記憶への躊躇 石井遊佳『百年泥』について

『私的文藝年鑑』に収録した石井遊佳百年泥』の感想を公開します。2018年もっとも面白かった小説のひとつで、回想の意味もあります。

百年泥 第158回芥川賞受賞

百年泥 第158回芥川賞受賞

 

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 舞台となるアダイヤール川は「典型的な都会のドブ川」であり、「五百万都市チェンナイのあらゆる人間活動に付随する膨大な未処理の下水が毎日」「垂れながされ」「ベンガル湾に注ぎ込む」。その橋は車道と歩道から成り、後者には「幅一メートル、高さ五十センチほどに盛り上げられた泥の山が、長さ五百メートル以上あるコンクリート橋の端から端まで延々と」つづいている。これが「百年泥」である。
 「百年ぶりの洪水ということは、それは一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、あるいはその他の有象無象がいま陽の目を見たということ」らしい。
 主人公の目の前で、さっそく歩行人たちが思い出の人々を引きずり出していく。彼らは今ようやく目を覚ましたかのように、ごく自然な身振りで、「ほどなく雑踏にまぎれ」ていく。橋の上で日本語教室の生徒であるデーヴァラージと出会い、そこから職と彼についての語りが長々と続く。
 語りを打ち破るのは警官らしき男の、デーヴァラージへの叱責である。
「おい! こらっ、何やってんだお前! 真面目にやれ!」
 小説は急に現在に戻り、デーヴァラージが百年泥から熊手で引いてきた「サントリー山崎十二年」の「ウィスキーボトル」から、回想へ飛んでいく。
 それが、小説としての「真面目」であると言わんばかりに、である。
 もっとも、「概して、授業にせよ行列にせよ約束にせよ、長くのびるものを私はこのまない。植物もくねくねした蔓草のたぐいは好みでなく、ハコベなど地にはりついたような草や樹花が好きだ」という、実に「長くのび」「くねくねした」注釈が差し挟まれ、直截ウィスキーボトルと結びついた元夫の記憶ではなく、借金取りであった実父の回想をわざわざ迂回して通ってくるのだから、微塵も「真面目」ではない。ようやく元夫の話に辿り着いたかと思えば、これもまた浮気が発覚するまでの登場人物の細部をいちいち「くねくね」記述する。とにかく話は「前後」(p.44)を繰り返すのだが、小説はまた「警官」の声で現在に引き戻される。
「立ち止まるな! 歩け!」
 警官が橋の上の群衆を警棒で追い払い始めたのは、「極度の通行障害」ゆえである。
 テレビ局の中継放送と、それを見て駆け付けた人々で、橋がいっぱいになり、彼らが水面を覗き込んだところで、
「何してんだそこ! おい行け! 止まるな!」
 というところでまた語りに戻って、「インドの警官には逆らわないほうがいい」から、ともかく後ろ向きに歩き始める。
 「しごくむぞうさに話題転換」(p.51)。「くねくね」に並ぶこの小説の文体の特徴だ。p.47-65に渡る日本語教室への語りは、「ガンガンガン」という、警官が「長い棒で力まかせに橋の欄干を叩く音」でまた橋の上へ引き戻され、デーヴァラージが次の物品を引き当てる。それは「人魚のミイラ」であって、そこから「人魚姫」のように寡黙な母との、小学生時代の甘い回想へと歩いていく。私はぼんやりした子どもだった、という。

 たとえば日曜日、家にいて、隣に母がいて、編み物をしている。今日は日曜日だ、ふと思う。すると、どこかにもうひとつの日曜日があるんじゃないか、そんな思いがうかぶ。私がすごした日曜日と、私がすごさなかった日曜日。両方とも同じ日曜日、どちらが本物とか正しいとかいうのではない。そしたらきっと、もうひとつの月曜日や火曜日だってある。それらについて考えてみた。(……)私によって歩かれなかった路地、眺められなかった風景、聴かれなかった歌について。私は目を閉じる。母によって話されなかったことば。私によって聴かれなかった母の声。それはどこかにあるもうひとつの金曜日、もうひとつの土曜日の風になって吹くのだ。(p.75)

