書くことの必然 木村朗子『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』について

 

  著者は津田塾大学の教授で、専門は日本の古典文学らしい。専門が現代文学じゃないから、と意地悪い見方をされる場面は少なからずあったと思う。『あたらしい日本文学のために』という副題からして、人によってはちょっと遠くに置きたくなるかもしれない。
 他人に委ねるのは卑怯な話で、私がそうだった。「あたらしい日本文学」も、「震災」もいやだった。私が震災を知った年は高校三年生で、受験で向かっていた信州行きの新幹線が昼過ぎに止まった。結局その二次募集の大学も落ち、進学先の生活はそれなりの困惑が伴い、震災どころではなかった。「あたらしい」どころか「いまの」日本文学を食わず嫌いしていたのもあった。忘れたい。本書は出版されて一年以内には知っていたはずだ。そのあと『文學界』の新人小説月評を著者が担当していて、見たことのある名前だ、と気付いたからだ。でも今まで読まなかった。
 批判しやすい本ではある。大学の内外で、すでに数多くされたと思う。けれど、背を向けづらい魅力がある。
 書物が抗しがたい魅力を発するのは、書かれた必然性が存するときである。だから、その必然性について書いておきたい。

 本書の「震災後文学」の定義は明瞭である。その源流にあるのは佐藤友哉が群像に連載していた『戦後文学を読む』(後に『1000年後に生き残るための青春小説講座』として書籍化)であり、いとうせいこう『想像ラジオ』であり、芥川賞選考委員による評である。

 3・11後、とくに原発放射能汚染について口をつぐんでいる作家たちの態度を痛烈に批判する。それを「自意識過剰」だと佐藤はいう。「あなたの文章が世界を変えたことなんて、一度もなかった」のだから、なにも恐れることはないではないかと。そうして原発問題に関して、それが五年後にどうなっているかがわからないから、「だから書かないの? 作家なのに?」と問うのだ。
 こんな現状ならば、もはや原発放射能汚染について書いたというだけで勝算に値するというものである。『想像ラジオ』の選評で「蛮勇には蛮勇を」と高樹のぶ子が言うのは極めて正しい。しかしそれは選者の全体に共有されていたものではなかった。だから高樹のぶ子の絶賛もまた「蛮勇」なのだ。たとえば山田詠美は「とは言え、この軽くも感じられるスタイルを取ったのは、死者を悼む人間の知恵だなあ、と感心した。しかしながら、やり過ぎの感もあり、死者のための鎮魂歌が鎮魂歌のための死者方向に重心を傾けたようで気になった」という。それは「死者を利用している」という非難に他ならない。作家同士でこんなに厳しい検閲があるのでは、よほどの覚悟がなければとうていやってはいけないだろう。だから書かないという態度をとった作家があまりに多いと佐藤友哉は呆れているのである。震災後文学とは、したがって、単に震災後に書かれた文学を意味しない。書くことの困難のなかで書かれた作品こそが、震災後文学なのである。今までどおりの表現では太刀打ちできない局面を切り開こうとする文学、それを本書では震災後文学と呼ぶことにしよう。
 本書にとりあげる震災後文学は、そういうわけで書くことの困難と格闘したものを主に扱う。最も書きにくいことがらとして、原発の爆発とそれによる放射能汚染の問題がある。とくに原発については、各所でタブー扱いされており、文学作品においてもそれほど活発に語られたテーマではなかった。
(五十八頁)

 佐藤友哉の引用部分には実は「原発放射能汚染」については書かれていない。しかし、木村が参照する佐藤の小説は原発放射能汚染が主題とのことだから、実際にそういう意味なのだろう。3・11から原発放射能汚染を選り分ける発想は、そのまま震災後文学の定義そのものに通じる。いずれにせよ、ここで定義される震災後文学には、「書くことの困難」への抵抗が必須となっている。「書くことの困難」とは、原発を語るうえでつきまとう「タブー」でもあり、これを規定する「作家同士」の、「まさかそんなことを書くなんて」という淡い「検閲」でもあるだろう。
 『想像ラジオ』は津波小説であると同時に原発小説だが、それが芥川賞選考委員の間でいかにタブーであったを読む目線は鋭い。

