったという、愚にもつかない原因」なのは、案外設定として巧みである*2

 そもそもこの高等学校の文芸部は、「俺」には競争の舞台でしかなかった。「俺」は、「東京にいて、山野や、桑田などと競争的になるのが不快で堪らなく」なったが故に京都に逃れたのだ。そしてその「不快な圧迫」から逃れたようで、実際には「彼らとまったく違った境遇におれば、彼らに取り残された場合にも言い訳はいくらでもある」などと、なお執拗に意識せずにはいられない。物理的な距離とは裏腹に、対象を余計に意識し嫉妬を膨らせるのがこの小説の勘所だが、実に変な話でもある。
 この「承認欲求」は、いつ、どうして発生してしまうのだろうか。
 
 これから研究を始める、あるいは今研究をしているあなたにはぜひ一度立ち止まって、なぜ研究をしているのか、研究を何を求めているのかを考えてほしいのです。他人からどう思われるかではなく、しっかりとした自分自身の価値観、自分は人にどう思われようと何々だから研究するのだ、と言い切れる確固たる自我を確立してください。研究の本物の醍醐味、面白さは、そのような地に足の着いた研究姿勢から生まれてくるはずです。
 「承認欲求」をできるだけ否定し、自分自身の確固たる目的意識に沿って研究する……そんなことはできるのだろうか?  至極ごもっともな指摘です。たしかに研究では、成果を人に知ってもらわないと自己満足に終わってしまいますし、論文として世に出すためには通常はまずReviewerを納得させなければなりません。
 重要なのは、評価の対象が「あなた」ではなく「論文」あるいは「研究結果」だと意識的に区別することです。ケチをつけられても、それは「あなた」への非難ではなく、研究結果そのものに問題があるのではないかと意見されている、ということです。総じて、論文がReviewerに認められることは、「私自身」の研究目的を果たすために必要であると同時に、研究そのものをより良くするために重要であり、子どもが親から認められたいと思うような原始的な承認欲求とは次元の違う話です。
(佐藤雅昭『なぜあなたの研究は進まないのか』)

 

 研究についてのこの本が、本来それとは無関係な小説を書くうえでの方法論として読めてしまったのは、両者に共通の流れがあるからだ。いずれも、Reviewer(査読者・編集者)に読まれたうえで、acceptまで何度も修正を繰り返したり、時には書いたもの全てをreject(掲載拒否)される。
 論文のrejectが研究者の非承認ではないように、小説のrejectも書き手の非承認ではない。が、この二つを切り分けることは存外難しい*3。最初の地点に戻れば、そもそも、人は認められるためだけに書くのではない。競争と承認という原理に今現在突き動かされていたとしても、最初の動機はまずもって喜びなのではないか。
 精神科医神谷美恵子は、有名な『生きがいについて』で「真のよろこびをもたらすものは目的、効用、必要、理由などと関係のない"それ自らのための活動"」とし、「生きるよろこび」の原形を子どもの「あそび」に見出しつつも、「よろこび」についてこう触れている。
 
 ベルグソンはよろこびには未来にむかうものがふくまれているとみた。たしかによろこびは明るい光のように暗い未知の行手をも照らし、希望と信頼にみちた心で未来へむかわせる。何か不幸な事情でもないかぎり、みどり児に見いる母親の眼ほど未来と生命へのそぼくな信頼にあふれているものはない。(神谷美恵子『生きがいについて』)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

 

 

 この「未来」に開かれる感触が失われ閉塞したとき、人は過去に立ち返る他なくなるのだろう。もっとも、その過去の積み重ねが現在なので、本当は懐かむ道理などないのだが、それでも暗い現在からは輝かしく見えてくる。その残像は後悔を掻き立て、傷を刻む。たとえば、「俺」の心に。

 

 俺は、彼らに対抗するために、戯曲「夜の脅威」を書いている。が、俺の頭は高等学校時代のでたらめな生活のために、まったく消耗しきっている。この戯曲の主題には、少し自信がある。が、俺のペンから出てくる台詞は月並みの文句ばかりだ。中学時代に、自分ながら誇っていた想像の富贍なことなどは、もう俺の頭の中には、跡形もなくなっている。
菊池寛『無名作家の日記』)

