LONG APOLOGY LETTER 笠井康平『私的なものへの配慮 No.3』の私的な感想

shitekinamono|いぬのせなか座

 

 この理論と描写と私小説の混合物について感想を書くべきか、正直かなり迷った。まず小説以外について書くのがどういうことなのかさっぱりわからないのである。あと、理論と描写の部分がよくわからない。
 たとえば批評を批評するとき、普通はその正誤の検証か、台詞の長い登場人物を人物論として論ずるのが普通だとは思うが、私には批評なんか書けないので、小説と同じように感想を書くことになる。
 小説について書くときにある程度小説の中身がわかると実感するのがそもそも妄想なのだが、一応は小説を書いてきてはいるので、小説の内部の仕掛けを覗き込むことは出来る(ような気がしている)。「これはこんな風に書かれたに違いない」という妄想を、とんでもない厚顔無恥で晒すことも何故か出来てしまう。少なくとも、自分がまた書くときの手がかりを、記憶として本のなかに仕込むことぐらいは出来るようだ。
 私は小説について原稿用紙10枚分ぐらいは楽しく書けるが、評論は書いた経験がない。
 しかも、作中に書かれた「彼」を、たぶん一般の読者よりは近い距離で知っていて、作中の「僕」がそうであるように、ある程度の時間の積み重ねがあったところでその死をうまく遠くに置けているかというと、帰りの電車で「彼」の小説評とツイッターの引用を見て、一度本を閉じるぐらいには出来ていない。

 それでも書くのには理由がある。
 第一に、作者に上石神井でおごってもらったイタリア料理の店がうまかった。これは大事なことで、一宿一飯という言い回しがある。先輩ならおごるのが自然かもしれないが、私も出しますよ、と言い挟みようがない完璧な所作の流れがあった。大体、二人合わせて八千円か一万円ぐらいだったと思う。ブルーチーズのリゾットがおいしかった。
 第二に油断である。清水博子(全然物語を書こうとしない)や、高橋弘希儀礼的に物語をちゃんと書き込んでいる)の小説を読んでも物語部分にはあまり目がいかないのだから、批評の本筋とは別の部分を読んで感想も書いていいんじゃないかと、軽率にも思い込んだ。
 第三はスケールの小さな野望だ。批評についても原稿用紙10枚ぐらい書けてしまえたら、「小説家を読む」ではなくて「批評家を読む」も出来そうだ(私は前々から秋山駿のお友達ということで磯田光一を読みたかったのだがずっと放置していた。著作数も少なくてよい)。
 第四は反省。私も「彼」の死について何回か不躾に小説に書こうとして大失敗していて、この私小説=私批評もその部分についてはいまいちうまくいってはいなさそうというあたり、やはり読み飛ばせない、つまり書きながらでなければ読みたくないものがある。解決出来ていない問題は小説にしても面白くないんだよ、と私の信頼している友人が私のだめな小説を読んで、さらりと鋭い感想を漏らしたことがあった。
 第五は恩義。読み手がいなくて当たり前の清水博子についての感想を、著者がときどきツイッターで星を付けてくれる。第六も同じく。清水博子の『処方箋』を読んで、著者がそのイタリア料理店で感想をくれた。第七は器物破損。二三年ほど著者から借り続けていた『金と芸術』を私はまったく読んでおらず、しかも本の取り扱いが粗暴極まるせいで、乳白色のカバーが薄汚れ擦り切れていた(大変勝手だけれども、これを読んでいる人は私が何を言っても絶対に文学書は貸さないようにしてください。医学書は今すぐ必要な場合なので貸してください)。Amazonで緊急に取り寄せてすり替えればよかったものを、その労すら怠った。
 要するに、書かない理由より書く理由のほうが圧倒的に多かったので、書くことにした(こんなイントロダクションを読まされた作者はたまったものじゃないだろう。私も本当に嫌なのだが書きものに関わるとなると途端に幼稚さを丸出しにする人種がいて、私がそうである)。

 ただし、私にはこの本に書かれていることはよくわからない。特に言語処理云々、個人情報の取り扱い云々はわからないし、興味が持てない(すいません)。また興味がない人間にわかるように書いているとも思えない(わかるように書く必要はないし、これは私がよくわからない部分を退けるときに使う常套句である)。じゃあ小説なら書いてあることがわかるのかというと、清水博子の作品はあまり分かってないままに読み進め書き進めているので、とりあえず『私的なものへの配慮 No.3』について書き進めていってもさしあたり問題はないだろう(誰の? と『私的なものへの配慮 No.3』の著者なら注釈を付けるんだろうか?)。
 たぶん本書について正確な感想はインターネットのどこかにあるはずなので、そういうのが読みたい人はちゃんとそっちに当たってほしい。清水博子の感想が正確な感想かというと、もちろんそんなことはない。
 
