外国語の単語帳:滝本杏奈訳『感情類語辞典』

 小説の言葉は外国語だなあ、とよく思う。「口ごもる」とか「はにかむ」とか滅多に使わないし、日常使いの日本語から明らかにかけ離れている。

 あるいは、他人のありふれた身振りに関心を持つことは難しい。だからこそ、普段見過ごしている凡庸な動作を明晰に言語化している小説に出会うと、それだけで素敵な小説だと思ってしまう。日常の私には意識不可能なほど当たり前の身体動作を、明晰に、けれどさらりと表現出来るのも、外国人の視線に似ているかもしれない。

 

感情類語辞典

感情類語辞典

 

 

  辞典といっても百八十ページ。とくに小説を書く人のために、感情を言い表す語彙表現を集めてみました、という一冊。「感情」を表現する要素を「外的シグナル(ボディランゲージなどの動作)」「内的な感覚(本能的、生理的な反応)」「精神的反応(思考)」の三つの要素に分け、リストアップしてある。

 たとえば「幸福」の「外的シグナル」を抜粋してみると、

 

・表情が明るくなる

・微笑む

・鼻歌を歌う、口笛を吹く、歌う

・歩きながら両腕を振る

・冗談を言い、よく笑い声をあげる

(ここまでは私でも書けそう)

 

・笑い皺ができる

・笑って頬骨が上がる、突き出る

・足を大きく伸ばし、広々と構える

・軽快なリズムで足をブラブラさせる、あるいは足で地面を叩く

(手癖で書けなさそう)

 

 「内的な感覚」「精神的な反応」はたとえ自分の感覚に問い合わせられても、「外的なシグナル」を書くには観察力と記憶力が必要だ。私の場合、後者がしんどい。とっさに使える身体動作の持ち合わせが少ないうえ、隙間恐怖症で、台詞を言い終えるとすぐ登場人物の描写を入れてしまう。結果は「笑う」と「微笑む」が連発される、のっぺらぼうな文章である。それをあとで全部削り捨てるのも、けっこう嫌な作業だ。

 

  「本書に掲載したリストは、アイデアをもたらすのにぴったりの素材だが、書き手自身の観察力も同じくらい役立つ。だから、ショッピングモールの人間観察をしてみるのもよし、あるいは映画のキャラクターに注目してみるのもよし、とにかく人々を見てほしい。そして、困惑したとき、圧倒されたとき、イライラしているとき、人がどのように行動するのかメモをとろう。どうしても顔の表情にばかり目がいきがちだが、体のほかの部分からも読み取れることがあるはずだ。その人の声や話し方、態度や姿勢を見逃さないように」(p.14)

  

 正論だけど、これを実践出来る人間って何人居るんだろうか。

 「困惑し」「圧倒され」「イライラしている」人間をじろじろ観察するのは、なんだか失礼な気がする。それが出来てこそ小説を書く人間なのかもしれないが、私はあまりしたくない。集めた記録をすぐ小説に応用出来るとも限らないし、観察には緊張と集中力を要する。いきなりやるには、ちょっと手強い課題じゃないか。

 

 そもそも「観察力」が稼働するには、観察結果の知識が必要だろう。動作表現の知識がない人間に、いきなり目の前の光景から小説に使えるシグナルを見出せというのは、心電図やレントゲン写真の知識のない人間に、いきなり異常を読めと命じるようなものじゃないか。

 なのでこの本は、私のような動作表現の知識が貧しい、結果として「観察力」にも貧しい人にこそ薦めたい。外国語を学習するように、暗記用の単語帳として使ってみてもいいのだろう。心電図を読む修練だって、まずは重大な波形を頭に叩き込むところからだろうし。

 

 実際に自分で演じて記憶するのも面白いかも。

 吉本隆明は「頭をつかう」記憶に、「運動性を司るものと結びつけてやると効果が高まる」という(『真贋』)。「それが手であってもいいし、足であっても一向に差し支えなくて、とにかく運動性を伴うことで、自分の資源になっていくのだと僕は考えています」。

 ただ頭をつかうだけでなく、体の動きと組み合わせて修練する。「運動性とともに修練をした人としない人とで」「もっとも技術的に分かれるところ」は、吉本さんにとっては「パンチの強弱」らしい。「体を動かすことを伴った修練をした人は、強いところと弱いところを交互に繰り出し、しかもリズミカルに文章を書いています。ところが、そういう修練をしない人は、同じ意味のことを書いても、のっぺらぼうな文章を書くのです。……これは、批評家だけでなく、小説家でも同じようなものだと思います」(p.82-4)。

 

真贋 (講談社文庫)

真贋 (講談社文庫)

 

 

 まずは自分が使いがちな感情から学習するのがいい。あるいは、これから書く小説の感情を予想して、先回りで覚えるのもいい。自分が使えない描写だけ記憶すればいいわけで、たとえば私の場合、「平穏」の「微笑む」という表現は再確認に留めるだけでいい。

 「頭を後ろにそらせて目を閉じる」「椅子の背もたれに片方の腕をかけ、後ろにもたれる」「ネコのように伸びをする」「膝の上で緩く手を握りしめる」。この「外的なシグナル」をとっさに使えれば、「微笑む」を連発せずに済む。ネコのように伸びをし、そのまましばらく両腕を垂直に保っておくとか、膝の上で緩く握った手を開いたり閉じたりするとか、手に握ったシャーペンのキャップを親指でしつこく回しているとか、思いがけなく浮かんだ描写を積み重ねることも出来る。

 もちろん、今の場面でどういう動作を描写したらいいのか思い付かないとき、緊急用の手引きとしても活用出来る。ただこの「思い付かない」という表現が曲者で、小説の言葉が外国語なのだとしたら、単に「思い出せない」か「知らない」のどちらかという気もする。

 

 本書に倣って、たとえば自分の好きな小説、文章の上手さに驚かされた小説から、気持ちに引っかかった動詞だけを抜き書きしてみるのも面白いかもしれない。誰だったか忘れたけれど、安部公房の愛読者だった或る作家が、小説を書き始める前に安部公房の比喩をひたすら抜き書きし続けた、という話を聞いたことがある。

  「上手い文章」というのも漠然とした物言いだ。

 「誰某の何々という、自分が上手いと思った作品の文章」ぐらい具体的な水準で考えたほうが、取り掛かる分には気楽だろう。

 

 あの作家みたいな文体で書きたいと願っても、「文体」なんて曖昧なものは容易く身につけられない。「文体」を「外国語」に置き換えれば、難しさも想像出来る。

 「文体」を動詞とか比喩とか形容詞といった具体的な分野に分解し、まずはそのなかで一番自分に必要な分野の言葉を記憶してみる。そして実際に使ってみる。暗記可能な数に絞り込むのも、大事な分解のプロセスだろう。単語リストを手元に置きつつ、小説一作書き上げるうちに集めた言葉すべてを使ってみるなんてのも、楽しそうだ。

 ということで、小説の言葉に困っている人にぜひ。値段も千六百円とお手頃です。