 

 「中学時代」の作が、「月並みな文句ばかり」でないわけがない。「俺」がここで理想化し懐かしんでいるのは想像力ではなく、むしろ自分はこれから未来に歩いていけるという、開かれの感触なのではないか。裏返せば、この開かれていく、これから変じていくという希望、「前途に目標をすえ、それにむかって歩いて行こうとする」(神谷美恵子)力が失われたとき、人は承認で現在の自分を保つ他ないのではないか。承認欲求が原始的な、低次の欲求だとしたら、その根本部分が露出するほどに欲求する心が痩せている。*4
 
 生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。ただしその際、時間は未来に向かって開かれていなくてはならない。いいかえれば、ひとは自分が何かにむかって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである。
神谷美恵子『生きがいについて』)

 

 「俺」の「中学時代」は、「何かにむかって前進している」と無条件に保証してくれた。あるいは「高等学校にいた頃」もそうだ。「なあに! 僕たちの連中だって、今に認められるさ」「そうとも、文芸部で委員をしていた者は、皆文壇的に有名になっているんだ」という文芸部での会話には、傲慢ではあっても、たしかに「前進」の希望がある。彼らから伝染したその気分を、「自信があったというよりも、自分の真実の天分なり境遇なりを、自分でごまかしていくことができたのだ」という俺の読みは、単に現在から過去の意味を汚しているだけではないのか。 
  こういう開かれの希望は、「中学時代」の後、すなわち無条件な保証を失ってからは、意図的に持つ必要があるのだろう。では希望は、どのような手続きで作り出せるのか。
 「将来の或る時を待ち望んでただ現在の苦しい生を耐え忍んでいなくてはならないひともある。この場合にも現在の毎日が未来へと通じているという、その希望の態勢に意味感が生じる」(『生きがいについて』)。神谷美恵子のこの記述とまるっきり逆なのが、佐竹だろう。
 
 いつか、あの男の部屋を訪問した時、実際あの男は、もう三百枚もあるという草稿を俺に見せた。その上、少年時代からずうっと書き溜めた高さ三尺に近い原稿を、俺の前に積み上げた。
「百枚ぐらいのものなら、七つ八つありますよ。このうちで、一番長いのは五百枚の長編で、俺の少年時代の初恋を取り扱ったもので、幼稚でとても発表する気にはなれませんよ。はははは」と笑ったっけ。俺は、あの人の他産に感心すると共に、その暢気さにも関心した。発表する気にはならないといって、もし発表する気にさえなればすぐにも出版の書店でもが見つかるような、暢気なことを考えているのだ。俺はあの男のように、発表ということや、文壇に出るということについて、少しの苦労もない心理状態がかなり不思議に思われる。あの男は、ただ書いていさえすればそれで満足しておられるのかしら。
菊池寛『ある無名作家の日記』)
 
 「書いていさえすればそれで満足しておられるのかしら」と「俺」に思わせるような「暢気さ」と同時に、佐竹には「俺の小品が七枚でも活字になったこと」に「激昂」するような「焦燥」がある。この「暢気さ」は、単に「俺」に対する余裕ぶったポーズ、つまりは傲慢の裏返し、だけではない。
 本当は、こういう諦観に近いのではないか。
 
 実は論文を書いた側の問題で一番根が深いのは、初稿を書き終えた段階で燃え尽きてしまって、それ以上の手を打とうとしなくなることです。論文を指導教官に渡した段階で、すでにその論文がどうなるかは自分の問題ではない、ボールは相手のコートにある、あとは相手がどう打ち返してくるかだと思いこむわけです。これは書く側の甘えであり、ひどい場合には、論文作成の作業そのものにすでにうんざりしているので、指導教官が論文を返してくれないことをある種の言い訳にして、それ以上何もしようとしない状況を目にします。結局、論文を書き上げてpublishするということが本心では面倒で嫌になっているのだけれど、さすがにそう表明するのははばかられるので、誰かのせいにしてしまって自分はそれ以上何もしない(楽をする)という心理です。
(佐藤雅昭『なぜあなたは論文が書けないのか』)

なぜあなたは論文が書けないのか?