 高樹のぶ子が「今回の候補作中、もっとも大きな小説だったと、選考委員として私も、蛮勇をふるって言いたい。蛮勇には蛮勇をである」というのは、選考委員のなかでこの作品を推す人がおらず、「蛮勇をふるって言」わねばならないほど孤立した意見だったということだろうか。
 選考委員が口々に言うのは、震災の犠牲者を描くことの倫理問題である。高樹のぶ子も「書くために声なき死者を利用するのか、という反発の波も、世間から押し寄せるだろう」と気遣い、それで「無謀だと承知した時点で、諦めるか諦めないか、そこが分岐点になる」と述べている。島田雅彦もまた、「『想像ラジオ』は現時点におけるポスト3・11の文学の成果と評価することはできる。しかし、それは「震災犠牲者を利用して書いているとの謗りを恐れず、あえて軽妙なDJ口調で鎮魂の叙事詩を綴った」ことに対する勝算である」と述べて、書くことの「蛮勇」を称えるのだ。
(四十~四十一頁)

 「蛮勇」という言葉遣いは、たしかにそれが禁じられている事態を想定しなければ不自然なのである。「世間から押し寄せる」「反発の波」への懸念自体が、そもそも「タブー」の在り方といっていい。島田雅彦の評はより屈折したニュアンスがあるが、いとうせいこうと対談した星野智幸もまた、「当事者を傷つけてしまうのではないかという問題」への懸念を提出している。

 『想像ラジオ』が芥川賞候補作にのぼったことで、書き手たちが、震災の犠牲者を小説に描くのは「倫理」的に許されないと感じていることがはからずも浮き彫りにされた。その懊悩を乗り越えて産み出された作品でもやはり批判にさらされるか、あるいは蛮勇だという一点において評価されるかしかないのだろうか。震災を物語ることはそれほどに困難な状況にあるのなら、蛮勇を以て書かれた小説を正しく読み取り、受け取っていく必要があるだろう。批評に必要とされているのは、物語ることの倫理を云々とすることではない。読み誤りによる非難とは一線を画して、物語を読み解き位置づけることが求められているのではないか。
(四十三頁) 

 この本でいちばん素晴らしいのは第一章だが、その章名が「物語ることの倫理」なのである。もっとも「物語ることの倫理を云々とする」批評家は作中には登場せず、もっぱら小説家のコメントが引用されるので、実際にそのような批評があったかはわからない(あったとは思うが)。だがここで論難されているのは小説家である。こののち小川洋子が『想像ラジオ』の「根幹をつかみそこなって」おり、村上龍が「的をはずしている」というのも、「読み誤りによる非難」を連想させる。震災後文学として重要なのは抵抗の有無だが、とりわけ震災後に発表された、よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター』をめぐる評価は、この基準をわかりやすく反映している。

 よしもとばななは、二〇一一年一一月刊行の小説『スウィート・ヒアアフター』(幻冬舎)のあとがきに次のように書く。

 とてもとてもわかりにくいとは思うが、この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです。
 (……)多くのいろんな人に納得してもらうようなでっかいことではなく、私は、私の小説でなぜか救われる、なぜか大丈夫になる、そういう数少ない読者に向けて、小さくしっかりと書くことしかできない、そう思いました。

 (……)この小説が、大震災を体験した人に直接に向けられて書かれたことが「とてもとてもわかりにくい」わけは、ここに描かれた生も死も、震災があってもなくても訪れるものだからである。文庫版あとがきによれば「被災地にいる読者から「ほんとうに読んで安心した、息がつけた」というメール」が何通も届いたというから、求められた小説が、求めている人に届けられて、書くことの不安は杞憂に終わったようである。
 「震災にも原発にもひとことも触れていないけれど、この小説はやはり命についての覚悟を描いたものだと思う」、「これからの私たちは、震災で亡くなった人たちの気配と共に日本で生きていくのだから」といったかたちで、生死の問題として捉えようとすることは、震災によるマスの死を唯一無二の死として置き直すことでもある。
 (……)(※山田詠美『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』を含めた)これらの作品は、原発事故や放射能被害を直接に描いていないという理由からではないが、これまでの文学史の流れに逆らうことなく、すんなりと落ち着ける場所をもつだろう。逆に言えば、震災などなかったときにも書かれ得るテーマであった。物語の死者を震災の現実に重ねて読んだ読者がいたとして、本当に震災の記憶などすっかり薄れた頃、たとえば五〇年後にこの小説がそのように読まれる可能性はあるのかどうか。震災のわずか二年後だという書かれた現在を過ぎれば、「いつだって大切な人を失うのは悲しい」という普遍性のなかに易々と回収されていくのではないか。文学史というスパンでみるなら、おそらくこれらの作品は、作風として震災前の作と少しも変わらぬものであり、震災の経験が刻印されたとはとうてい気づかれないだろう。
(三十六~四十頁)

