勤め人のための小説指南:高橋一清『あなたも作家になれる』

 題名はびっくりする。中身は真っ当だ。

 

 

 著者の高橋一清は『文學界』『オール讀物』と文藝春秋の二大文芸誌の編集を務め、さらに日本文学振興会の理事・事務局長まで勤め上げた(つまり、芥川賞直木賞の候補作決定から、選考会の司会まで務めた)立派な経歴の御仁である。中上健二を『文藝首都』から発掘し、ついには『文學界』に『岬』を書かせ、萩野アンナや南木佳士高樹のぶ子のデビューを後押しした。『文藝』の編集者からついには『海燕』編集長を務めた寺田博や、『群像』編集長の大久保房雄に並んで、日本の文芸史に残る名編集者のひとりだろう。

 

文芸誌編集実記

文芸誌編集実記

 

 

文芸編集者はかく考える

文芸編集者はかく考える

 

 

 南木佳士のエッセイに、しばしば名を伏せて登場する編集者でもある。第一エッセイ集『ふいに吹く風』から引用するけれども、この本を紹介するうえでは、いちばんぴったりした文章だろう。デビュー後に担当が交代したにもかかわらず、芥川賞受賞作『ダイヤモンドダスト』の初稿をわざわざ送ったぐらい、強い信頼を寄せていたようだ。

「信州の田舎町にある総合病院に就職して二年、このまま平凡な田舎医者として暮らすのも悪くはないなと思ってはいたが、なにかやり残していることがあるような気がしていた。その頃読んだ『文學界』に新人賞の受賞作が載っていた。

「なんだ。この程度のものでいいのなら、おれだって書けるぞ」

 若気の至りですぐコクヨの原稿用紙を買い込み、夜になると机に向かって、一か月ばかりで三十枚に満たない短編を完成させた。そして、自信満々で文學界新人賞に応募した。

 結果は惨敗で、一次選考にも残らなかった。これですっかり熱が冷めてしまい、小説のことは忘れて地道な医者の道を歩もうとしていた矢先、文學界の編集者から出向先の病院に電話がかかってきた。

「あなたは書きたいものを持っている。もう少し小説の勉強をしてみませんか」

 編集者は静かな口調でそう言った。

「医者の仕事が忙しくて、小説を書く時間がないんですよ」

 私は正直に答えた。

「酒を飲む時間を我慢すれば書けるものですよ」

 あとで知ったのだが、この編集者はまったく酒が飲めない人だった。

 何度かためらいの返事をしたのだが、天下の文學界の編集者が無名の私に電話をくれただけでもありがたいと気がついて、書いてみます、と最後には答えていた。それからは書いたものを編集者に送って読んでもらうようになったのだが、小説なんてすぐにうまくなるというものでもなく、活字にならないくやしさだけをバネにしてまた新たな作品を書くという時代が続いた。

「佳い小説を書くためにはどうすればいいのでしょぅか」

 軽井沢のホテルのロビーで初めて編集者と会ったとき、私は率直に聞いてみた。

「真面目に生きることでしょうね」

 私より五、六歳上に見える彼はとても落ち着いた表情で答えてくれた。

 女と遊べ、とか、趣味に生きろ、といった類の忠告を期待していた私はあまりの平凡な回答にがっかりしたものだったが、四十歳を過ぎた今になってこの言葉の持つ重い意味がよく分かるようになった」

南木佳士「編集者の恩」)

 

ふいに吹く風

ふいに吹く風

 

 

ダイヤモンドダスト (文春文庫)

ダイヤモンドダスト (文春文庫)

 

 

 中身はそれこそ真面目な小説指南だが、さらに芥川賞や新人賞の選考はどのように進めていくのかなど、話の種として面白いエピソードもちらほらと詰まっていて、ニヤリと出来る。私が最初に読んだ昭和文学は芥川賞全集だったので、次々と列挙される受賞作の名も懐かしくてしょうがなかった。郷静子『れくいえむ』とか、新井満『尋ね人の時間』とか、大庭みな子『三匹の蟹』とか、村田喜代子『鍋の中』とか。直接的に編集者として関わったわけでなくとも、他に登場する名前も柴田翔丸山健二東峰夫阪田寛夫高樹のぶ子古井由吉辻邦生(『フーシェ革命暦』を連載させたのも著者)、吉田健一、森茉利、佐藤愛子伊藤整と、この歴々たる面子に馴染みのある方にこそ是非薦めたいけれど、果たしてそういう人がこの題名で買ってくれる本かは、ちょっぴり疑問ではある。とはいえ、題名に釣られてくれる人に、こんな作家が居るのか! と知ってもらえるだけでも、結構な意味がありそうだ。