 長いイントロになった。私的な感想でなければ、「小説は告白的な書き出しから始まる」の部分より上は全部削除している。ともかく私の話なんかはどうでもいいので(清水博子も自分の話をする前は緊張して戯画に頼っていたように思うが)ともかく本書を読まなければならない。もうひとつ先んじて言い訳しておくなら、ここまで既にたくさんの注釈を重ねたのは本書の信じ難いほどみっともないパロディを試みたのではなくて、私はもともと括弧の注釈が多いのである。人前に晒すときは、だいたいは外すけど。

 小説(便宜的にそう呼ぶ)は告白的な書き出しから始まる。

 彼の死んだ日がいつかを僕は知らない。だけどほとんど僕が死なせたようなものだから、それだけは忘れないうちに書き残すことを許してほしい。だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか。その種の文章を記名で公表することを僕は僕に禁じている。だれに強いられたわけではないが、僕はそれをまだ認められないからだ。(p.2)

  

 まず出発点は「彼」の死だ。「ほとんど僕が死なせたようなもの」だから、彼は自殺だろう(自殺である)。気になるのは、この時点で既にたくさんの微細な注釈があるにもかかわらず、「その種の文章」が何なのかは分からないことだ。「その種の文章」は、たぶん本来は記名で公表すべきもので、自然に読むならこの文章はそう見なすのが当たり前のジャンルであり、さらに「僕」は記名での公表は出来ずにいる(公表しなくても書いてはいた)。その種の文章とは何か、そこが肝心の注釈してほしい箇所なのだが、そこは名指せない。しかしその種の文章の、少なくとも空気を纏ったものを書かずにはいられないようである。

 ひとつは、告白、ではないかと思う(あるいははp.22に風景描写、とはあるのだが、訂正しない)。
 清水博子を引くまでもなく、告白にはなにか嫌味な意識が伴うように見える(そしてそれは大概考えすぎで、世間のほうが余程読み書きに嫌味な自意識を持っているが、それは意識に苦しむ人に言ってもしょうがない)。どこか演技しているようで白々しいと、ほかならぬ自分にそう聞こえてくる。だから私批評=告白の書き手は、いつもまず自分に対して嫌味っぽい。なんだ、その馬鹿げた告白は。いい気になって。そういう苦いドラマがあるから、私批評=告白には切迫したリアリティがある。書くことに後ろ向きの迷いがありながら、しかし語る言葉によって否応なく前へ引きずられていく、そういう苦戦がある。
 「だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか」。
 そんなのは読む側の知ったことではなくて、「その種の文章」と見なすに決まっているんだろう。そんなのを書く側が理解していないはずがない。それでも口にしなければならない。それを苦さと取るか、甘さと取るかは難しい。裏返せば、どうやらこれは、(題名に書いてある通り)私的な文章なのだろう。そこは、まず間違いない。しかし、別に『いぬのせなか座』が製本するまでもなく、作者は「だからこれを読むひとは、この文章をその種の文章だとは絶対に見なさないと僕に誓ってくれないか」と書きつけたのではないか(この部分に限らず、私の妄想が外れていたときは、出来ればそのままにして何も言わないでほしい)。
 
 気にし過ぎであるとは、あまりに冷たい言葉だ。
 気にし過ぎだよと、通りがかる人が声をかけたくなる人の内面、私的な心の部分には、他人の眼の影、あるいは過去の視線の記憶が、嫌というほど入り込んでいる。読み手としての私はこの「僕」と「彼」に何があったかはわからない(個人としての私は一応一部を知ってはいるが)。
 「僕」と「彼」の間に、何があったのか。ともかく「彼」は自殺したわけだが、二人はボードゲームを始める(私の知る「彼」の部屋にはボードゲームカタンがあった)。

 一度も彼に勝てなかった。負けるたびに「逃げ場がないね」と苦笑された。そのとき僕は彼が死ぬと分かった。(……)しばらく前から死にそうだった。だから忠告したが、聞き入れられなかった。それきり介入をやめた。止める気になれなかった。訃報が届いたその夜は、何も知らずにいたひとたちが驚き、悲しんだ。隠していたのだから無理もない。彼が会った最後の人は僕だと人伝てに聞いた。
 だから僕はいまもずっと怒っている。そうだと信じたい。(p.5-6)