 「震災によるマスの死」を「唯一無二の死として置き直す」ことは、小説の基本的な技法だろうが、「普遍性のなかに易々と回収」する手つきに等しいのだろう(……と補わなければ、最初によしもとばななに怒りを交えた嫌味を書き、最後に「震災の経験が刻印されたとはとうてい気づかれないだろう」とまで書くその途中に置かれる意味がよくわからない)。「原発事故や放射能被害を直接に描いていないという理由からではない」と注釈してはいるが、直後にいとうせいこう『震災ラジオ』の話が続くのだから、最初はやっぱり原発小説じゃないとだめなんじゃないか、としか読めなかった。「普遍性」というとややこしいが、ありふれた、耳障りの良いテーマに「易々と回収」することを阻むような「抵抗」に乏しいのである。この二小説に共通するのは「震災」を親類や恋人の理不尽な死に置き換えたことだ。それを木村は、困難の回避、迂回として読んでいる。だから、吉本の「書くことの不安」に対する攻撃は苛烈である(引用していて胃が痛くなった)。そんなことより気にすべき「書くことの困難」があるはずだ、というところだろう。

 もっとも『震災後文学論』における「抵抗」は「原発の爆発とそれによる放射能汚染の問題」という最も書きにくい問題を書こうとする、自粛の論理への抵抗を意味する。そして「震災」という言葉を用いて「できるだけ原発事故ないし原発問題には触れないという態度」を選ぶ作家の「一般的態度」を佐藤友哉の言葉を借りてそれとなく批判し、講談社の震災を主題とした短編アンソロジー『それでも三月は、まだ』には英訳版の「地震津波、そして原発メルトダウン」といった副題が抜け落ちている、「どこか呑気な構え」に苛立つ。
 本書のいちばん面白い部分は、読んでみないとわからないが、この感情の滲み方なのである。おそらく、と書くには妄想に近いが、第四章「短編小説アンソロジー」の初稿は、より苛烈な批判であり、それを打ち消す改稿があったのではないかと思う。よしもとばなな評のわかりにくさも同様だ。それぐらい強烈な情がなければ、仮に編集者が考えたとしても、『あたらしい日本文学のために』という副題は銘打てない。題の説得力がない。
 激情と抑圧、その緊張が本書の醍醐味だと言っていい。時にその激情が堰を切る。だから本書の文体は、時に煽情的であったり、週刊誌のようであったりもする。引用はしないが、たまたま加藤転洋を併読していたのもあり、文章の生硬さにはちょっと虚を突かれた。本来はこういう文を書く人ではない気がする。小説の筋をまとめる手つきなど、実に手際がいい。真似できない。この硬さは今どき珍しいのではないか。「川上弘美の大勇」(二十二頁)なんて、すごい表現もある。失言は批評家の発言にも多かったと思う。でもそれは引用せず、あくまで同時代の作家に喧嘩を売る。昔ながらの批評の王道を突っ切っている、とも言えるかもしれない。その意味で、あたらしい日本文学のための書物であると同時に、なつかしい文学の本でもある。
 文体の感情が面白い本だから、もちろん後書きに注目すべきだ。なぜ本書がこれ程の激情で綴られたのか。