なぜあなたは論文が書けないのか?

 

 

 他人事として読めないので、自分の話をする。
 こういう状況に陥ると、読んでくれる相手の反応が無いほうが安心する。アリバイ作りのために書く始末になる。私は書いている、書き続けていると自分に言い聞かせるためだけの小説に、未来への開かれや希望などあり得ないし、無気力が沈殿しただけの作品と向き合うことは、単に苦痛でしかない。提出後の時間を呆然と過ごし、読んでもらった相手からコメントが返ってきたとしても、改訂する気力など起こりようがない。ただ惰性で、ありもしない義務を果たした気になるだけだ。*5
 佐竹は「俺」と初めて言葉を交わすとき、やたらに「枚数」の多さを誇る。
「実は今、僕は六百枚ばかりの長編と、千五百枚ばかりの長篇とを書きかけているのだ。六百枚の方は、もう二百枚ばかりも書き上げた。いずれでき上がったら、何かの形式で発表するつもりだ」
 こう語る佐竹を、「俺」は「自分の力作に十分な自信を持っていて、俺のように決して焦っていない」とあるが、枚数と質は違う。枚数は書けば積み上がるもので、これが自分の努力の純粋な結果だ、あとは他人がどう評価するかと線引きしてしまえば、これほど都合良い指標はない。
 あとはすべて、自分にはどうしようもないことだ。たとえば「感性」が違い、「経歴」が違い、「立場」が違う。自分の小説がrejectされるのは「片々たる短編ばかり」載せる雑誌の問題、あるいは「どっしりした長編」を歓迎しない「日本」の問題、つまりは受け入れない相手や状況の問題と化す。
 他人事として笑えない人は、私だけではないのではないか。
 
 これは「何のために自分は論文を書くのか?」という本質が理解できておらず、やれと言われたからやる、といった「やらされ感」がそうさせるのだと思います。心当たりのある人はもう一度自問してみましょう。Publishまで持っているかどうかは結局、他でもない"あなた自身"にかかっているのです。
(佐藤雅昭『なぜあなたは論文が書けないのか』)

 

 何のために自分は書くかとは、書くことでどこに向かうのかと、開かれた感触を取り戻すための問い掛けなのだろう。同時に、何のために自分は書いてきたのかと問うことは、それだけで確かに書けてきた、そこまで歩いてきた自分の足取りを実感出来る。書けてきたなら、書くはずなのだ。
 「書きたいから書く」は間違っていない。しかし本当にそれだけで書けるなら、わざわざ理由を己に問い質す必要など無いはずだ。「書く理由など無い、書いたから書いたのだ」と言い切れる態度は、単純に美学として格好良い。理想的ですらある。けれど「書いたから書いた」だけでは満たされないとき、そこには何らかのアップデートが必要になる。
 その小説を書くこと自体で、どう変われるのか。それを、具体的に思い描けているかどうか*6
 『なぜあなたの研究は進まないのか』では、研究上の困難に窮したとき、「次のステップに進めるか、砕け散る(精神的に落ち込んで立ち直れなくなる、研究自体をギブアップする)かの分かれ道は、他の人との対話ができるか」と断言する。それが出来ないのは、「他の人は自分の研究の困難さ、自分の悩みを真に理解してくれないと思ってい」たり、あるいは「周りに自分がぶつかっている困難な状況を話すことは、自分の無能力さを露呈することだと(無意識に)思っている」から。

 