辻邦生全集〈12〉フーシェ革命暦2・3

辻邦生全集〈12〉フーシェ革命暦2・3

 

 

 中身は実際に読んでほしい。安いし。「真面目に生きること」の訳もちゃんと説明してある(p.90-91)。二つだけ、面白かったところを抜き書きしておく。

 

 まずは「作家の勉強法」のくだり。「語彙を豊かにする」のが第一番目で、最後の部分は実際に試してみたくなる。 

「表現のあや、表現の術には限界がある。語彙の豊かさに頼らないで言いたいことを表現しようとすると、小説は長くなる傾向がある。

 ここで私が言う語彙とは、たとえば名詞のことだ。

 細かな模様の、揃いの衣と袴を着てやって来た――などと、長たらしくなるのは、「裃」という言葉を知らないからだ。知っていれば、江戸小紋の裃、などとひとことで賭ける。具体的な言葉の持ち合わせは、作家の読書量と比例する。本の中でそれに当たれば、「裃」という言葉も覚えられるし、どんなものかというイメージもとらえることができる。

 微に入り細を穿つような書き方を特徴としているような作家もいるが、私からすれば、読書量が少なくて言葉を知らないから長くなっているだけではないかと思える。

 若くして芥川賞作家となったある作家は、文学部を出てデビューしたような作家と比べて、知識の総量が圧倒的に少なかった。そんな連中になど負けるものか、と彼は、あらゆる本を読み、知らない言葉に出会うと、ノートに書き出し、勉強した。それを使って短文を作ってみる。咀嚼できたと納得できるまで、三通りは短文を作る練習をする。

 また、よく辞書を引いた。

 赤ん坊の頭のてっぺんにある、息を吐き吸いするたび、ひよひよと柔らかく揺れるあたりを指した言葉「ひよめき」を知ったときは、新しい小説の中に生かしたいと、これも短文の練習をしてから取り込んだ」(p.47-49)

 

 もうひとつは「土日を使って賞をとる方法」の描写。

 

「月曜日から金曜日まで会社で必死で働く。そして金曜日の夜に、牛肉のステーキでもすっぽん鍋でも、とにかく精のつくものをしこたま摂取する。その夜はひたすら寝る。土曜日の朝、目覚める。それから机にへばりついて、くたばるまで書く。日曜の朝が来ても書き続ける。夜まで書き続けて寝る。そして、月曜日の仕事に備える。月曜日から金曜日まで会社で必死で働く。そして金曜日の夜にしこたまエネルギーのつくものを……。この繰り返しでデビューした作家を私は何人も知っている。

 教師だった辻邦生氏が執筆活動を始めたころのことをうかがったことがあった。まさにこれと同じであった。それほどまでに集中して書くなら、平日の勤務中には抜け殻同然ではないかと思う人もいるかもしれないが、実は、土日に必死で書く「土日作家」ほど、生活のための生業にはちゃんと向かい合っているものである。小説創作のために、生業の方は金曜日までに何が何でも片付けておかなければならないからだ。

 副業で小説を書いているような人こそ、本業もたいへん充実していて、また、小説でも成功している例が多かった。」

 この手の例でもっとも有名なのは、優秀な役人だったカフカだろう。

 

 ヴァレリーのこんな言葉はどうだろう。

「多くの仕事を同時にする必要があること。それは最高能率を上げる、――一方が他方を利しながら、しかも各々はいっそう己れを失わず、いっそう純粋となる。なぜなら、多くの場所が待っているから、浮かび来る種々の観念を、それぞれいっそう適切な場所に送ることになるだろうから」(『文学』)

 

ヴァレリー全集 8 作家論

ヴァレリー全集 8 作家論

 

 

 これは著作家の仕事の方法についての箴言だろうが、実生活においてもある程度は当てはまるものだろうと、個人的には思う。