「日本人がほとほと嫌になった」
 日本の古典文学研究をしているカナダ人の友人は、そういって長く住み慣れた東京を去っていった。
放射能が危ないってちゃんとわかってるの?」「なんでなんにも考えないの?」
(……)震災の直後も東北のお酒を買い集め、代々木公園で日本酒を呑んで復興を応援する会を開いた。それが彼女のあたりまえである。
 それに対して、まわりの、とくに大学関係者や日本文学の研究者仲間は、ほんとうに鈍くて、ぼーっとしてて、かつ考えるのを放棄しているようにみえたに違いない。
 そんな彼女に対する申し開きのために、ここまでやってきたような気もする。
「何かしなければならない」という焦燥は、海外の日本文学の学会で語らなければならないという思いにどういうわけか帰着して、以来あちこち忙しく飛び回ることとなった。
(二三九頁) 

 より鮮烈な挿話は別にある。目的は書かれていないが、地震直後に向かったパリで酔っぱらった老人に「ラディオアクティブ!」と叫ばれ、「ああこれからの日本人は寛大な親切を受ける一方で、心ない差別にもあうのであろう」と心を痛めるくだりだ。でも重要なのはこちらだろう。
 引用部の後には「何もいわない」「鈍くて、ぼーっとしてて、かつ考えるのを放棄しているよう」な「日本人」への手短な、かつ強烈な感情の吐露が続くのだけれども、根本にあるのは「申し開き」なのである。そうじゃない、考えている日本人もいるよ。それを聞き知ってもらうために、何かしなければならないと。同僚の古典文学者なのかもしれないが、本書の上梓を「たいへん危険なことだ」と止められもしたという。
 この日本人への怒りについては私は同意しにくい。他ならぬ私が外国人の友達ひとり居ない、凡庸な日本人だからである。影響はしばしば後方視的な検討によってしか読めず、厳密な予知はいつも常に難しいだろうとは、個人的には思う。福島の農産物の下りとか、当時と現在では著者の意見も違っている可能性があると思う。ブッグガイドとしても、震災から刊行までの期間の短さはあるが、現在ではより質の高いものがあるに違いない。詳細に分析された作品数も存外少ないし、批評の応答も書き漏らされているだろう(世界文学の観点だし、小説を選ぶ理由も説明されている以上は仕方ないのだが、さみしい)。なぜ原発を語ることが自然にタブーとなるのかは、心理の詳細を想像でも書くことは出来ただろうし、あるいは過去に抑圧があれば、抑圧の歴史を書くことが出来る(天皇制を語るタブーと、福島原発を語るタブーと、津波による死者を非当事者が語るタブーとは、分けて考えたほうがいいんじゃないか)わけだが、粗雑な言い方をすれば、本書は「鈍くて、ぼーっとして」るから、と言い切るのに近いところがある。
 でも、良い本なのである。少なくとも第一章はすこぶる良い。
 「古典研究の人が何を言うだとか、思想的に偏向していて中立的な態度とはみなせないとか、ありとあらゆる日本人の「普通」をふりかざして否定されるにちがいないというのだ。そういう目にあいたくないと思わないわけではない。けれど、今の気分としては、それでまた「ほとほと嫌になった」なんて海外の友達に言われるほうがよっぽど哀しいのだ」とあるから、他ならぬ「書くことの困難」に置かれていたのは、著者なのだ。古典文学者が「同僚」にそれとなく提示されるタブーは、想像するに余りある。禁忌と抵抗、抑圧と激情が、本書の潜在的な主題だろう。故に『震災後文学論』における震災後文学とはまず第一に本書である。だから語りに血が通っているし、震災後文学の定義を書く第一章がもっとも面白いのは、自然な成り行きだろう。
 最後に。よしもとばなな山田詠美の小説について、五十年後の読者が何気ない震災小説だと分かるわけがないだろうと批判するくだりは、そもそも著者が千年後の『源氏物語』の読者であるのを思い出す(これは現代文学へのポジティブな期待の現れと見なしていいのだろう)。本書の索引は、震災後文学と題したアンソロジーの編集にも見える。和歌集の目次のようだ、では野暮か。しかし現在をめぐる語りが禁忌であるならば、その侵犯は、現況の外部から立ち寄る者のみが可能な「蛮勇」だ。現代文学者でない著者が『震災後文学論』を記すとき、そこには間違いなく必然性があったと思う。