 あなたの抱える問題は、相談したからと言ってすぐに解決するほど簡単ではないことが多く、だから相談しても無駄だと思ってしまうでしょう。しかし、他の人の意見には、あなたが気付いていない、思いがけない問題解決の糸口があることが多々あります。また、あなたの持つ困難を他の人に説明する過程で、直面している課題が客観視できるようになり、次にどうすればいいかが自然と見えてくることもあります。
 ここでよくありがちなのが、あなたのこと(大抵は愚痴がほとんど)ばかり話してしまい、せっかくの他の人の意見に十分耳を傾けない、という状態です。これを避けるために、傾聴する力が問われます。あなたが話すだけでなく、対話ではむしろ相手からの意見・アドバイスにしっかり耳を傾けることが不可欠です。
(佐藤雅昭『なぜあなたの研究は進まないのか』)

 
 村上春樹の『職業としての小説家』を読んだとき、長篇小説を書くときの異様な鷹揚さに驚かされた。村上はまず、長篇の第一稿を仕上げた後(もちろん一か月から二か月の推敲込みで)一週間を置き、二回目の書き直しに入る。その後にまた半月から一か月放置し、更にまた三回目の書き直しを行い、第四段階として「第三者の意見」を取り入れるのだという。これが終わった時点で、ようやく編集者に「正式に」読んでもらう。ここまで時間をかければ、「頭の加熱状態はある程度解消されていますから、編集者の反応に対しても、それなりにクールに客観的に対処することができます」。
 
 とにかく書き直しにはできるだけ時間をかけます。まわりの人々のアドバイスに耳を傾け(腹が立っても立たなくても)、それを念頭に置いて、参考にして書き直していきます。助言は大事です。長編小説を書き終えた作家はほとんどの場合、頭に血が上り、脳味噌が加熱して正気を失っています。なぜかといえば、正気の人間には長篇小説なんてものは、まず書けっこないからです。ですから正気を失うこと自体にはとくに問題はありませんが、それでも「自分がある程度正気を失っている」ということだけは自覚しておかなくてはなりません。そして正気を失っている人間にとって、正気の人間の意見はおおむね大事なものです。

村上春樹『職業としての小説家』) 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

 他人の声をしっかり聴取することは、極めて難しい。作品と自分を切り離そうと意識し努力しても、心の抵抗はどうしても生じる。『なぜあなたの研究は進まないのか』では、指導教官のコメントに「自分が時間をかけて書いたものが全否定されたように思」い、「全然この論文のことを解ってくれない」と「逆恨み」する描写があるが、私がつけてきた留保はこうだ――「あの人には文学の素養がないからわからないのだ」(すごい)「私とあの人では読んでいる小説の時代や好みが違う」(私は昭和文学が好きなので、人と好みがずれることは多々あるが、好みが違うからこそ見てもらう価値があるだろう)「所詮は他人の小説だと思っていい加減に読んだのだ」(なら見せるなよ)「この程度のコメントなら私ひとりで反省しただけでも出来る」(どういうことだ?)。

 

 「第三者導入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分があれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。批判に同意できない場合には、相手の助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。
 でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんどの場合その部分が以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。
村上春樹『職業としての小説家』)

 
 村上春樹のこの長い修正が「鷹揚」に感じられたのは、振り返って、自分は書き上げた草稿を放り出したくして仕方ないからだ。動機の相当がアリバイ作りなのもあるし、他人のコメントを聴取し修正に活かせない以上は、このまま手元に置いても仕方ない。「まずは数打ちゃ当たるだ」という内心の声が、さらに悪く作用する。それは時に書けない人の救いになり得るし、時に焦燥を加速もさせる。後者の場合は、佐竹の、結局は枚数さえ稼いでしまえばそれでいい、という投げやりな発想と、何ら変わらない。承認欲求がそれに拍車をかける。「承認欲求が先にある研究では、成果が出てこそ人に認められるので、どうしても成果を急ぐことになります」(『なぜあなたの研究は進まないのか』)。
 だいたい、草稿を書き終えた後になってまで「数打ちゃ当たる」にすがらねばならない時点で、あるいは待てないこと自体が、焦りの証拠だろう。
 引用部にあるように、村上のこの「第三者導入」は、正式に読まれるまでの予行練習だ。この正式とは、論文なら指導教官やReviewer、小説なら新人賞や編集者が相当するだろう。そこに至りつくまで、まずは心理的に抵抗の少ない人間から段階的に読んでもらう。最初は難易度の低いところからだ。*7
 