 「私によって聴かれなかった母の声」は、その後緘黙症らしき中学三年生の同級生の「黄昏まぢかの波の歌ごえ」と聴き間違えるようなかすかな声のなかに、実演される。
 「愛想のない女」と言われた自分を思い返しながら、私は語り続ける。

 現に目の前にある人生にたいし、私はとかく高をくくる傾向があるかもしれない。これはありえた人生のひとつにすぎない、無限にある可能性の中で、たまたま投げた石が当たって鼻血を出してるのがこれにすぎない、そう思うとつい扱いがぞんざいになる。私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だ。(p.85)

 これは保坂和志『こことよそ』の現実と可能性の触れ合う瞬間、あるいは松家仁之『光の犬』で語られたイエスの視座に近い(『百年泥』含めこの三作はいずれも新潮に掲載されていて、とりわけ『こことよそ』はとにかく文体が「くねくね」していて、幻想的な私小説のバリエーションという点で『百年泥』と通底している)。
 ただこの小説は、ここで猛烈に照れる。
 かっこつけたのが恥ずかしいとばかり、「そこで、つきあう男の二人に一人はおじさんになった。ひと回り、ふた回りちかくも歳がはなれているとなれば、概して相手に寛容になるものだ」。微塵もそこで、ではないのだが、ここからまた話がインドへ帰ってきて、デーヴァラージの目から放たれたレーザーで私の髪が焼けたりして、脱線の末に大きめの音で橋の上に戻るのも、もうお決まりのパターンである。
 今度は「どん」と「重くにぶい音」がする。
 「有翼飛行者同士が衝突した」のだ。それが何かは実際に読んでほしいが、読んでもよくわからない。どうやら、インドのハイテク通勤手段らしい。
 そうしてデーヴァラージが最後に引き当てるのが、日本とインドを結ぶ、大阪万博のメモリアルコインである。ここで語りは、日本人である私から、インド人であるデーヴァラージへと越境する。デーヴァラージの「東洋文庫に入っていそうな」母の葬儀をめぐる語りが終わると、彼はもう姿を消している。
 橋の上の人々は、時にタミル語を話し、時に大阪弁を話しているようにも聞こえてくる。大阪とインドが混淆する。
 その口々の声、物語の欠片を耳にしながら、私は考える。

 かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。離されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ(p.118)

 そして主題に触れた瞬間にこの小説は恥ずかしそうに、無理に話題を変えようとする(「百年泥の界隈なのだ、そう考えたところで私はふと、人生、人生、といえばこの」の、人生、と二度繰り返すのが素晴らしい)。ところが小説は(枚数の都合もあったのかもしれないが)ここから過去に飛ぶことはない。
 「またべつの声」が聞こえて内省から引き戻され、無事に「橋をさらに進んで行く」。そこでは、百年泥から掘り出された人同士を争う「バトル」が繰り広げられている。「これはうちの甥なのよ、なにを言ってるんだ中学からのぼくの大親友だよ、ふざけんなおれのいとこだよ」と言い合う人々の中心には、私の借金の発端だった「五巡目の男」らしき人物がぼんやりしているけれども、いくら「まだらに生乾きの泥ののこる男の顔」を私が凝視しても「すでに憎しみの命数が尽きていることを知ったのみ」だった。

 こうなにもかも泥まみれでは、どれが私の記憶、どれが誰の記憶かなど知りようがないではないか? しかしながら、百年泥からそれぞれ自分の記憶を掘り当てたと信じきっている人々はそれどころじゃない、めいめい百年泥のわきにべったり座り込み、一人一人がここを先途と五巡目男にむかってかきくどくのだった。(p.120)

 五巡目の男をめぐって自分の記憶を言い張る人々をよそに、私は結論する。

 私の目にはどこをどう見ても東アジア系の目の細いおじさんにしか見えない男を甥だ親友だいとこだとインド人が奪い合うさまをながめれば、つまりは先程来、山崎12年ボトルに人魚のミイラと、降ってわいたように百年泥から見間違えようのない記念品が転がり出すことでたちまちほどけたあの記憶の数々、さも私のものらしかったそれらもひっきょう他人事とおもうしかなく、実のところ私の人生のそうとう以前、たぶん母を亡くした時点から自身の人生のパーツパーツにいまひとつリアリティがもてないでいたのだったが、どうやら私たちの人生は、どこをどう掘り返そうがもはや不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ、万障繰り合わせのうえかろうじてなりたつものとしか考えられず、そんなことを知るためにわざわざ南インドまで来たのかと思うと心底なさけなくなった。(p.123)