 

 この部分には「嘘」と「事実で異なる」部分が入り混じっている、と注釈される。小説的誇張であって、実際に苦笑で人の死を感知出来る事態は、私はさして自然だとは思わない(そういうこともあるかもしれないが、私は鈍いので絶対にわからないだろう)。それきり介入をやめるしかない。何故なら「僕は彼にとって他人だから」。それが公的な答えだ。でも「介入をやめた」には「なぜ?」が差し挟まる。それは死、故に浮かんでくる問だ。裏返せば、自殺という終わりは、後から無数の問と注釈を挿入してくる。
 何か出来たとは思わない。実際に出来なかったのだから、そんな問いは無意味である。それが良識、公的な答えだ。僕は、だれに怒っているのか? もっとも安易な答えは僕自身である。でも「いまもずっと」というような、小説的な、強烈な感情のプラトーは現実にはなかなかない。だから「いまもずっと」には、「嘘だ」と二回、注釈される(そんな風に実際にそのとき怒っていたならこんな文章は書けない)。不意に上り詰めてくる波のように、予想の出来ない周期で、「なぜ?」が浮き上がってくる。それが傷だろう。

 この話はこれでおしまい。
 明日からはどうでもいいことを書かせてください。(p.55)

  

 もちろん書けるわけがないが(あるいはここから書かれた部分を「どうでもいい」とすべて流してもいいのかもしれないが)そんなことはどうでもいい。大事なのは「この文書に時間の流れはあるのだろうか」という注釈だ。明日からはどうでもいいことを書かせてくださいと、何度となく願った。「なぜ?」に答えはない(そのとき秋山駿は問い自体を歩くのが大事だと禅問答のようなことを言って私を困らせた。『私小説という人生』は、ひょっとすると秋山の代表作なのかもしれないが、困った本である)。「なぜ?」はどうでもいいことを書かせてくれない。急性の病は速やかに苦しみが終わり、慢性の病は気にするような苦しみでもないのだから病なんてなんてことない、とエピクロスの言にあったと思う(南木佳士が読んでいたから私も読んだ)。
 「なぜ?」は慢性であり急性である。ある日突然姿を現し、そしてしばらく待てば消えはするが、いつそそれが訪れるかは分からない。基礎の苦しみと、発作の苦しみの複合物である。
 そんなことは誰にでも分かりきっている。

 私はこの話をずっと読みたいのだが、それは無理な注文だろう。このあと小説は世界の誰かがなにかを書いて、だれかひとりの「僕」に辿り着く確率の希少さと、しかしその確率の隙間を這いくぐって、ほとんど偶然か奇跡のように世界のどこかで爆発した書き物たちを描く――ハリーポッター、フィフィティ・シェイズ、あるいはハウサ語の小説(ハウサ語がどこの言葉かは知らない)。日本語における「不死であるべき」マスターピースの出現周期と、人が生涯に何冊分の情報量を消費出来るかの試算と(200万冊ぐらいかも、とのこと)、そうした計算における恣意の偏差について触れる。

 

 日本語の自然言語処理にはすでに十分な技術蓄積がある。足りないのはよく整った言語資源と、それを正しく扱えるひとだ。社会がそのコストを支払ってもよいと思えば話は進む。
 言葉の古びを乗り越えて、分かりやすい「ものさし」を作り出し、何かしら「目盛り」を数える過不足ない「考え方」を思いつく者があらわれ、時代ごとの語彙の「揺らぎ」を調整し尽くせられば、あとは費用と期間と効用の問題に収束させられる。遺伝子の読み書きより安上がりだろう。速やかに改善されてほしい。幾人もの頭脳が、その短い半生を、せいぜい数千冊の書籍を翻訳し、解読し、註釈をつけ、その解釈で言い争い、証拠探しに世界中の書庫を巡り歩くことに費やさなくて済む。代わりに「ものさし」が起用される。正しい「ものさし」は愚かだが誤らない。彼女は真面目に仕事をこなしてくれる。(p.14)