 佐竹は決して「俺」に小説本文を読ませようとしないし、たぶんそれは「俺」相手に限ったことではない。「俺」が佐竹に読ませるのも、雑誌に掲載された後だ。村上の鷹揚さは自分の熱狂が冷めるのをひたすら「待つ」態度にあるが、佐竹や「俺」の「暢気さ」は、「待つ」のではなくむしろ絶望に硬直している。そこには「現在の毎日が未来へと通じているという、希望の態勢」(神谷美恵子)とはかけ離れた、ただ現状の苦痛をやり過ごす態度しかない。
 致し方ないといえばそうかもしれない。休息も必要だ。ただ、どこかで区切りをつける必要もある。
 待った先の未来図がなければ、現在において待ちようがない。繰り返すけれども、その希望は、幸福な「中学時代」が終わった後は意識的に構築する他ないのだと思う――少なくとも、鬱屈の後の再出発では。あるいは推敲こそが、それによって作品の質が高まる、より素晴らしい作品になるという希望無くしてはあり得ない。推敲そのものが、希望の所産である。第三者と希望を共有することは、最初の抵抗こそ間違いなくあっても、希望を強化する最良の手段だろう。
 欲求される承認とは、未来の承認ですらなく、まずもって「やらされている、これをやるしかない」という義務感、不全感をやり過ごし、現在を鎮痛するための承認でしかないのだろう。
 しかし、それでは根本の問題は解決しようがない。
 
 どのようにして、人は「待つ」ことが可能なのか? あるいは、粗製乱造でも、無気力状態による断筆でもなく、「将来の或る時を待ち望」む「希望の態勢」は、どのようにして獲得されるのか。
 それは第一に己の焦燥を自覚し、承認が前景化している現状を見返すことだろう。承認欲求と焦燥感は同時に現れるか、あるいはどちらかが初発の症状として先行する確率が高い。そもそもの書き始めた根を思い出し、同時に書いた先の未来を具体的に設定する。行き先を計画すれば、そこに前進すべき道のりが、希望が生まれる。そうして「待つ」心をまず作ることなのだろう。
 第二に行動として「待つ」ことで、正式に読まれる際の予行練習として、そして「正気」を取り戻す待機のためにこそ、「第三者導入」が必要となる。その際に予想される心理的な抵抗や言い訳をあらかじめ予期し、書き出しておけば、それが対処策になり得る。声は自然には聴き取れない。少なくとも私はそうだ。であれば、考え得る失敗への準備は必要だろう。*8

 
 流行作家! 新進作家! 俺は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃は少し恥ずかしい。明治、大正の文壇で名作として残るものが、一体いくらあると思うのだ。俺は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。
(太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓は、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない)
 なんという痛快な皮肉だろう。天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。
菊池寛『ある無名作家の日記』)

 

 これは皮肉でも諦観ですらなく、単に自傷である。それは「俺」がいちばん自覚しているし、「学校を出れば、田舎の教師でもし」たところで、その「平和な生活」には、この「恥」の記憶と、佐竹が見せた「暗い顔」がちらつくだろう。時間が解決してくれる可能性はある。埋め合わせとなる何かを見出すこともあるだろう。だとしても、この結末だけではさすがに悲しい。
 もっとも、菊池寛はこの半私小説を手に一歩前へ進んだ。それだけで、十分救いだという気もする。

麦主義者の小説論

麦主義者の小説論

 

 

*1:精神科医の大野裕によれば、人は気弱になったとき、自分の内心の言葉すら婉曲な形で表現するという(『はじめての認知療法』)。

*2:たしか『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』で、共著者のどちらかが「作文が出来たから作家になりたい」と語る人の多さに憤慨していた記憶があるが、笑えない指摘である。

それでも作家になりたい人のためのブックガイド

それでも作家になりたい人のためのブックガイド

 

 