 デーヴァラージはウィスキーボトルや人魚のミイラといった、これまでの語りのきっかけとなった品々を河へ捨ててていく。
 「おなじみのそのうすわらいの横顔」を見ながら、「人いちばい法螺話も得意にちがいないこの人物とまだ当分縁が切れそうにないじぶんの身のうえ」に私は「深いため息」をつく。
 そもそも、なぜ私はデーヴァラージが苦手なのか。彼は優秀な生徒であり、私の日本語教師としての能力が極めていい加減なことを見抜いている(p.22)ばかりか、私が進行に最適な例文を思い付くよう「誘導」している。「彼の持ち出す話題になにか、ことさらに私の訂正をうながす意図的な感じ」(p.64)があるのである。そして「東洋文庫に入っていそうな話を経験として語りうる人物に日本語を教えるのも、なんだか畏れ多い」(p.115)。
 年下でありながら、自分よりはるかに人生経験を積んでいる人間になにかを教える気まずさ、というのは確かにあるだろう。
 ただなにより私が嫌なのは、「東洋文庫に入っていそうな話」がその強烈な貧しさのリアリティをもって、私の父母をめぐる美しい語り(花、聞かれなかった声、海)を超えるように感じることなのではないか。それを前にしたとき、私の語りは「もはや不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ、万障繰り合わせのうえかろうじてなりたつもの」に過ぎない。自分の人生を「不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ」として意識するとは、現実的には人生なんて所詮みんな悲惨だとする諦観であり、作劇的にはフィクションは全部パターンだという実感である。
 前者は五巡目の男への赦しに繋がるだろうし、後者に接したとき、人は優れた組み合わせの技法を探るか、物語を諦めて文章を凝らすか、私小説を書くかに概ね分かれる。
 この小説は日本語教師としての私小説、こんな言い方はどうかと思うが、女性作家然とした(もちろんそんな女性作家はさしていない)演技的でエモーショナルな語り、そしてデーヴァラージの「東洋文庫に入っていそうな話」を前にしたある種の諦念へと渡っていく。
 デーヴァラージは私の語りに「訂正をうなが」し、私の記憶をめぐる語りを「うすわらい」(p.124)で流す。そんなものは本当の語りではない、と言わんばかりに。

 『百年泥』の文体は洒落が効いている。華やかで、鬱陶しい自意識もなく、美しいイメージの重なりもある。
 でもそうではないのだ、とデーヴァラージの語りは訂正する。最後の彼の語りは、きわめて素朴な物語である。
 人は、チェンナイでの日本語教師のような特異な経験や、あるいは元夫の浮気、インドに飛ばされた経緯のようなろくでもない現在についてはフィクションを交えながら面白おかしく語ることすら出来るが、自分の両親や幼年期をそのように語ることは難しい。過剰に美しく脚色されてしまう。借り物の詩や幻をもって美しく語らずにはいられない。小説の終盤は、記憶を語ることへの躊躇の身振り、として読める。記憶が不確かで、都合のいい脚色をするから語るに値しない、というのではない。あくまで事実性にこだわりたいなら、ある程度は事実、正確には固有名詞や歴史で補強出来るからだ(保坂和志『こことよそ』がそうであるように)。
 それに対する照れ、そんな言葉が甘すぎるのであれば、自分自身への恥じらいが、この小説にはある。
 だからこそ、そんな躊躇に阻まれないデーヴァラージのまっすぐな幼年期の語りに私は圧倒され、「訂正」されてしまう。しかし同時に、それすら「法螺話」じゃないかという醒めた目線があるのも確かだ。彼の言葉でさえ「不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ」に過ぎないのではないか、と。このテーゼは最後に持ち出されなければならない。でなければ小説は解体してしまう。橋の最後、「あやうく足を踏み外しそう」になる寸前に、この小説は踏み止まっている。