 私は「自然言語処理」に通じていないのでここは何を書いているのかよくわからない。しかし、「註釈」にはともかく「こうすること」と註釈がついていて、裏返せばどうやら「ものさし」がないから、「こうする」他ないらしい。機械的に狂わずテキストを評価できる示準、のようなものが想定されているように見える。それは「比喩じゃな」い水準で実現出来る、ようである。
「なぜこの文章は優れているか」を答えてくれるものではないか。
 その彼女が、「なぜ自分はあのとき彼に介入しなかった」を答えてくれるものに似ているかは、私にはわからない。
 小説は過去、2014年の自分の言葉を注釈する。

 

 「理論的には、ある文章の優れ具合は規定できる。すべての文章の優れ具合を定められなくとも、すべての文章の優れ具合を定める手続きを作り上げられる。あらゆる文章が含む、他の文章とくらべて特徴的なところをすべて数え上げたうえで記録、いつでも取り出せるものさしのようにしておいて、個々の文章にそのすべてのものさしをあてがって、どのものさしではどう測れるかを書きとめればそれでよい。裏返せば、優れた文章とは「これ」だと名指すことはできないと、この帰結からわかる。
 (……)僕の怯えに過ぎないが、ともあれ僕たちはいよいよ、ひとつの物語について物語るとき、一人のひととしてその物語へ向き合う姿勢を捨てなければ、ひとつの物語をさえ満足に物語れなくなる気がしてならないのだ」
 いまだに吐き気がする。僕は僕を殺そうとしていたのだ。僕が生み出すすべての記載とあらゆる読解は嘘をついた。それを嫌った僕は、それを直視できない僕をこの世から消し去りたかった。代わりに彼が死んだ。(p.16-17) 

 実は私には2014年の「僕」が何故この怯えを抱いたのかわからない。「一人のひととしてその物語へ向き合う姿勢」の他の姿勢が思い付かないからだ。そしてまた、その怯えの理由は、たぶんここに書かれている言葉からは読んで汲み上げることは出来ない。だから、ここからは小説には書かれていない部分の読み、つまりは妄想になる(この感想全部がほぼそれに近いが)。小説の固有性というか、その小説独自のパターンが読み取れず、すべての小説が均質に似たり寄ったりに見えるとき、私はそれは疲弊だと思っている。たとえばある批評が全てポエムのようにしか見えてこなかったり、ある小説をはいはいどうせフェミニズム、労働、私小説、政権批判だね、としか読めなかったりするとき、人は疲れている。大事なのは似通っているように見える二組の、微細であるがしかし際立つ特異性である。言い換えれば特異性を際立たせる、微細な可能性を発見し拓く読みにこそ価値がある(私はこれを山城むつみから読んだ)。
 本当は、満足に物語るなんて口にすべきではない。出来るわけがないからだ。しかしそうした疲弊に大して、しばらく距離を取れ、とは言えない。これは私の経験であって、2015-16年で小説に苛まれたとき、私にはすべての批評と小説が同じものを書いたようにしか見えなかった。書店に入るのが苦痛だった。そんな過去の私に、「小説に疲れているみたいだからちょっと距離を取ったほうがいい」と口にして、受け入れたとはとても思えない。しかし全部似たり寄ったりのものを書いているという妄執が、仮に理論によって裏付けられたように体感してしまったのだとしたら、精神の疲弊は長期化するのではないか、と思う。ちなみに私の場合、それは適当に読みかじった精神分析の本だった。中井久夫を読んだり認知療法の本を読み漁ったりして、自己治癒を試みたが、馬鹿じゃないかと思う。しかし当時は真剣だったのだ。馬鹿である。
 この妄想が、この小説の「吐き気」と近い距離にあるかは、わからない。

 「みんなそのグループのもとで今後十年ほどは活動するのだと考えいぬのせなか座の理論的中心に据えた大江健三郎論も最初はその雑誌から依頼されていたがそのグループがあるとき突然なくなったというのがこれもまた私がいぬのせなか座をはじめざるをえないきっかけのひとつだった大学の先輩」を僕はいつまでも許せないと思う。(p.37)

 