*3:ただし『ある無名作家の日記』終盤の山野の手紙には、小説をrejectすることで相手個人に傷を与えようとする悪意が、でなければ軽蔑に近い軽慮が、少なくとも一か所にははっきりとある――「君は高等学校の一年生時代から、思想的には一歩も進歩していないね」これはとどめを刺す一句で、山野がどうしてこうまで「俺」に執着するかはよくわからない。

*4:それほど疲弊した人間に対して、たとえばその承認欲求を本人の「弱さ」と結び付けて責め立てるなど残忍極まるのであって、聞くたびに胸が痛む。

*5:「指導教官など論文を読んでくれる人に対して、reminderのメールを送ったり、顔を合わせたときに「あの論文の件ですが」とremindしたりといったことをこまめにすることは重要です。「ただでさえ忙しい指導教官にそんなことできない」と思う人がいるかもしれませんが、指導教官が忙しければ忙しいほど、この作業を怠ればお蔵入りのリスクが高くなります」(『なぜあなたは論文が書けないのか』)
 この先は「どうしても気を遣ってしまって、remindできない」場合の方策に続くが、読んでもらう相手にリマインド出来ないのは、そもそも読まれたら困る場合もある。このときの言い訳にこそ、私は「相手も忙しくて事情があるだろうから」を選んだ。リマインドすら出来ない作品を送ってしまったのは、他ならぬ自分が最初に解っている。何度も修正を重ね、やり切ったという自信と、これ以上はもう改善のしようがないという満たされた諦観を以て待つ時間と、後述するが、とにかく数打ちゃ当たるで提出だけ繰り返し、リマインドも送れず、義務からの解放感と、それよりはるかに強い罪悪感と後悔に浸って呆ける時間を比較すれば、まず前者のほうが短いし、しかも充実している。

*6:これはたぶん「三人称を扱う練習にする」とか「この語を極力使わないようにする」いった、馬鹿馬鹿しいぐらい素朴な目標でのいいだろう。「こんな小説を書いてみたい」というコンセプトがあれば、そこまでの道程を段階に分けていくのもいい。いずれにせよ、目標は達成可能な行動や具体的なポイントと結び付けたほうが、変化と進歩を実感し易い。変わった先の自分を、誇大妄想的に理想化すること、あるいは具体的なステップを思い浮かばぬほど抽象化して描くことは、逆に有害だろう。

*7:『なぜあなたは論文を書けないのか』には、私のような甘ちゃんには、なかなか衝撃的なくだりがある。「初稿を書き終えて最初のハードルは、指導教官など他の誰かに論文を見てもらうところです。書いた本人は、「書けた!」という解放感に浸っているかもしれません。しかし、特に論文作成の初心者はここで要注意です! 初稿に目を通してもらうこと自体が、あなたが思っているほど簡単ではないのです。
 最大の理由は、初稿が論文として読むに堪えるレベルに至っていないことです。これは衝撃でしょう。せっかく書いたのに、読んでもらえるレベルにない……と!? しかしこれが現実です。最初からキチンと書けるほど、論文は甘いものではありません。
 次に問題になるのは、初稿が読むに堪えないものであったとして、それを読めるレベルまで引っ張り上げてくれる援助者が近くにいるかどうかという点です。初稿の手前の段階、草稿を見て改善点を教えてくれるような人が近くにいるのは、実に大きなポイントです。
 読むに堪えないレベルの論文に目を通し、アドバイスを与えることはかなり難しく、多大な労力を要することなのです。まずこのことをよく理解して、論文を読んでもらうことを当たり前と思わず、感謝の気持ちを持つことも大切です」

*8:認知の見返し、そして行動の変容をめぐる名著に、ここでは紹介し切れなかったが大野裕『はじめての認知療法』がある。これは、たとえば不全感、あるいは己の怠惰に悩むあらゆる人々に薦めたい。もとは抑うつに対するリハビリテーションと生活指導の手引きとして書かれた本だが、そもそも焦燥はDSM-5のうつ病の診断基準にあるぐらいだし、重度のうつ病でなくとも抑鬱に効果のある本だ。

はじめての認知療法 (講談社現代新書)

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