 これには注釈が必要で、「大学の先輩」とは小説のなかの僕のことであり、私も「その雑誌」にちょっとした思い出の文章を載せてもらう予定だったのだが、これが「あるとき突然なくなった」のも見た。その当時私が小説で難儀していたのもあり、「君は呪われてるね」と、自殺した彼が、文学フリマの会場で苦笑していたのが忘れられない。呪われているのは先輩のほうだろ、と正直今なら思う。
 会場で見た僕は疲れていた。長い謝罪の手紙も来た。学生だった私は睡眠は取れていますかと返事した。馬鹿である。企画の進行に遅れがあり、どうも僕が相当の穴埋めをしたようだと私は後に聞き知って、それは、先輩が悪いわけないじゃないか、と思った。今でも思っている。でも、その企画に小説の評を送った当の私が、締切に間に合ったかどうか記憶がない。gmailの記録を探ればきっとわかる。薄っぺらい、定型的な謝罪を山盛りにした粗末な手紙が出てきたら、ちょっと落ち着いていられない。それは先輩が責任に感じるようなことじゃないですよね、とイタリア料理店で私が言うと、彼は困り気味に笑った。自分を責めなければ誰かを責めるしかない(私が小説を放り投げた原因のひとつを、内心、自殺した彼に押し付けたように)ような場合に、じゃあ自分でいいです、と手を挙げる人がいる。仕方なかったでは済まない場合である。
 そんな選択以前に、犯人は自分です、と言い出す人がいる。たしかに、編集長とは責任のある立場で、責任とはどうしようもなくなった場合に重みが生じてくる。『私的なものへの配慮 No.3』を受け取った丸善の袋には、「その雑誌」が一緒に入っていた。遅くなって申し訳ありませんが、と僕は丁寧に言った。
 でも本当は私は「その雑誌」を受け取っていた。「これ、どうせ捨てちゃうんだから、持っていきなよ」と彼がこっそり手渡してくれたのだった。白い袋に横積みになって入っていた。卒業アルバムの、処分に困る、あの面倒な重さを連想した。だいたい鞄にうまく入らない。友人S(解決していない問題は小説にはあまりならない、と先に言った友人)に「見た目は普通そうだった」とLINEした。会場でインドカレーと卵の揚げ物を食べたあと、私が酷い手紙を送りつけることになる人(あまりに最悪過ぎてこのことは未だに何度も思い出す。私が人の作品をまず批判しないのはこの経験からもある)とタリーズでお茶をした。
 「その雑誌」が廃刊されていなかったら「彼」は自殺しなかったか。
 そんな問は作中にはない。

 このあと小説は、僕が日本語を捨てたい、と序盤で夢見た理由を明かしたり("この国の法律で「私」とは、個人が社会として守るべき「自由」ではない。「活用」すべき有用性を持つ「利益」"の源泉である。語られない日本の「私」は、明白な実用主義に根ざした取り扱いを受ける" だと思うのだが違うかもしれない、個人情報云々は私にはあまり興味が持てない。本当はこういう中規模以上のテーマと、「彼」の自殺というマイナーな問題が結び付く場所を探り当てたかったのだが、私には出来なかったし、仮に自分が書くとしたら、やっぱりそういう手法は採用しない気もする)彼の言葉を引用したりする。たとえば、「その雑誌」に寄せた書評。たとえば、彼のツイート。 

「あたまがぼうっとする」と彼は書いた。
 僕はそれを読んだ。(p.60)

 

 これは彼が最後に呟いた言葉だ。
 田無を過ぎたあたりの電車でこの部分に差し掛かったとき、私は本を閉じ、丸善の袋ごと部屋の入り口からいちばん遠いベットの柱に括り付け、日曜日に清水博子の『処方箋』を読み、月曜、伊東屋で買った緑の鞄に、このサイズを取る本を無理に押し込んで自転車に乗った。
 そんなのはどうでもいい。小説に戻ろう。ちょっと歪んだ引用をする。

 掘り出し方さえ分かれば、さまざまな土地へ降りて、設計図と現場のずれを確かめられる。どの層がいつまで、どれほど分厚かったのかも。記念になりそうなものも出土するだろう。化石のような流星群、生き延びた細菌、洗われた背骨、散らばる鉱石。その何をどこまで不死と思うかはみんなの気分が決めることだ。記憶された記録の操作が平面を切りとるのだから、気分とは額縁の大きさで、その大きさの操作は私的なものへの配慮と変わらない。
 だとすれば、文字で作られたものの歴史のなかで、彼女が探すべき土地はどこにあるか。
 いつか旅してほしいのは、図像の複製と投影の技術が映像産業の急速な勃興を促した一方で、学校教育の全国的な普及に伴うメディア消費文化の広がりが、印刷技術の化学低下に後押しされて新しい表現運動を準備し、離陸させ、墜落させた(Ⅰ:1920年代)の(Ⅱ:日本)だ。
 読み手・書き手の人口とリテラシーが安定して増加するなかで、(Ⅲ:時空を丸ごと描写し記録しようと試みる、採算と効率を度外視した長期の実験が、先進各国で相次ぐ終わりを迎えていた)。その最中にいた読み手と書き手が世界に感じた「気分」と「手ざわり」はきっと、(Ⅳ:インターネットの民主化-商用化、ソーシャルメディアの日用化、モバイル端末の小型化と処理高速化、クラウドサービスの高機能化、センサー端末の価格低下、データ分析や機械学習の民間普及、セキュリティ監視や暗号化、匿名化の技術革新)を僕たちが経験したあとの「いやな感じ」に似たところがある。
 事実なら有益な空想だ。どの時代を生きた読み手も書き手も、「じゃないけど、似たもの」を、その時代に根ざした言葉でものにすれば、何か新しくて、大切で、得がたいものを手にできると、どこかで信じていた「みたいに」思えるから。これは愚かな僕の末恋だ。(p.65-66) 

 ⅠからⅣはそれぞれ註釈の部分を当てはめた。Ⅰは■■■■、Ⅱは■■と表記され、Ⅲは中国語、Ⅳは英語。「図像の複製と投影の技術が映像産業の急速な勃興を促した一方で、学校教育の全国的な普及に伴うメディア消費文化の広がりが、印刷技術の化学低下に後押しされて新しい表現運動を準備し、離陸させ、墜落」させた現象は、1920年代の日本以外でも、中国やアメリカ以外でも、「ナイジェリア連邦共和国」(p.8)でも繰り返されてきたことだろう。その「準備」と「離陸」はいつだって眩しい。

 それに似た熱は、時間が違っていても、「その雑誌」にはあっただろうと思っている。同じ種類の温度か、近い距離の温度かは、根拠をもっては断言出来ない。苦笑されるかも。
 ともかくそれを未だに現在として生きている国もあって、たとえば新潮クレスト・ブックスとか白水社の書物に、熱っぽい言葉が乗ってやってくることもあるだろう。私はここの「未恋」には賛同出来なくて、たぶんそれは私的な興味でしかものを読み書きしていないからなんだろう(じゃなかったら清水博子の感想なんか馬鹿みたいに書かないし)。私のそれは狭い庭を家庭菜園と呼ぶような書き物であり、作中の言葉を借りるならたぶん「私語」(p.62)に相当するだろうから、信じていた、みたいに、の苦味は、自分の舌では感じられない。別に小説のすべての描写を自分の身体で味わう必要はない。
 ただそのような苦さがあることは、理解出来る、つもりでいる。
 それは傲慢だ。「睡眠は取れていますか」と書き送ったころからさして変わりはしない。取れてるわけないだろ。私はそのあと僕に会うたびに何回かその質問を繰り返した。たぶん、三回はしただろう。

 青年期を迎えた市場は、実験と高級と量産と共創と反抗がごちゃごちゃに混ざり合う。だれにも全貌の知れない地域文化を絶えまなく噴き出し、つなぎ止め、溜め込んで行く。その光景はおよそ百年前に、蔦谷重三郎が自身の箱庭に作り上げた空間の猥雑さを思い出させる。大友家持が歴代編者の労作をひとつにまとめ上げたとき、定家がその再訪を悲しく恋い焦がれたとき、西鶴が性愛の定型に溺れたとき、凍りついた文字列の流域が決まって描き出す、いつの時代にもありふれた、代わり映えしない、静かで退屈な多次元の空間。ちがいは登場人物だけ。次の主役はあなただと思う。きっと彼女がその助けになってくれる。僕が望んだことだ。彼はもう生き返らない。みんなはどう思う?(p.68)

 私は小説を読むとき、第一には文学史の素養がなく(これは時間の感覚がないということであり、だから清水博子を読んだり、何故か今度は小沼丹や金鶴泳や山川正夫を読もうと考えたりと、しっちゃかめっちゃかな読書からいつまでも離れられない)第二には読書の興味が変なところに限られているせいで、「ちがいは登場人物だけ」という感触に至ることは出来ない。でも、たぶん「主役」の「あなた」が書いたとき、そこにはやはり、どこまでいっても、私的な偏差が差し挟まれるはずなんだとつい考えてしまう(僕の考えはよく知らない)。それはちょっと信じられないぐらい古臭い「個性」の妄想なのだが、でなければ、この小説を貫き通す謝意が、こんな風に長く生々しく響き続けることはないだろうと思う。誰への謝意かは、わからない。
 もっとも、『私的なものの配慮 No.3』が最初から小説でないことは、明らかなのだけれど。【了】